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悩み多きHSP・HSCの同志たちへ②〜生き抜く私達へのエール〜


自己肯定感。
最近、子育てや心理学の分野等でよく聞く言葉です。

私はこの自己肯定感、自分だけでも上げることが出来る、と豪語します。
何故なら私自身がその証人だからです。

今回はそのお話をします。

※少し辛い記憶の載せてある記事となります。
苦手な方は、目次の「おばあちゃん先生の言葉」からお読み下さい。
物凄く苦手な方は、「一日一度、自分を褒める」からお読み下さい。



辛い日々

二十数年前まで、本当に生きづらい日々を過ごしていました。
書き手読み手双方の精神安静のため、暗い過去の話はかなり端折らせて頂きます。

そんな生きづらい日々にいた時、母親が私を心療内科の先生へ受診をさせました。不登校になって何も出来ない私を心配したのでしょう。後に聞いた話、母は「もうこの子はだめかも」と思っていたそうです。母として切羽詰まっていたのだと思います。
そしてこれは、私にとっての一つのターニングポイントとなりました。

その心療内科医の先生は70前後のおばあちゃん先生で、この人なら話せる、と思わせてくれる気さくな感じと温かい包容力のある方でした。
色々と心の中を吐き出した後。
そのおばあちゃん先生に言われました。

おばあちゃん先生の言葉

「何でも良いから、このノートに、一日一つ、自分を褒める言葉を書いてみて」

難しい。褒められることなんて何もない私の、いったい何を褒めれば良いのか。

何も言わず戸惑う私に、先生は言いました。

「あなたは今日、お母さんの言うことを聞いて、私に会いに来てくれた。ありがとう。
ありがとう、私にあなたの心を話してくれて。
私が、あなたの力になれたことを
とても嬉しく思う。
あなたはあなたを、褒めてあげて。
ちゃんと、感謝されることをした。」

私は、ただ泣くことしかできませんでした。

色々な面で、責められて。自分で責めて。
もう何もできなくて、本当に辛くて。

そんなときに、「ありがとう」と、言ってくれた。

心療内科の先生です。
それが仕事かもしれません。
それでも、嬉しかったのです。

二十数年前のことなので、もう引退していらっしゃるでしょう。
本当に残念でなりません。

ですが今の、
「私はここにいていいんだ」
としっかり思える私がいるのは、その先生のお陰なのです。

「一日一度、自分を褒める」

そして今でも、

「一日一度、自分を褒める」
を継続中です。
さすがにノートには書き落としませんが、
心のなかで

「今日の私、子どもの学校行事にしっかり参加した。偉い私」
「今日の私、お腹痛くても耐えながら子供にご飯作った。偉い、私」
「今日の私、子どものヘマに対して怒らなかった。すっごい、私」

と、呟いたりします。
時には親以上に信頼している旦那様に同じような言葉で会話したりします。

「ねえ、偉くない?私!」
「うんそうだね、偉い偉い」

と、笑いながら言ってくれるだけでしたが、最近は旦那様も、

「ねえ見て、嫌いな納豆食べてるよ、俺偉い?」
と聞いてきたりします。
もちろん大げさに拍手して褒めています。

毎日、それを繰り返すのです。
私、偉い!すごい!頑張ってる私偉い!!
するとどうでしょう。
自分の中で、「私は偉い。よく生き抜いてる。よくやってる私。凄い!」と、この精神が定着するのです。

たとえ失敗した日でも、
「あの失敗を乗り越えて、今こうして生きてる。よくこの精神状態でがんばってる。偉い私」
と、生き抜いた自分を褒めているのです。

誰にも見られていない日陰の努力でも、自分だけは自分を褒めてあげるのです。
今、この日々を生き抜いている自分を、褒めるのです。

自己肯定感を上げる。大人になってからでも、遅くはないはずです。
自分は、頑張ってる。偉い。
生きづらいこの世の中を生き抜いている私達。
心もカラカラに乾いてしまいますよね。
そんな私達の心に、水をあげましょう。

凄い。偉い。

わたしたちは、生き抜いています。
わたしたちは、価値ある存在です。

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