自分の力で生きること

生きていると『自分で決めることが多い』って本当につくづく、心から思う。自分が今後生きていく上でも、もっともっと【自分の責任で決断・選択する】機会は『増える一方』な気がした。その度に、『周りの人間を頼ってばっかり』だったらキリが無い。みんなそれぞれに【自分の身の回りのことで、日々一生懸命】だってこと、改めて実感した。

色んな選択肢がある中で、【自分の意思】を持って『変えたい、こうしたい!』とならないならば、【その状況を受け入れるだけ】の話。それ以外の【自分の力で変えられること】を『変えていこうって努力する』だけの話。また、【新しく決めなければ前に進まないこと】に対しては、『自分なりにまず考える』ってことが大前提。この時、【主語は必ず自分にすること】が重要だよね。そうじゃないと、【自分の答え】ってのは、私の場合は特に、『導き出せないと思う』から。きっと、色んな方向からの【たられば】が延々と思い浮かぶことになる。『こうなったらどうしよう』『あの人にこんなこと言われたらどうしよう』『こんなこと言われるくらいなら私はこうした方がいいのかな』『いや、別の言い方してくる人がいたら困るから、こっちの方がいいのかな』みたいな。【いくら考えたところ】で『結論自分はこうしたい、こうしよう!』には『なかなかならないと思う』から。

また、【1度決めたこと、起こってしまったこと】は、それが現実。実際に【自分が、過去に1度考えて決めた結果】な訳だ。だから、【自分が考えて決めたこと】に対して後から【たられば】言ったところでキリがない。『あの時こうしてたら今回みたいにはならなかった』とか『あの時こっちの視点で考えてたら良かったのに』とか。【起こってしまった原因追求】ばかりに執着してたら、【自分が虚しくなるだけ】だよ。だから何の改善にもならない。【原因追求した、その次の行動・気持ちの切り替え】の方が、よっぽど大事。『それなら次はこうしてみよう!』とか『その経験から新しい視点が生まれたから、今度は違う選択をしたい!』とか。
だから、私の場合はきっと、決める前から、考えてる最中から既に【自分以外の視点で考えることが多過ぎる】んだよね。自分で発信しておきながら、心から納得する。まずは【自分はこうしたい!こうしよう!の答え】を『自分で導くための思考回路を身につけようよ』ってな話。

また、「【自分の人生】ってことを【もっと強く意識】しなさい!」って自分に言い聞かせたい。それが【自分の力で生きる】ってことな気がしてる。【なんでも困ったら神頼み、人任せ】みたいなのは、私の中では違うんだよね。んまぁ実際、私の過去20数年は、本当に【神様が喜ぶ生き方、親に好かれる従順・素直な生き方】を本気で求めていた訳だけれど。それが『自分の幸せな生き方だと信じて疑ってなかった』んだもん。【神様や親を立てる・尊重するが優先度】が高く、それが【当たり前】だって認識。だから、【それが出来ない自分に苦しむこと】もあった。『なんで私は、親の望むように出来ないんだ?』とか『神様ならどうするのが正解なの?』とか。

【親や神様を理由に自分を守ってた】意識は全くなかった。けれど、実家を離れ、【これまでの自分や現在の自分と向き合うこと】を覚え始めた。その結果、【以前よりは自分のことを自分なりに理解するように努力すること】を身につけた。何をするにも、決めるにも、『常に親や神様の反応を意識し続けてきた』私。そんな私が約5年間、【彼氏っていうポジションだった旦那と夫婦】になった。すると、夫婦になった途端、あれやこれやと決断する度に【旦那への影響、旦那の反応に更に敏感】になってしまった。旦那だけじゃない。『義理家族の反応に対しても無意識に恐れてしまっていること』を自覚した。

今回の私は、【旦那や義理家族にとっての正解を探し続けた】結果、苦しくなった訳だ。『自分の意思は何?』『本当はどうしたい?』と、【自分を主語に答えを探すこと】が難しかった。『カップルだった時』は【私は私】を意識して、『自分の答えを導き出していた』はず。それなのに、今回は散々、【ネガティブの沼】にハマってしまった。
そして、その理由を友達に話した時、またもや私は、【実家の両親】の話をしてしまった。いつもそう。私は、【自分が両親や親戚と過ごした環境】を、常に【自分が苦しむ理由の引き出し】として持っている。我ながら、めちゃめちゃ最低な人間。でも、そんな中でも20数年生きてきたのは、間違いなく私。間違いなく私の人生。私だけの20数年間。
ただ、どうしても私は、【親や神様を理由に、ずっと生きてきたんだ!】と強く思ってしまう。自分の都合がいい時も悪い時も。【どんな時でも、親や神様を理由にして生きてきた】から『私は今、苦しいんだ』って。逆もそう。【自分の力で自分の望みを叶えたことがない】と『思ってしまう自分がいた』んだよね。『楽しいこと、嬉しいこと』も含めて、【全部が親のおかげ。神様が導いてくれたんだよ。だから感謝しなさいよね】みたいなイメージ。

今振り返ると、【めちゃくちゃ自分勝手な解釈】だなって感じる。【極端な私の価値観】だから、『余計に難しくなるんだろう』けど。
でも要は『自分の存在価値は一体どこにあるんだ?』って話がしたい。『誰が私の存在価値を判断するの?』って。私の人生なのに、【親や神様、旦那や義理家族が、私の人生をコントロールするのか】って話。そんなことを『本気で思ってんの?』って自分に問いたい。その上で、『んなら実際、誰が私の存在価値を判断するの?』みたいな。

そんな思考回路の私に対して、『甘えてんじゃないよ。自分の人生、自分の力で生きてみなさいよ』って個人的に思う。自分に向けて、強く言いたい。親や親戚、神様、旦那、義理家族って。【私の生きる環境を変えただけ】で、【私が私の人生をコントロールしなくてもいい理由】には『決してならない!ってこと分かってんの?』って。『そんな周りの存在を、私は立てて、尊重して何が悪いの?』って思って生きていた。
けれど、実際のところ【立ててるんじゃないし、尊重してるんでもない。そもそも私の意思はどこにもない。伝えてもない】って話。そんなんで、よくもまぁ、「相手を立てた、尊重した。だから私の意思は特にない。それで相手の希望が叶うなら自分は満足って?相手にありがとうって感謝するんだって?本当にそうなの?」ってツッコミどころ満載だ。

むしろ、【私が私の主張】をして、【旦那が旦那の主張】をする。『互いの主張が異なる』ならば、『んならば、どうしようか?』っていう【次のステップが初めて生まれる】訳だ。【どっちの主張を立てるのか、尊重するのか】って話し合う。とか、【互いの主張をかけ算することで新たな結論へと導き出す】とか。それが、【互いに立て合う、尊重し合う】の本来の姿なんだと思う。

だから、【互いの主張をまず伝えること】の方が、よっぽど大事なことなんだよね。実際、頭では分かっていても、『少しでも上手く伝えたい』と、私は思ってしまう。だから結局『言えないのではなく、言わない』んだよね。

あと、今回もう1つ自分で思ったことがある。【私の事なのに私が決めきれない】んじゃない。【私が私の答えを出したくない】だけ。【自分に不安がある】から。【傷つきたくない】から。だから【自分を守りたい】って思ってる。つまりは、何度も言うように、親・神様・親戚・旦那・義理家族等々。要は【自分以外の何者かに責任を負わせたい】って『思ってることを自覚しなさい』って思う。これまた、めちゃくちゃ最低な私。


上記のように私は、結局のところ【自己分析】ばっかりだ。その結果が、【自己否定】【自己嫌悪】【ネガティブ】を繰り広げることは多々ある訳だ。別に、【自己分析】すること自体が『悪い訳じゃない』と私は思う。ただ私が『自分で折り合いをつけるのが下手くそ』なだけ。【どんどん深く深く掘り下げ過ぎる】から、『その先の進み方、出口までが、更に遠く』なる。 んだよね。だから私の思考回路は難しい。
正直なところ、【自己分析】をすることさえも、ぶっちゃけ、約5年前に初めて経験した。実家を出た頃に、初めて覚えたことだ。それまでの私は、自己分析さえもきっとしていなかった。
それは結論、【主語が自分以外ばかりだった】ってこと。【自分の力で生きるんじゃなく】て、【自分以外の存在に生かされている】って感覚。正に、そのように『言われ聞かされ続けて育てられて』きた。でもそれは、【私がそれを真に受け過ぎただけ】ってこと。だから『やっぱり私の問題なんだ』って自分でも思う。

この【難し過ぎる私の問題】だけど、それでも【その都度自分の力で乗り越えて、生き続ける】こと。それこそが【私の人生】って堂々と言える気がする。【自分の力】って言うけど、別に【自分だけ】とか【自分一人で】とかは言わない。むしろ、『情報社会の現代だから』こそ、【情報の取捨選択は必須条件】かもしれない。
それでも、まずは【自分の人生経験】を『活かし続ける』こと。そもそも、【自分の人生経験】を『積み続ける』こと。その上で【自分以外】に【何が本当に大事なのか】ってこと。そんな事を思いながら【自己判断】するってこと。
私の場合、それらを常に意識しないと、私はまたすぐに『無限にありふれている情報達』や『自分の周りの人達や環境』を【私の人生の理由】にしてしまう。そんなんでは、【本当にの自分ってもの】を『見事に簡単に見失ってしまいそう』だ。

人間関係も本当によく似ている。【自分にとって大切な存在、かけがえのない存在】みたいなもの。そんな人達を、自分なりに『取捨選択していいいのかもしれない』って思った。そうやって、【自分と沢山向き合って、自分に正直に選択】していく。そんな乗り越え方だったら、私は『自分人生を自分の力で生きることだ』って言える気がした。私の目標が、また1つ新たに生まれた。今後の自分の生き方に、是非とも繋げていきたいと思う。

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