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Summer'23

29歳になった。

毎年誕生日にこのnoteを書くという習慣は、多分25歳くらいから続けている。
恥ずかしいのでいちいち自分の過去の記事を読み返したりはしないが、それでも毎年誕生日記事は、毎度救いようのないくらい暗い内容だったことはなんとなく覚えている(だから読み返したくないのだ)。

20代最後の今年の自分の精神状態はというと、なぜだかとても清々しい。
そう、もう何も辛くない、悲しくない、怖くない。

今となっては、どんなネガティブな感情でも、凌駕してしまう何かがある。
何かってなんだろう、ぼんやりと、信念、とか執念、みたいなもののような。

20代中盤(まあ、ついこの前だけど)までは、とにかく自分は真っ暗闇の中にいた。
どうにも筆舌に尽くし難いような悲惨な出来事が次から次へと降りかかってくるので、生きることが辛くていつも死ぬことばかりが頭をよぎっていた。

だがそれらに歯を食い縛って立ち向かったり立ち向かわなかったりしているうちに、段々と諦めみたいな悟りみたいな気持ちが積み重なっていった。

すると段々、脳みそが勝手に、こんなに色んな問題を次々に捌いて死なずに生きている自分は無敵なんじゃないか、そうだ、俺は無敵たぞ、みたいな錯覚を起こすようになっていった。自分が楽になったのはそれからだ。

何通りもの苦痛に面していたら、結果的に何通りものリカバリー方法を知ることになった。
だからもう、次に何があっても、自分は自分の中からどう切り返していくかのカードを選ぶ余裕すらあらのだ。

僕はドンと構えているから、なんでも来い。
もう何も怖くないぞ。


と言いつつ、先日の愛猫の死で、自分はいま眠れない日々を送っている。まあ、何かが起きたら起きたで結局こうなるんだよな。人間だからな。

今よりもっと若いころ、毎日あんなに死にたかったのに、いまは死にたくないとすら思う。
まだやらないといけないことが沢山ある。
誰かのためとかではない、誰かに幸せにしてもらいたいとかでもない。
自分は自分のためにやることをやるだけで、自分のことは自分で幸せにするほかないのだ。

そして誤解のないように言っておくが、どれだけ健全な精神状態でいたとしても自分の制作活動の全ての根幹には、反骨とアイロニー、怒りがある。この精神性は自分の土台であり、これだけはこの先どんな環境に置かれても変わることはないだろう。

ただそこに、ほんの少し風通しの良い場所が出来始めている、ということも最後に添えておく。

これから僕はどうなるんだろう。どうなっても僕は自分を誰より好きでいたい。

そう、29歳になった今、自分は自分のことが最高に好きだ。
どれだけ散々な目に遭おうが、やっぱり自分に生まれて良かったと心から思う。

誕生日おめでとうマイコー。

夏生まれだからか、この曲を夏に聴くと原風景を思い出す。

誕生日にほしい物リストを躊躇なく貼るというのが僕なりのバースデーお作法

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