見出し画像

Xを辞めたい

10年以上X(旧Twitter)をユーザーとして使ってきたけれど、良い面もあれば勿論悪い面もあったなと感じる。

前者はシンプルに自分のシンパが増える点だ。実際にXを通して自分を認知してくれ、有難いことに"ファン"や"リスナー"、このnoteの"読者"になってくれた人は数えきれない。自分が今音楽や作家活動を継続できているのは、そういった人たちのお陰に他ならない。
しかし残念なことに、この100倍くらいは悪いことがある…というのが悲しいかな現実だ。
考えるだけで辟易してくるが、Xのネガティヴポイントを列挙しよう(以下ただの悪口)。

****************

・誰が書いたかも分からない下手くそで認知負荷の高いテキストが強制的に視界に入ってくる
・低俗なマスメディアに嫌気が差してげんなりする
・一生出会いたくなかったタイプの人間に出会ってしまう
・うっかりデジタルタトゥーによる黒歴史を残してしまう
・知らない人に気安く話しかけられて癪
・ネットが世論のすべてだという雰囲気が鬱陶しい
・無知無学な人間に拡声器を持たせる可能性を孕み過ぎている
・陰謀論者が生き生きしている
・全体主義をより加速させてしまった
・なにか話題が取り沙汰されようものなら勝手に思想を篩に掛けられる風潮が怠い
・イーロン・マスクの思想や価値観に想いを馳せてる時間が無駄
・XとTwitterの呼び方でいちいち揺れるのがアホらしい

****************

などなど、粒度は違えど、本来抱えなくて済むはずのストレスばかり感じることになる。こんな事に苛ついているのはあまりにも時間の無駄だ。

いっそアカウントごと削除しアプリもインストールしてしまおうかなと思ったりもした。
もし私が音楽や作家活動をしていない人間なら辞める選択をしていただろう。しかし前提私は何かしらメイクしてアウトプットする人間である。

それらを効率よく世に送り出すためには、悔しいけれどXは手っ取り早くコストの面でも最適な手段だ。
実際イベントを催そうものなら私のXをきっかけに会場まで足を運んでくれる人は多く、作ったものを手に取ってくれる人も多い。このnoteだってXからの流入が大部分だ。そう思えば簡単にこのプラットフォームを爆破する訳にはなかなかいかない…

というわけなので観念してXの運用は今後も続ける。が、今後は必要最低限な発信に留める。
あくまでアウトプットするメディアへの動線という役割が主なので、それ以外の発信は殆ど今後行わないだろう。

これは単なる妄想だけれども、あくまで各メディアへの中継地点という意義で、Xに代わるプラットフォームなりがあると良いなとは思う。そうしたらXなんて喜んで辞めてやるが、近い将来仮にそのようなものが現れてもどうせ既存のそれらと同じような方向に収斂していくのは目に見えている(Threadsがそんなような例だ)。というわけで辞めるのはまあ暫くは現実的ではないな。本当は辞めたいんだけどな〜。

「言葉」を丁寧に扱おう

そもそもXがどうとか言う以前に、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、気軽に無駄口を叩いてしまうとロクなことが無いよね、と思う。

端折り過ぎた言葉からは、本来の意図を適切に伝えられないリスクがある。反対に、ある程度の長さの文章を推敲もなく勢いで綴ろうものなら、大抵取り留めもなく冗長な文体になる。
更にテキストでニュアンスを伝えることは、言わずもがな対面でのコミュニケーションよりハードルが高く、より一層慎重になる必要がある。

なのでテキストでのアウトプットは、きちんと熟考したものだけに絞っていきたい。つまり衝動的にXにツラツラ言葉を書き連ねるのはやめよう、という考えに着地した今日である。

そもそも、Xなんぞで俺の価値を品定めされたくない。作る人間なら、作ったもので勝負すべきだ!

とか言いながら、わたくしの最もバズるツイートはいつも、ただの「近影」です


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?