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特性だから許される、許されるべきという思考はすぐに捨てたほうがいい話

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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

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よく発達支援界隈で話題になるツイートがあります 最近もありました

「この子は自閉症だから」という理由で他児の玩具をとってしまうお子さんを止めないご家族の話です

呟きの中でどこまで真実かは見極めることが難しいのですが、実際にこれに近い場面に遭遇したことはあります


私の場合は、おもちゃ売り場でうるさくしているお子さんのご家族がこの主張をされていました

近くにいた団体の方にめちゃくちゃにご家族が怒られていたのは覚えています



私もこの「特性を隠れ蓑にして、自分の行いを許してもらう行為」には普通に怒りを覚えますし、良くないと思っています

また、同じように「自分の苦手さ」、「弱さを盾に相手に無理強い、強制する行為」もです

似たようなこともありましたね

相手と議論をしている最中にうつ病であることを公表することや、様々な人に迷惑をかけた上でADHDであると公表すること

これらも記憶に新しいと思います

良くない理由として

ここで「仕方ない」と自分の心を押し殺した人は、もうその人、ひいては、それ以外の特性の強さ、障害を持つ方に対して「もう関わらないほうがいい」となってしまうからです

ご本人がどんな気持ちで行ったかは想像しかできませんが、結果としてそうなってしまう状況を作り出してしまうことが、社会への理解を更に遠ざける結果になるのです。どちらの立場でも良くない結果として広がってしまいます



これはその人のいままで悩みや苦労をないがしろにしよう という話ではありません

私は「特性や障害は大なり小なり誰にでもある」という考えをベースに思考するのですが、このような言動、行動をする人は 

相手の特性や事情をすっぽり抜け落ちているのです



「自閉症があるお子さんが玩具をとったお子さん」にも、対人関係の苦手さや突然の変更の弱さがあるかもしれないですし、

騒いだお子さんのいたレストランのお客さんの中に聴覚過敏の方がいるかもしれません

それは表面上絶対に分からないことです

それなのに、自分の事情や困りごとを一方的に相手に押し付ける上記のような行動は、煙たがられても仕方がない行為と言えます



もし上記のような場面に遭遇したら、私は普通に「支援」として注意や状況の調整をすると思います

事情や特性は双方向にあることが前提であり、片方がそれを侵害しているのであれば介入が必要だと考えるからです

支援者は「調整者」でもあります 
その調整は必ずしも誰にでも都合がいいものになることはありません

「自閉症があるから」といった親御さんに注意喚起や介入することで、大事なことに気づいてもらえるかもしれませんし、嫌われるかもしれません

もしかしたら時間をかけてゆっくり理解するところを邪魔することになったかもしれません

お子さん同士の調整をすることで、その場が収まるかもしれませんし、余計なことをするなと怒られるかもしれません

しかし、特性の強いお子さんへの偏見を強めるのを防げたかもしれません

こういうのをなんというか「手助け」、「介入」、「注意」、「調整」、「支援」、「補助」、などと言えばいいのでしょうか

特性や障害に関するこういった事柄に「正解」などないのです

自分のエゴを通しているだけになっているかもしれません

何も言わずに見守ることが正解かもしれません

そんな葛藤がありながら手助けや支援を行うことに意味があると思っています

そして自分の支援ができるだけ良い方向に進むように、知識や技術を身につけ、どういう結果になったのかを日々確認し、次につなげていくことを心掛けていくことが大切なのです



結構言語化が難しい話でしたが、結局何が言いたいのかというと、知識や技術を少しでも周囲の人が持っていると支援に携わってた身としては心強いのです
 
周囲が分かってると安心感も違いますし、誰かが間違ってもすぐに負担感少なく軌道修正できるかもしれないじゃないですか

そんな社会ができるといいなぁっと議論になるたびに思うし、私が記事を書いて周知していく意義にもなっています

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以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。

質問等あれば、書き込んでいただければと思います。

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