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つれづれなる日々のこと

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#旅する日本語

角を曲がるときに

角を曲がるときに

「じゃあバスの時間やし、そろそろ帰るわ。」

いつのころから「帰る」と言うようになったのだろう?
離れて暮らし始めたばかりのころは「行く」と言っていたような気がするのに。

実家に帰省すると、いつもほっとする。
けれど、ほんの少しだけ居心地が悪い。

生まれ育った家だとしても、ずいぶん長い間離れて暮らしているのだから仕方ないよと、自分自身に言い聞かせる。

ただ、どれだけ離れていても、母は変わらず

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目的地はどこだって

目的地はどこだって

「朝イチで、羽田行こうか」

PC画面を見つめながら、彼は言う。
ネットの天気予報では台風がぐるぐると渦巻いている。
目的地からは少しずつ逸れていくようだけれど、分刻みで変わる航空会社の「運行状況のご案内」から目が離せない。

何か月も前に休暇申請をして、沖縄に一緒に行こうと決めてたのに。
台風が近づいてくるなんて、本当についてない。

「飛行機、飛ぶか、わかんないんだよね?」
私ががっかりした声

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思い出のなかにある景色

思い出のなかにある景色

家族みんなで旅行に出かけたのは、小学生のころ、たった一度きりだ。
その旅行すらも、目的地は覚えているけれど、どこで何をしたとか、お土産に何を買ったかの記憶はおぼろげにしかない。

ただ、はっきりと覚えているのは、ホテルの部屋から見えた景色。
視界のすべてが海と、空と、あちこちに散らばる島々だった。

窓を開けていないのに、波の音がうっすら響いてきて
きれいやなあと思いながらも、どこか少し怖かった。

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きみと同じ名前だから。

きみと同じ名前だから。

「ずいぶん色付いてきたねえ」

プランターに植えられているミニトマトを覗き込むようにして、きみは嬉しそうに笑う。

「まあね。毎日ちゃんと、水やりもしてるから」

僕がそういうと、きみは振り向きながら、「えーっ」と塩ひとつまみ程度の辛口なエッセンスを込めた声を出した。

「前にシャボテン公園で一緒に買ったサボテンは枯らしてたのに?」

「サボテンは意外と難しいんだぞ。水やりすぎちゃダメだって、アイ

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ぐっすり、おやすみ。

ぐっすり、おやすみ。

「危ないので安全柵から離れてください。まもなく、発車します」

新幹線のホームは、それぞれの故郷へとむかう人たちでいっぱいだ。

大きな旅行かばんと、おみやげをたっぷりと抱えて、せわしなく時計とにらめっこしたり、携帯電話を耳にあてていた。

人混みをすり抜けるように発車した新幹線の車内には、指定席を取れなかった乗客でぎゅうぎゅう詰め。ほんの少し姿勢をずらすにも一苦労だ。

そんな中でも、母親にしっ

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花火に願いを

花火に願いを

「あんまりじろじろ見ないでよ」
彼女はそういって、左手に持ったうちわで胸元をサッと隠した。
あたりは仄暗く、その表情はよく見えないけれど、ほんの少し頬を赤らめているだろうか。

宿泊先のサービスで浴衣をレンタルできると教えてもらった。
「夏だし、せっかくだから着てみたら?」と僕がすすめると、彼女も「そうね。夏だしね」と嬉しそうに頷いた。

いつもよりどこか大人びた彼女の横顔が、僕にはなんだか照れく

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SUMMER CUTE GIRL

SUMMER CUTE GIRL

薄いピンク色のTシャツは、たくさん洗濯をしたのか、少しくたびれて見えた。背中には「SUMMER CUTE GIRL」と白い文字でプリントされている。

左手にはまだ開ききっていないたんぽぽの綿毛をしっかりと握りしめて。小さなヒマワリがたくさん咲いたショートパンツをはいたサマーキュートガール。

麦わら帽子をかぶった小さな頭とハートの飾りのついたサンダルをはいた足はキョロキョロぱたぱた、動きまわるの

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おいしく、いとおしく。

「疲れて寝ちゃったみたい」

車の後部座席には、ぐらりと頭をかたむけて眠っている我が子の姿。その横に、汗ばんだ髪をタオルでそっと拭いている妻の姿。

僕はバックミラー越しにチラリと目をやって、その愛おしいふたりの様子にそっと笑みを浮かべた。

「すごくはしゃいでたもんなあ」ついさっきまで、いちご畑を駆けまわって、自分の手のひらよりも大きないちごをもぎ取っていた。
思いっきり口をあけていちごにかぶり

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いってらっしゃいと手をふって

いってらっしゃいと手をふって

「もう、そろそろ行かないと」
ちらりと腕時計に目線を落とし、父はその時がきたことを告げた。
いつも身につけている、お気に入りの腕時計は鈍い光を放っていた。

「まだ早いでしょ。もう少しくらい、時間あるんじゃない?」
わたしたちはそういって、引き止めようとする。
その言葉が、もう届かないところに父がいることも、わかっている。
わかっているけれど、別れがたくて、引き止める言葉をかけてしまった。

せっ

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「旅する日本語」で入賞しました

「旅する日本語」で、「奇偉」をテーマとして書いた作品が入賞しました。竹中工務店賞として選んでいただけたこと、本当にうれしいです。

入賞のお知らせを聞いたのは、一月の最後の週で、すごくびっくりしました。

というのも、吉玉サキさんが一月の中旬ごろに優秀賞を受賞されたというnoteを読んでいたからだ。

すごいなあ、活躍されていらっしゃるなあと思ったのと同時に、わたしもいろいろ投稿したけど、残念だっ

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