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仏陀の恩寵

善き友と交われ。
悪しき友と交わるな。

かの偉大なる仏陀はこのように説かれた。

善き友とは。
心清らかであり。平安寂静に至り。平静であり。心豊かであり。道を修め。カルマの重荷を下ろし。智慧があり。道の成就者であり。道の案内人であり。全ての者の母であり。全ての者の父であり。全ての者を平等に愛する者であり。全ての者の幸福を願う者であり。全ての者の苦しみを哀れむ者であり。全ての者を速やかに救いたいと想う者である。

このような者は善き友と呼ばれる。

悪しき友とは。
心乱れ。散漫であり。惰眠に耽り。煩悩に溺れ。欲楽に生き。智慧がなく。無知であり。他者を嫌悪し。他者を罵り。他者のあら探しに日々を費やし。傲慢であり。怠惰であり。嫉妬深く。あらゆる悪事を働いては。悪の心と果報とに喜びを見出だす。悪心を喜び。悪心を捨てず。悪心によって他の一切を傷つけ。ダルマを否定し。ダルマを吹聴し。ダルマを罵り。善き者にさえ怒りを発する。

このような者は悪しき友と呼ばれる。

善き友と交われ。
悪しき友と交わるな。

ある時。
お釈迦様の侍者であるアーナンダは次のように如来に問いかけた。

お釈迦様。
この善き友と交われ。悪しき友と交わるな。
という教えは修行の半分を占める程の重要な教えではないかと私は気付きました。

お釈迦様は答えました。

アーナンダよ。
そのようなことは二度と言ってはいけない。
この善き友と交われ。悪しき友と交わるな。
という教えは修行の半分ではなく修行の全てである。

お釈迦様はこのようにお答えになられました。

心は移ろいやすく。壊れやすい。
他の影響を一心に受ける心はよく正智し守られなければならない。心は周囲の影響に容易く染まり。悪童の周りにいては自らも悪心に染まる。ゆえに善き友と交われ。悪しき友と交わるな。諸々の心は周囲の影響化である。

善き友は隠れた財宝の在りかを教えてくれる。また他の者を見捨てることなく。財宝の在りかまで共に付き添ってくれる。善き友は多大な善福を他に与え。他の者が幸福になることだけを願い。実際にありとあらゆる修行の付き人となる。善き友と交わり不幸になることは決してなく。ありとあらゆる果報を享受するに至る。

善き友とは至福の宝庫であり。
智慧の財産であり。
決して逃してはならない不滅の財宝である。

善き友と交わりなさい。

悪しき友はあなたに終わりなき苦痛を与え。
煩悩に耽り。また他の一切にもそれを強要し。あかたも泥棒が仲間を募るように。他の一切を不幸に貶める。悪しき友と交わるな。かの者は不幸をばら撒き。周囲を煩悩の海に沈めてしまう。ゆえに悪友から離れよ。煩悩の牙は心に深く突き刺さる。心を堅固に勤めて。諸々の悪事。悪道。悪心。悪友から離れなさい。心は移ろいやすく。壊れやすい。諸々の悪しき法から離れなさい。関わりを持たないこと。これこそ最善である。

悪しき友は不幸の原因となり。
重く。辛く。激しい苦悩の原因となり得る。
人が苦しみを遠ざけるように悪しき友から離れなさい。

悪しき友の中にあっては不断の善福は生じ得ない。ならば悪しき友と関わる理由がどこにあろうか。それは私を傷つけるだけである。かように善き友と悪しき友とを識別する者は賢者であり。智慧のある聖者である。菩薩はそのような者と関わるべきである。

菩薩は菩薩の不断の善福を遮る者。すなわち悪しき友との交際を断つべきである。かの者は慈悲の対象となれども。善福の拠るべにはなり得ない。愚者。すなわち全てを反対に取り違える者は。善福の妨害者となり得る。

菩薩はより強力な慈悲心。すなわち菩提の心を自らで所有するまでは。他の一切の世俗的事柄から離れるべきである。心は鏡のように脆く。根なし草のように気まぐれであり。一瞬の油断の隙に容易く悪に染まってしまう。なればこそ周囲の警戒と恩恵は類い稀なものであり。すなわち仏陀が解き明かした。善き友と交われ。悪しき友と交わるな。この法の教えがより深遠な意味を持ち。如何にして善き友と交わり。如何にして悪しき友から離れようかという。不断の善福を生む正しき認識が心を占める。

かの者。
すなわち菩薩はかように仏陀の言葉を信じ。
仏陀の法の実践だけを拠るべとし。
ただひたすらに不断の善福に励むべきである。

実践的な法は汝に的確な成長を促し。
それは名医により処方された優れた薬のようなものである。

実践にこそ真理の花は咲き。
その結果生じる様々な果報は汝に多大な恩恵を与える。

花に水を与えねば枯れ果ててしまうように。
慈悲に満ちた心にも絶えず善福と功徳による花の如き雨を与えるべきである。

至福に満ちた心は平安であり。
寂静に満ちた心は智慧に溢れ。
冴え渡る光と共に無量の幸福を顕とする。

心は諸々の穢れを滅して光を放つ。
あたかも失っていた光を取り戻すように。
あたかも水を得た魚のように。
生来の光は衰えることなく輝き続け。
その力はより一層の功徳と智慧を生む。

観行。
すなわちヴィパッシャナーは生来の光と共に生じ得る。

止行。
すなわちサマタは生来の光に到達する為の手段であり。また生来の光に留まることを意味する。

止観の行。
すなわち智慧の生起と悟りの獲得は。諸々の無明を破壊し。あらゆる観念。穢れを放棄し。遮断し。一切を捨て去ることによってのみ。完全なる慈悲の見地。すなわちニルヴァーナは明らかとなる。

明らかな見地。
絶対なる止観は完全なる慈悲である。

その境地は語るに能わず。
語る者は不和であり。
智慧ある賢者は沈黙を以て答える。

ゆえに知りたくば体得せよ。
実践の教えを通して針の穴を通すように。
九次第定を駆け上がり。
欲界。色界。無色界を越え。
心を越え。カルマを越え。自我を越え。
全ての認識と誤りを滅してそこに座す。

如来が説きし諸々の法はニルヴァーナに至る為の手段である。

法を拠り所とし。法を友とし。法を愛し。法を敬い。法の実践のみを生きる目的とし。ただひたすらに仏陀の教えに励むがよい。

仏陀の教えの成就を以て。
人生の目的。また身体を得た目的は達成せられる。

命は解脱の為に存在し。
自己の究極の目標は真理にある。

かように智慧と信とを以て仏陀の教えに深く感銘を受け。その道を歩もうとする者は既に仏陀の恩寵を受けている。真理と巡り合うことも仏陀の恩寵であり。恩寵なしでは何事も成立し得ない。輪廻界全ては仏陀の恩寵の元にあり。絶えず雨のように降り注ぐ仏陀の恩寵は心を開いた者に深く降り注ぐ。その至福はまるで甘露のようであり。あたかも甘美な花の雨が降るが如しである。如来の恩寵に賜りし者。常に幸福に栄えよ。絶えず幸福であれ。仏陀に心を開くなら。その心は不断の至福を享受する。途切れることなく至福であれ。仏陀を愛する者。常に幸福に栄えよ。

慈悲と信とを以て仏陀に仕えよ。
我ら仏陀のしもべである。
仏陀のおもしべした通りに全ては起きる。
全ては仏陀の恩寵である。
全ては仏陀の御慈悲である。
一切衆生は仏陀に救われるがままに救われよ。
全ては仏陀の慈悲の御手の中である。
慈悲の御手に救われよ。
仏陀に深く深く感謝と祈りを込めて。
仏陀を敬愛し奉れ。

全ては仏陀の恩寵である。
全ては仏陀の恩恵である。
全ては仏陀である。

智慧ある者の智慧であり。
静まりあるところの静まりであり。
来ることも去ることもなく。
この世の全てであり。
この世の全てと無関係である。
一切に遍満するお方は一切と無関係である。
完全に独立した存在でありながら。
あなたは全てに満ちておられる。

遍在者たる如来は全てに顕る。
私はこの世の全てにあなたを観る。
あれもこれもあなたです。
草の葉から草朴。樹木。木々。花々。山々。
一切に至る全てがあなたです。
よってあなたを愛する私はこの世の一切を深く愛する。
愛するあなたがこの世の全てとなって現れているのだから。

私はあなたと。
あなたがお現れになったこの世界全てを愛する。

全ては仏陀である。

この世の全てが礼拝の対象である。

私はこの世の全てにひれ伏す。

限りない信愛をもって。。。




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