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【短編小説】少女が雨に祈ったもの

 あの娘の煌びく眼差しと色艶やかで麗しい唇は、まるでテスを見つめているようだった。彼女の処女を惜しみ、その日差しも、草の匂いが漂う影も愛した。これ以上底がないほどまで彼女の胸に沈んで、彼女は寂しさと安心と共に僕の手を離さない彼女の手は、僕の汗を吸い込んでいった。初めに僕が彼女の手を握ったとき、倦怠のオルゴールが僕の頭の中に響いて、情念など消え失せ、笑っていた。彼女はまた情念に憑りつかれ、彼女の世界のものはすべて重々しく、孤独で、笑いなどなく、嘆息を熱い空気に漏らしていた。僕らの凹凸は何にも埋まらなかった。しかし、互いの届く光を目を通してみれば、上下左右反転の自身の凹凸となって、自身らの隙間にぴったりとはまった。オルゴールは同じメロディーを流すことはなくなり、重たしいものは、言葉がそれにはいったようで、宙に浮いたのだ。僕が胸に感じる心地よさは、彼女の胸から滲む快さだった。共に依存しながらも、独立して生きており、互いにその存在を疑わしく感じるが、エロスが干からびた愛と抑えがたいほどの希望と、不条理で仕方ない天への嘆きが、僕らが発した言葉の通り道に散らばって、僕らはそれを頼りに笑いと涙を顔に浮かべて、互いに暗示し合い、汲み取った。僕らはお互いに自分のために相手の手を取った。ただ自分のためが相手のためてあることを、目というプリズムを通して分散することで理解することに時間はかからなかった。不安の我慾はいくつかの色に別れ、それらはそれに対応するもう一つの色と重なり、そして重なり合ったそれらが重なった。
 こんな僕らの都合のいい関係は、自分でさえ埋められない窪みを埋めてくれるが、相手がいとも簡単に自分を捨て、また相手を捨てられる。これにすぐ気づいてしまうと、自身の目の光をチラつかせ、憂鬱な人形となった。二人の間には炎は燃えていなかった。一人は自分の姿をした文楽人形をもち、もう一人は倦怠から生まれた屍の種を持っており、二人に共通な事といえば、二人は時間を引き延ばし、そこに自分の影を溶かしていたことだ。光って見えるものからは見えない影に人格のほとんどを色づかせていた。ある時、二つの影が重なったが、そこからは二つの光のどちらも見えず、それらが見えるところへ体を動かせば、影は相手の肌の感触を忘れてしまう。それどころか相手を消してしまう分自分さえ消してしまう。しかし二人は影同士が光を見れる方法を知っていた。ただそうするにはあまりにも二つの身体は遠かった。しかし、二つの身体が交差するよりも前に、僕らが互いの道を探す前に、既に道は捻れていた。もはや一度触れたのが奇跡だと、運命とさえ覚えるほど。僕は彼女の手を取ろうとしたが、彼女の手は冷たく、僕の手は彼女の顔を見る前に彼女から遠く離れた所で凍った。彼女は蹴りを入れ僕の手は砕けた。
 僕はそんな自分の右手が愛おしい。崩れ、腐って、痛々しい右手が。僕が右を向けば、それがたとえ痛みでも苦しみでも、生き生きとした記憶がいつでも蘇るのだから。

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