「障害者」と「健常者」を分けて考える思考はナンセンスで、誰も幸せにならない話

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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

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よくSNSをやっていると

「だから発達障害者は~」

「発達障害者の人は~」

という当事者以外の方の否定的な意見や、当事者の方の意見をよく見かけます

私はこの言い回しや表現、立ち振る舞いは好きではありません

なぜならこういった

「自分は相手とより異なる」

「自分は相手より困っている」

「相手は自分より劣っている」

「自分は相手より優れている」

この思考により他者から「関わりたくない」と思われた段階で、

「偏見や差別」

が助長していくからです

これは「発達障害」だけでなく、すべての「障害」にも通じています

そもそも「障害者」と「健常者」を分ける前提の話自体がナンセンスなのです

「障害」は誰の目の前でも現れます

「足が不自由な人」にとっては「階段」が「障害」になります

「思考が苦手な人」にとっては「人との会話」が「障害」になります

「精神が病気になってしまった人」、「特性が強い人」は「日常生活」が「障害」になります


こういった話をすると

「全ての人が障害者になりますよね」

「なんでも障害にもっていくのはバカにされているようで気分が良くありません」

「なんでも発達特性のせいになりますよね」

という言葉をもらうこともあります

私は「おおむねその通りである」と思っています

バカにされている、自分のことを卑下されていると感じるかはその人の心情や思考でしょうがないですが、

「イラっとしてそれを相手にぶつけて対話を断たれる」とか「自分の想いを吐き出して周囲から総スカンを食らう」といったSNSでよく見かけるそういう些細な一つ一つさえ、

「障害化している」と私は認識しています


なので私は 自分の「生きにくさ」は全て「障害」であり、そこに対して

「原因を究明していく姿勢」

が必要不可欠であることを理解はしてもらいたいのです

そして、「他者に生きにくさを押し付ける姿勢」ではなく、「自分で何ができて、何ができないのか」を把握することが最重要なのです


ぼちぼち社会は「自分の障害はこうで、こう向き合ってる」とすべての人が言えるようにならないといけないと思っています

なぜなら、全員持っているもので、いつ「障害化」するか分からないのですから…

それは今記事を書いている私 「おがさん」も例外ではありません というか誰かと怒りに任せて議論している私も、自分の感情を抑えらえずに「障害化」しているケースなんてザラにあります


福祉に関わった支援者、当事者、ご家族の多くががこのような考えに至ります


障害者と健常者を分けることによって、垣根や境界線をはっきり引いてしまうと、差別の助長や社会への理解の機会も消えてしまう可能性を高めてしまう未来が予想されるからです

現在、日本社会では、障害に対する理解が進む過程であると言えます。しかし、まだまだ「みえないように」「見ないフリ」「誰かがやればいい」といった思想が多く存在しています

このような状況を打開するためには、障害者と健常者を分けることなく、お互いに「障害」「苦手さ」があること理解し、「どうすればいいか」を議論し結論を出していくことが求められます


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以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
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