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ぶっ生き返す 2023

ここ半年くらい、ずっと調子が良い。
原因は自覚していて、ひとつはオーバーワークでしんどかった仕事を辞めて転職をしたことが大きいだろう。
体力的にも精神的にも、ぶっちゃければ経済的にも安定したことで、生活に余裕が生まれた。
それによってちゃんとデザインについて今一度考えたり、本を読む時間が出来た。
思考の見通しが良くなったんだと思う。

部屋を好きな家具や緑で飾ることで、自分の部屋で過ごすことが好きになった。
フルリモートワークなので朝起きたらゆっくり緑たちに水をやり、珈琲を淹れて煙草を吸い、時間があれば家の周りを少し散歩したり本を読んだりする。目がしっかり覚めた頃に仕事に取り掛かる。
仕事の休憩時、時々一人で近所で外食をする。
終業後はギターを弾いたり個人的なデザインワークをしたり、銭湯に出かけたりする。日付が変わる頃布団に入り、SNSを見ているうちに気付けば寝落ちする。

まったく、なんて優雅な暮らしなんだろう…キャラに合っていないよ、とか言われても仕方あるまい…

キャラに合っていない俺の部屋を見てくれ

一年前の今頃なんて、給料3ヶ月分を踏み倒されたり、悪徳商法に引っかかって10万失ったり、旧友に金を持ち逃げされたり散々な目に遭い続けていた。
金はおろか家まで無くて挙句人の家に居候していたし、最底辺の暮らしを送っていた。

その少し前なんてもっと酷い。
一時は仕事すらなかったので、毎日いそいそとメルカリに励んだり、ギターをハードオフに売りに行ったり、市役所がたまにやっている低所得者向けの無料食料配布会に肩を落として並んだりしていたのだ。
あの日々が嘘のように、今自分は落ち着いた暮らしを送っている。

この短期間でこんなに自分を取り巻く状況が変わるとは…


もう一つは、純粋に音楽を楽しめるようになったという背景もある。

14歳の頃初めてギターを持った頃、自分の夢はロックスターになることだった。
それから自分のバンドを組んで自分で曲を作り、必死になって月何本もライブをやり、とにかく無我夢中で音楽をやり続けた。気付けば自分の目標は「売れる」ことになっていた。

必死になるあまり、バンド活動が漸く軌道に乗り始めたその頃、自分以外のメンバー全員から一斉にバンド脱退を申し入れられた。突然バンドの中で孤立した(いや、気付いていないだけで実はとっくに孤立していたのかもしれない)。
どうやら、売れたくて生活の全てを投げ打って血眼になっていたのは自分だけだったようだ。

絶望の中、時間の経過と共に徐々に現実を受け入れ始めた。
その頃大学を卒業し就職をして、突然自分の生活の比重が仕事に傾いたことで、そもそも音楽どころではなくなっていった。

土日の趣味でちょろちょろっとやる程度がワークライフバランス的には丁度良く、プレッシャーのない環境が心地良くなっていった。
一方自分がやること自体は楽しくても、過去の挫折が大きくて、いちリスナーとして純粋に音楽を楽しむ気持ちに複雑な想いが混ざっていた。

音楽をやることについて吹っ切れたのは、ここ数年のことである。
売れたいと思って頑張っていたあの頃、音楽をやっていても正直楽しさは殆どなく、常に辛い気持ちが自分の中を占めていた。
自分で始めたことなのだから、人の力を借りずに自分でなんとかしなければいけないという気持ちが大きかった。いつ何時もバンドのことばかり考え、夢の中でも歯を食いしばっていた。とても孤独だった。
誰にも頼まれていないのにそうやって、自分で自分の首を絞めていた。

また、売れるために何かを制御したり我慢することもストレスになっていた。
所謂世間一般に「売れる音楽」に寄せて時として自分のアイデンティティを殺すことも、本当はとても辛かった。

しかしそういった重荷がなくなって、単純に肩の力が抜けた。スタジオでせーので音を出すのがとても楽しくなった。初めてギターを持った14歳の頃の、弦からポロンと音が出るだけで嬉しい気持ちが沸々と蘇った。

そしてもう今では、誰に媚びることもなく好きな音を出して好きに歌う。というか歌なんか歌になっていなくても良いとすら思える。

歌い方一つとってもそうだ。
周りから、ガナらないで地声で歌った方がいいよとか、歌詞は日本語の方がいいよ言われても気にしない。
自分がガナりたきゃガナる。英語で歌いたきゃ英語で歌う。
そうやって人目を気にせず、自分のやりたいことだけを純粋に突き通す。
そもそも音楽にルールもへったくれもないのだ。
好きでやってるんだからアドバイスされる筋合いもないのだ。
そんな単純なことを長い間忘れていた。

今は気が向いた時だけ音楽をやっている。
周りからはもっとやったほうがいいだの、音源そろそろ作ればだの色々言われたりもするが、知るか!
俺は俺のやりたいように自由にのんびりやるのだ。気が向けばガッとやるし、気が向かなければ何もしない。

そもそも音楽だけが自分の全てではない。
自分はデザインという自分の仕事のことも心の底から愛している。
物心ついたころから絵を描くことが好きで好きで仕方なくて、今のデザインという仕事は完全にその延長だ。
だからデザインに向かっている時間も自分にとっては至福の時なのだ。ある意味天職だろう。

自分の中にはそういう様々な要素がある。
そのバランスで生きているから、たとえ音楽をやっていないう時間でも、自分の好きなように生きてさえいれれば自分はそれで幸せなのだ。

そういうことを心の底から思えるようになったから、今自分は豊かな毎日を送れているんだろうと思う。

もう一回俺の部屋を見てくれ


先日、毎年この時期山中湖で開催されるSWEET LOVE SHOWERという音楽フェスに遊びに行った。

フェスに行くのは大学3年生ぶりで、およそ7〜8年振りだったわけだが、今回心の底から自分の心境に驚いた。

売れたかったのに挫折した過去から、純粋なリスナーになることに複雑な思いがあったことは先述した。
ライブやフェスは特に、自分が「あっち側」ではないことを生々しく認めなければいけない場である。

だから滅多にライブ、特に演者数や若手の多いフェスに自発的に赴くことはほぼなかった。
ジェラシーで悶々としなければいけなかったから。

しかし今年、ふと「あー久々にラブシャ行きたいな〜楽しそうだし、山中湖涼しくて気持ち良いし」と思ったのである。
まずこの発想自体かつては無かったわけだからこの時点でびっくりではあるが、当日参加して、心の底からイベントを楽しんでいる自分に何より驚いた。

生で爆音に浸ってワクワクする。知らないバンドに出会って、へーこんなのあるんだ、かっけーな、とか他意なく思ったりする。

そんなシンプルなことが、自分は何年もできずにいた。

この変化はやっぱり、自分を認めて受け入れられたからこそのものだと思う。
それでいて、過去の自分も貶さずに、よく頑張ったね、と振り返って褒め称えることができる。

何より今の自分が一番好きだ。
だから対外的な物事を余裕を持って、自分と比べて卑屈になったりせず、引いた場所から眺めることができるのだろう。


二十代、とても辛かったけど、本当にここまで生きてきてよかったな。


山の天候故に例年悪天候になることが多い山中湖で、この上ない快晴と言わんばかりに晴れ、くっきりと顔を出した富士山を眺めながら、そんなことを思ったりした。

実際、こんなことを書くのはとても恥ずかしいし勇気の要ることでもある。
しかし今こうして正直にここに書けるのは、そんな過去も含めて自分だと、胸を張って言えるようになったからだろう。

今まで沢山心配掛けたけど、もう大丈夫、僕はちゃんとぶっ生き返した。
だから心配しないで!


数年振りに観たマキシマムザホルモン、最高だったな〜。ちゃんとヘドバンもモッシュもしてきたよ

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