「十字架」x寂しいx痛いx読書感想

「十字架」を読んでいて、色々と考えてしまう。

おそらく、亡くなった男の子に微妙に自分を重ねているようにも思う。実際には、私は生きているし、自殺だけはしないだろう。しかし、生きている時間軸が中学や高校の同級生と同じかと聞かれたら…… 即答はできない。

入院期間も結構長いし、全く同一の時期に同一の経歴を辿ってなどいない。そんなことを言い始めると、それは誰にでも言えることなのだけれども……

すると、どちらかというと、元気で生活している元同級生よりも、亡くなった男の子に共感してしまうのかもしれない。これは、本の登場人物の中から敢えて選ぶのであれば、傍観者でかなり遠いところから見物しているかのような健康な同級生ではないというだけかもしれない。

亡くなった男の子が残した遺書…… その中の人物の関係と、書かれていた彼ら(彼女ら)の感覚はずいぶんと異なる。そして、時折思い出されてはいるのだが、亡くなった男の子を「過去の」という島流しのような位置づけの視線というかも…… なんだか心地の良いものではない。

とはいえ、その彼と私は立場が全く違う。でも、本当に?

ここで感じるのはやはり、こう住んでいる世界が、闘病中・療養中・入院中という人間と、外で好きな学校に進学し、自らが望んだ仕事をし、そこで湧く様々な雑用を含めた社会のただこなさなければいけない生活の動作を淡々とこなす中で生きる人々と…… 少し時間の流れや住む世界が若干ずれているように感じる時が無いわけでもない。

とはいえ、おそらく私が感じる他者との違いというのは、全人類的な感覚であり、時には全人類的悩みとして表現されるものなのだろう。二人として同じ人間はいない。仮に同時期に同じ学校に通っていても、そこでの経験は個々で違うし、感じ方も違う。すると、時間軸が同じだろうが、同じとか共感という意味では重ならないところも結構あるのだろう。

逆に、タイミングや年齢が違っていても、阿吽の呼吸、ツーカー、以心伝心なんていうこともある。究極的には、私たちは皆、各々の経験と解釈からできているのと同時に、それ以外の要素も沢山ある。

「十字架」を読んでいると、ふと、亡くなった彼ら(彼女ら)を思い出す。同時に、私の友人達はこの本の筆者である、亡くなった人の同級生とどれくらい考えがかぶっているのだろう…… と、ふと思ってしまう時もある。

「いじめ」とか、「加害者」とか、「被害者」とか…… こう、実に様々なテーマを含んだ作品だと思う。

同時に、身近な死生観などを別の視点から見せられた、とても新鮮な作品でもある。

まだ、半分くらいしか読んでいないので、今後感じ方は変わるかもしれない。読書感想文というよりは、読書中に沸いた感情と考えと呼ぶ方がいい内容になってしまったかもしれない。

ただ、記録として残される「自殺した少年」はこれで浮かばれるのだろうか?…… 

このように忘れられない、関係が浅かったけど、追憶で深まる感じというのは…… こういうのは、死後に仲良くなったとかってことになるのかな?

この絶妙な距離感で書かれている作品は、未だかつてであったことがないので、とても新鮮で、同時に寂しい。そして、自分はどういう立ち位置にいるのか考えると、どこか痛いような、けど違うから安心というような……生ぬるい感覚を覚える。

おそらく、誰により共感というか、自身を重ねて読むかで、感じ方が180度変わる作品だと思う。

強くお勧めする作品だが、その根拠は私自身、これを書きながらも明確には分からない。こういう視点というのは、是非読んでみると非常に参考になると思う。

あとで、読み直して、修正します。


この記事が参加している募集

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。