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同じでも同じとは限らない


久々に思ったことを綴ります。

同じでも同じとは限らない。

これは、さまざまなことに当てはめて考えられます。

🍎🍏

例えば、りんごの横に、りんごがあったとする。

カテゴリ的には、同じりんご。

けれど、どこ産のものか、どのくらいの甘味か

どんな色か、どんな味か、どんな食感か考えると

実は同じじゃない。

似てるからわからないし、気にしない人もいる。

甘くてはちみつ入りのりんごは〇〇産、

さっぱり目のりんごは△△産と、

好みが分かれることもある。

人もそう。

カテゴリ的には同じ人。

けれど、出身によって、文化も違う。

抱く『普通』も違う。

ここが、潜在的に揉み消されて

根本的なことがごちゃまぜになると

結構厄介。

何かと同じになろうとしたり

何かと同じだろうと決めつけたり

何かと同じを強要したり

同じじゃないとおかいしいと考えたり

みたいなことがおこる。

△△産のりんごが〇〇産にはなれないように

いくら羨ましいと思っても、△は△。

りんごを食べたい!と思った人が

この思いに気づいたときに

△が〇になりたいなら

最初から〇〇産のりんごを選ぼうかな

ともなりかねない。 

△も美味しいよ〜!

そんな言葉をもとめたくなったり、

そんな言葉で△のブランドさに気が付けたり

人生にもいろいろな事実と、

考え方によるもどかしさが存在する。

健康そうな人と健康そうな人が並んで立っていても

片方は障害者とも呼ばれているかも。

でも、根本は同じ人。

呼び方って、どっちでもいい。そう思う。

海外に行ったら外人呼ばわりされたり

大人になっても親からは子供呼ばわりされたり

病院に通うだけで病人呼ばわりされたり

どれも本質的ではない。

自分はどう思ってる?

自分は自分。私は私。

一時的に外人になったとしても

私は私。

違う呼び方で呼ばれても、

自分は自分。

違うように見えても同じ価値。

同じに見えてもそれぞれの価値がある。

同じでも同じとは限らない

何事もそう。

この『同じ』にとりまくコンフォートゾーンを

突き破ろうとしたり、

逃げ去ろうとすると、

せっかくの個性が失われたり

乱れることもある。

だからときには、

熱いやかんに触れてしまったかのように

さっと身を引いたり

瞑想や内観したり

自分の心と向き合う時間も大切。

ここが感覚的に備わると

何かに成り切るために

頑張ったり

我慢したり

意思をころしたり

自己否定したり

本来しなくていいことが

減らせるんじゃないかなって。

.

同じでも同じとは限らない。

これも一つの、ただ思いついただけの言葉。

違うように見えて実は同じという考えもある。

自分の心が何を求めているか

言葉が気付かせてくれることもある。

思考→言葉。

言葉がお腹いっぱいになったら、

思考→(言葉)→行動なんてことにもなる。

あなたが今必要としている言葉も

案外近くに転がっているかも。

.

最後までお読みいただき

有難うございます☕︎

今回は、同じでも同じとは限らない。

について綴りつつ

言葉の面白さ、ややこしさ、大切さ

といったことも綴ってみました。

言葉は自由であり、無責任。

一つの言葉を信じたところで

幸せになるとも限らないし

幸せになるかもしれない。

ややこしくて面白い(笑)

需要がありそうであれば

またこんなかたちでふと思ったことを

たまに綴りたいと思います。

🚌

広島から島根へ向かうバスの中から✍️

今日も素敵な一日をお過ごしください☺︎





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