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悪気は無いけど有害なこと


お世話になっている支援員にAさんという人がいる。
柔らかい感じの女性で、話しやすいのだが、1つだけ欠点がある。
何かと言うと、「女の子は〜、女の子なのに〜」、と繰り返す事だ。
私より年齢も高く、孫もいる。
この間、親戚の子供の話をしたら、「やっぱり女の子は愛嬌ですよね」。と言われた。

どうして女の子だと、愛嬌が大事なのか。何が"やっぱり"なのか。さっぱりわからない。
ですよね、と共感を求める形にも腹が立った。

女の子が"はたらくくるま"が好きだったり、活発だったりしたらいけないんだろうか。
(私はお人形よりチャンバラが好きな子でしたが…)。

今は、大型トラックを運転する女性や、日曜大工を愛好する女性、エンジニアや研究者として働く女性もずいぶん増えた。
逆に男の子が、読書好きの大人しい子だったらダメなんだろうか。ならば、男性作家や画家は、どうなってしまうのか。

もちろん、性差や個人差はあるが、Aさんと話すたびに、私の心はザワザワする。

「今はもうそういう時代じゃないですよ。そんなこと言っていたら恥ずかしいですよ。私は女の子だから、女性だからと言われて、ずっと嫌な思いをしてきました。他にも嫌な思いをしている人は、たくさんいます」。とはっきり伝えた。
(ジェンダーバイアスとか、ジェンダーロールとか、そういう言葉は使わなかった)。

「Aさんが言っていることを、お孫さんが覚えて学校で使ったら、"セクハラって言われるかもしれないですよ。
お友達に嫌われちゃったり、保護者から苦情が来るかもしれないですよ。先生にも、怒られちゃうかもしれませんよ。
社会に出たらもっと厳しい声が待っていますよ」。と次に彼女と話す機会があれば言ってみようと思っている。
できれば、電話口で遭遇したくないのだが。

当人に伝わったのか、伝わらなかったのかよくわからないが、とりあえず言いたい事は言った。
彼女は、天然というか、ふわっとしてるというか、支援を受ける側からすれば、少しばかり頼りないのだ。(受付の人として考えている)。
少なくとも私は、いざと言う時、この人には頼りたくないないな、と日々感じている。

私自身は、老若男女、すべての人に愛嬌も度胸もあったほうがいいと思うし、性別なんて関係ないと思う。

愛嬌で仕事したり、度胸だけで生きてるわけじゃないんだから。
ただ毎日仏頂面で生きているよりも、笑顔の方がいいし、ときには、清水の舞台から飛び降りる位の度胸が、人生には必要だってだけ。

同じ事業所の別の男性支援員Bさんに、泣きながら助けを求めたときに、「女の人は笑顔のほうがいいですよ」。と言われ、涙が一発で止まった。本当に凄い威力だ。(褒めていない)。さすがAさんの上司だ。
これまた同じ法人の別事業所の過去のトップには、飲みニケーションは、絶対必要的な事を言われたことがある。
(ご本人が大変な酒好きだっただけなのだが。プライベートで飲めよ、と言っておけばよかった)。

様々な理由で、お酒が飲めない人や、健康上の理由から飲みたくない人もいる。
お薬を服用している人の支援もしているのに、ずいぶん呑気なものだと思ったものだ。
(このおじさんには、早く嫁に行け的なことも言われた気がする…)。

仕事とプライベートを分けたくて、仕事関連の飲み会に行かない人もいる。
そこがなかなか伝わらなかった。
どんな関係性でも、酒の力を借りないと、交友を深められないなんて、大人じゃない、と思う。

酒は飲みたい人と、飲みたい時に飲めばいいのだ。じゃなければ美味くない。まずい酒ほど、こころに苦く、体に悪いものはない。

ここの法人歴史は長いけれど、かなり頭がカチコチだ。

いろいろなところから、委託を受けているけれど、だからこそ、気をつけて欲しい。
ピンポイントではなく、法人全体の意識改革が必要だ。

性別によって評価が変わったり、個人の能力や症状、性格と関係ないところで、判断される事は、支援の必要な人や、助けを求めてくる人たちの心を、更に抉り、傷を深くする。

私は、それぞれの支援員や、事業所及び法人を責めたいわけでもないし、大っぴらに批判したいわけでもない。

ただただ、その人たちの何気ない言葉に深く傷つく人がいることを知って欲しいのだ。
保護して慰めているつもりが逆効果になっていることも。

無知から出た言葉や、固定概念が、誰かを貶め、さらに追い詰めることにいい加減気づいて欲しいのだ。
社会は変わっている。歴史に恥じない成長を期待している。




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