健忘録【10】寝たきりでも🏀パス🏀キャッチ🏀

病院での部活🤣🤣🤣

いや、実は運動部の活動を病院でしてはいない。

けど、元バスケ部の看護師さんが部活を演出してくれた。

ベッド上での部活体験について書く前に、背景を少し。

私は人工呼吸器装着中で、声が出ない。首に(気切)穴を開けて呼吸器を装着していたため、空気が声帯を通ることはなかった。

当然、寝たきりで離床は全くできない状態。

ベッド上でのバスケ体験は、初めて再発した時の入院だったかな?

初発時の人工呼吸器装着は数ヶ月に及んだ。麻酔で寝ている時間も長く、何も覚えていない時間もあった。

上手く言語化できていない…… 昔の記憶が…… 正確に思い出せないのが悔しいな。

ただ、日の大半を寝て過ごし、全然動けない。唯一の意思疎通方法は瞬き。Yesは瞬き一回。Noは瞬き二回。意識があっても、瞼が動かせずに唯一の意思表示の眼球運動と瞬きができない時があったのは嫌だった。正直、肉体的苦痛も発狂する次元だっただろう。激しい疼痛を麻酔のボーラスで紛らわす。(医療麻薬じゃなくて本当の麻酔)呼吸器を装着しようが、呼吸の体感的苦しさが消えるわけではない。飲み込み(嚥下)不可のため、鼻から十二指腸までチューブが入っており、食事は加工された液体をそれで腸に直接流し込んでいた。あまりに激しく嘔吐し続けるため、それを止めて完全なる絶飲水食にしたことも何度もある。絶飲食でも、一週間以上激しく嘔吐し続けて、胃カメラで検査したこともある。今では、同じ疾患での人工呼吸器装着は、たとえ延命になろうとも、同意できないかもしれない。生きたい❗️絶対生きたいのに、再びアレに耐え続けることはできないと思うほどに肉体的苦痛が強かった。

だからと言って、困ったとは言わない。何故ならば、あまりにも家族もスタッフも優しくて、手厚くて、かなり意思疎通に尽力してくれていたからだ。

とはいえ、どんなに魅力的な対応であっても、ぶっちゃけ瀕死の状態では、肉体的苦痛はあった。

ということで、再度人工呼吸器を装着した際には、麻酔を変更してもらうようにお願いしたのだ。

なので、ベッド上で寝たきりとはいえ、少しは手を動かせる時もあったんじゃなかったかな?

なので、看護師に何かを渡すことはできたのだ。

話は病院で呼吸器装着中のバスケに戻る。

この元バスケ部の看護師さんが担当の時は、ものを渡す時に、必ず「パス」と言ってくれた。(前述通り、私に発語はできない。)

そして、受け取った瞬間に「キャッチ」と笑顔で返してくれた。

なので、ちょっとバスケ気分を味わいながらの一日を過ごせた。

麻酔が変わったとはいえ、基本的にはほとんど動けず、日の大半を仰臥位(ベッドに横になって)過ごす日々だった。

その際、付き添い家族にCDプレーヤーにCDを入れてもらい、ずーっとそれを聴き続けていた時間も長かった。

かろうじて、指の第二関節でCDプレーヤーのボタンを押すだけはできることもあったからだ。(逆に、他は全然できなかった。)

オーディオブック(音読)もあれば、瞑想を何度も何度も反復して行っていたこともある。

離床できずとも、頭の中では雲の上でも森の中でも行けた。

付き添いの家族と意思疎通もできた。

けど、やっぱり担当看護師との会話ややり取りはかなりの救いだった。

唯一、親ではない誰かと会話ができる瞬間だったのだ。

だからこそ、短時間の「パス」に続いて「キャッチ」と物の受け渡しの際に声をかけてくれるのは心踊る瞬間だった。

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あ、書きながら泣いてる🤣🤣🤣

嬉し泣き??

最近泣けるようになった自分偉い😍

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少し楽しい会話をして、短時間で他の仕事に戻って行く。

けど、この束の間の人間らしいやり取りが、本当に救いだった。

友達は皆、随分と遠方の大学に進学してしまっていたからね......

当時は、医療機器付近でインターネットは使えなかったんじゃないかな?

だから、メールは付き添い家族経由で口頭で読んでもらうだけだったんじゃないかな?

こういう変化の時の入院ってのは、孤独な場合もあるよね。

夏休みにはお見舞いに来てくれた......

けど、皆が日常を忙しく過ごしている間、私はベッド上でCD等で気を紛らわしていた。

だから、なおのこと、大好きなバスケっぽい、その瞬間だけは、全てを忘れて日常に埋没できるかのような感覚を味わえる貴重な瞬間だった。

そして、病気のなかった時の楽しい日々に引き戻してくれる人対人の瞬間ってのは、本当にオアシスなんだよなぁ。

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