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苦手さの「受容」というものについて考えてみる話

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福祉の世界にいると「受容」という言葉をよく耳にします

多く見受けられるのは、「障害受容」であったり、ターミナルケアの「死の受容」です

私個人の意見としては、この「受容」というものは時間がかかり、その人がゆっくり、時間をかけて行うことが望ましいので、支援者はもちろんのこと、身近な人でさえ、口を出すことではないと思っています

自分にこの「受容」というものを自分にあてはめた時に、

「自分の苦手さをどこで受け入れたのか」

ということを考えてみました

他者から指摘され、顔を真っ赤にして否定したり、笑ってごまかしてみたり、言いつくろってみたり…

あんまりいい思い出はないですね(´・ω・`)

ただ、これは自分の中の苦手さに対して「こうすればいい」、「自分はこんな苦手さを持ってる」と理解すると

そんな感情の波から解放されたように感じます。思えばこれが「受容」というのものなのか…

私は、人が何が自分のことを受け入れる時に一連の流れがあると感じています。というのも大学時に知った

精神科医のキューブラ―・ロス

が提唱した5段階の「死の受容モデル」が、自分の苦手さを受け入れる段階に似ており、参考になったからです

5段階は

1段階目の「否認」「隔離」
「自分はそうではない」とかたくなに受け入れられません
そのため、確証を得るために様々な行動をとります
いろんな人に尋ねたり、セカンドオピニオンや、機械の故障を疑ったり

そして、「自分は違う」と訴えても周囲はそれを受け入れることが難しいため徐々に孤立化していきます

2段階目の「怒り」

「なぜ自分だけがこうなのか」と周囲に怒りをぶつけます

なぜ自分ばかり苦しんでいるのに、お前は平気な顔をしているのだと当たり散らします

根幹にある気持ちは「うらやましい」です なぜ私だけが…と

これも「孤立」を更に深める要因になりえます

3段階目の「取引」

いうなれば「神」や「信仰」にすがるように「~をするから~してほしい」といったような
願いのようなものに変わります 死を回避するために取引を行うのです。これは寄付のような慈善活動や
相手の役に立つようなことをして、自分を救おう、もうちょっと時間をくれ、という行動が起きてきます

私見ですが、この段階で様々な商法に騙される方が多い印象です

4段階目の「抑うつ」

神へ祈っても無理、様々なことを試しても無理だと悟ると、憂鬱な気持ちになり、
感情で否定していた「死」というものにも理解が生まれてきます

5段階目の「受容」

「死」というものを自然の営みの一つとして、を自然に受け入れるようになる状態になります



簡単に書きましたが、私は結構これが自分の中で「苦手さの受容過程」としてしっくりくる部分があります

「どうしても認められないものを認めること」は、一度自分の中の概念を「死」「破壊」、という形でなくし

「新しい自分を生み出すことではないか」ということです

そんなことを繰り返して形成された今の自分は、以前の自分より結構好きです。

心が楽なのです

ごまかす必要がないのです

自然体なのです

もちろん、これが正しいとは言えません。個人の感想ですし、この5段階には批判的な意見もあります

さりとて、「こんな段階もあるんだな」と自分の段階は今どこか、見つけてみるのも、新しい自分の発見につながるかもしれません


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以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
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