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某ツイートについて考えた話

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ツイッターで

「保育園で障害児は迷惑で邪魔」という趣旨のツイートが投稿され、炎上しました

私も普通に怒って、皮肉を込めたコメントをし、炎上煽りました

それに対して、冷静に諫めてくれる方もいた。大変ありがたく思います

しかし、基本的に私の気持ちは変わらないし後悔もしていません。がっかりされているかもしれません

支援者としてだったら

・冷静に情緒を統制し、落ち着いて関わらないとな

・この人も、自分のお子さんが学べないことに悩んでいるのかな

・もっと障害に対してわかりやすく伝えなければいけないな

とか思うかもしれません

ただ、私は今支援者ではないのです

特性が強く、それが障害となってもそれを乗り越えよう、付き合っていこうと頑張っている友人がたくさんいる一人の人間です

その投稿主に対しての軽蔑と怒りの感情は変わらないのです

私は、こういう感情を結構大切にしています。なぜ私はこんなに憤ってるのか その理由が後から考え、ついてくるからです

そして、その理由を考える、問うことが自分の成長につながるのを知っているからです

ツイートから1日経ってちょっと冷静さを取り戻しつつも、文章としてしっかりこの心の動きを文章化していきたいと思います

私の怒りの原因

なぜ私はここまで怒りを覚えてしまったのか分析してみました

特性の強いお子さんは日々のその特性及び付随する苦手さと向き合っています

そんな今も頑張ってるあの子達、そして、それを支える支援者を無理解な言葉によって傷つけられたように思ったからです

「健常児の生活も考えなければならない」の言葉も確かにその通りです

でも大事にしてるものを頭ごなしに傷つけられて怒らないのも「自分」ではないと思ったのです

そもそもの話

必ずこの手の話題になると出てくるのが、「健常」、「定型」、「障害」という言葉です

私は正直 今のこの言葉は好きではありません

なぜなら、この言葉を使う

「相手と自分は違う」

「自分は相手より優れている」

と思考の根底にある人が、目に見えて多くなっているからです

「健常」も「障害」という区分も、実際あるようでないのです 特性が弱いか・強いか、苦手か・得意か・普通か だと考えます

そういう区分があるとして、SNSで燃え上がるような発言をする人間が「健常」と言えるのか

対人関係に課題があるのに、自身を健常側とし、相手を「障害」とし排除する
この構図自体が歪なもので、論理として弱いのです。浅いのです

この弱い浅い論理から導き出される

「障害を持った人は専門職に任せよう」

「別の学校を作ろう」

「別クラスを作ろう」

という意見は、福祉支援者と同じ結論であっても別物です。似て非なるものなのです

これは、
「自分に都合の悪いもの、めんどくさいものを見えない場所に置こう」
とする

「隔離」なのです

昔の日本の福祉施策もこういう間違いをしてきました

山の中にコロニーや作業所、支援学校が多くあるのは、日本の福祉施策の間違いの名残です

そして自称「健常」と名乗る人は、様々な案を提案してはくれますが、

・落ち着きのなさの固有覚が関係しているのか

・視覚的な刺激を抑えているのか

・奇声をあげるのは気持ちを落ち着けるためだ

とか

実際にその「特性」や「障害」に困っている人と関わった経験や知識がない人がほとんどではないでしょうか

イメージだけ先行し、妄想だけで物事を決めようとしていませんか?

大人全員の責任

人間の「障害」「苦手さ」「特性」と向き合うのは簡単なことではありません

それは全人類が大なり小なり持っているものです

そこから目を背けることは「人間とはどういうものか」 という知識や経験も得られないことだと思っています

「習わなかった、教えられなかったから知らない」と言えば、逃げられるでしょう

ただ、子どもを育てられるほどの年齢になった我々大人が、学べる脳みそと身体を持った「健常」と呼ばれる人間が

そこから目を背けることが正しいのでしょうか

我々が幼い時から今に至るまで、支援の必要な「障害」を持つ人は身近にいました

あなたの小学校にも、中学校にも、高校にも、会社にも、近所にも

なのに知らない なぜだとおもいますか?

見ようとしなかったからです。見せようとしなかったからです

・説明できる大人が身近にいない

・関わり方を伝える大人が身近にいない

そして、現在、知らない、みせられない、教えられなかった子どもが大人になり、こういう発言や身の振る舞につながっているのです

福祉、教育の敗北だと思っています

この現状を、今のお子さん達の将来にもっていってはいけないのです

私の姿勢

現在、NOTE、ツイッターで福祉観、子育て、発達支援、療育の発信をしています

知りたい、学びたい、という方に向けての発信です

結局、そういう学ぶ意欲がなければ、どんなに伝えても無意味なのです

相手を無理に変えようとも思いませんし

誰に対しても優しくはできないし、する必要もない感じません

ただ、目の前で困っている人や変わりたいと思っている人がいたら、手助けをする、応援する

そういう自分の在り方を再確認できた出来事でもありました


以上になります。

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
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質問等あれば、書き込んでいただければと思います。

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