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代表中里コラム

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年末のご挨拶

年末のご挨拶

12月に入り、数え切れない人たちの心中を「今年もあっという間に終わってしまった」という言葉がよぎっていることと思います。

もちろん時間の概念的には「時間の速度」なんて考えられないわけですが、気づけば12月だったという驚きはとにもかくにも否定しようがありません。それは「駆け抜けた」というよりは「翻弄された」と言うべきものでしょう。

しかし、年明け早々、緊急事態宣言の再発令から始まったことを思えば

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ファミリーホームで哲学対話を

ファミリーホームで哲学対話を

緊急事態宣言が明け、ひさびさに混雑した電車に乗りました。乗客同士、意図せず体が触れ合う距離感も、このところ長らく経験しなかったものです。肘が服に当たる感覚はいつぶりでしょう。

しかし考えてみれば、他人同士の私たち乗客は、互いにゼロの距離で、世界で一番近くにいる二人ながら、そこにいかなるつながりも見当たらないのです。昨年来の「会えない」づくしを経た身には、こんな当たり前のことが十分すぎる驚きでした

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ことばを正しく使うこと

ことばを正しく使うこと

真実であることの価値がゆらぐ昨今の国内外の政治的状況が、「ポスト・トゥルース」と語られることが増えました。

しかし21世紀に限らず、かつてのベトナム戦争にまつわる米国の政治的状況について経済学者の猪木武德は、宗教的信念の希薄な民主主義社会においてことばへの信頼が脅かされやすいと指摘しており、思わず首肯するばかりです。

ことば自体、真実を伝えるだけのものではありません。謝ったり、約束したり、ある

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誰しも、生きる力を持っている

誰しも、生きる力を持っている

「くるしい、くるしい、こんなんは、生まれてこなんだら、よかったんとちがうか、みんながみんな生まれてこなんだら、何もないねんから、何もないねんから——」

川上未映子の『夏物語』第1部、母とふたりで大阪に暮らし、母への葛藤で長らく声を発しなかった12歳の緑子が、最後、母に向かって絞り出すように言った言葉です。物語の第2部では、違う人物から、たとえわずかでも、ほかの人々の幸せをよそにひどい苦しみを生き

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空に向かって落ちる

空に向かって落ちる

立秋を過ぎても、暑い盛りが続きます。

暑い暑い屋外では、つい前ばかりを凝視して一目散に涼しい室内を目指してしまいがちです。しかし、一年でもっともエネルギーに溢れた空は、立ち止まって頭上を振り仰ぐ者に力をくれます。

時刻を遅らせれば、これが織姫と彦星が年に一度の逢瀬を遂げる天空なのです(今年の旧暦七夕は8月14日)。

小さいころから空を垂直に見上げたまま歩くのが好きです。今でもたまにやれば、空

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多様性は、ただ「みんな違う」ということではない

多様性は、ただ「みんな違う」ということではない

多様性というものの価値をもはや問わなくてよい時代に、私たちは(ようやく)入りつつあります。

多様性(diversity)、あるいは包摂(inclusion)がLiving in PeaceというNPOにとって目指すべき星であるのは言うまでもありません。

しかし同時にそれらは、私たちの目には映らぬ、いわば特殊な発光をする星のようにも思います。

多様性とは、ただ「みんな違う」ということではありま

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権利擁護は、素朴な営みの先に

権利擁護は、素朴な営みの先に

昨年、『インディペンデントリビング』という、大阪を舞台に、障害者の自立生活運動を追ったドキュメンタリー映画が公開されました(田中悠輝監督)。原一男監督の『さようならCP』からほぼ半世紀、障害を抱える人のリアルを写した映像作品として、つぎの半世紀を見据える傑作だと思い、感銘を受けました。

劇中、印象深い場面があります。脊椎損傷で四肢が自由に動かない渕上賢治さんが、車いすのうえで仰向けになる格好で介

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反面教師から「こうなりたい」は出てこない

反面教師から「こうなりたい」は出てこない

一年がまるごと「コロナ」に染まって過ぎ、この四月、新年度を迎えました。

本来「始まり」とは、とくに子どもにとっては晴れがましいはずのもの。それが今年はいつにない陰りを帯びているのではないでしょうか。

もちろんその一部は致し方ないものです。しかし、わたしはその陰りのかなりの部分を子どもを取り巻くわれわれが作り出している気がしてなりません。

端的に言うと、大人たち(そして、社会)は子どもの信頼を

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誰もが光に気付けるように

誰もが光に気付けるように

「節分」という分かりやすい日に生まれた私にとって、今年、誕生日の代名詞である節分が誕生日の前日になったのは思わぬことでした。

半身がもがれるような、なんて大層なものではないけれど、入学式の次の日に初登校するような言いようのなさを感じました。

言いようのなさと言えば、節分に生まれた私は、世界に到来した福なのか、母の胎内から追い出された鬼なのか、というどう考えても仕方のない「究極の問い」を思っては

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閉じたくなる目を見開き、塞ぎたくなる耳をすまし

閉じたくなる目を見開き、塞ぎたくなる耳をすまし

元旦から数日遅れてのんびりと見た今年の初夢。私は、最高潮の熱気に包まれた東京2020オリンピックの開会式を自宅のテレビにかじりついて観ていました。目が覚めて呆然としたのは、言うまでもありません。

思い返せば、昨年の年始挨拶で私は「昨年は30年ぶりに元号が改まり、今年は56年ぶりにオリンピックが開催されるというタイミングで、私たちは時代の画期にいるかのようです。」とも書いていました。

「時代の画

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「存在」へのまっすぐな呼びかけ

「存在」へのまっすぐな呼びかけ

年の瀬も近くなってきました。今年はあまりに色んなことがあり過ぎましたので、今回は箸休めとして少し気楽な(取り留めのない)話をお許しください。

ずいぶん前ですが、その頃はまだ出会って間もなかった中学生の子に「挨拶って何のためにするの?」と聞かれたことがあります。

今思えば、それが何ともその子らしい「挨拶」なのですが、そのとき私は「『あなたの存在に気付いています』って伝えるためだと思う」と咄嗟に答

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いのちへの感度

いのちへの感度

哀しみと後悔のなかから見えてくることがある。

小さいころから「毎朝、背にまたがって登校できる犬を飼いたい」という土台無茶な望みを持って育った私は、10代も半ばを過ぎて、ついに家で犬を飼うことになったとき、まさに飛んで喜んだ。

ペットショップに行くと、産まれたばかりの子犬がケージにたくさんいた。兄弟犬に踏みつけられているようなちょっと頼りない犬になぜか心が動き、「あれがいいんじゃない?」と言って

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Living in Peace創設13周年によせて  共同代表 中里晋三より

Living in Peace創設13周年によせて 共同代表 中里晋三より

10月28日にLiving in Peaceは創設13周年を迎えます。

人間で13歳というと、「〇歳からの~」という本の多くがこの年代を対象とするように、来たるべき変化の予兆を感じつつ、新たな可能性を模索しようとする時期でしょうか。私たちもまた自らがそうしたステージにいることを自認し、新たな展開を模索しています。

2020年という、当初誰も予想しえなかった仕方で社会が大激変を蒙り、決して忘れら

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精神的幸福度がほぼ最下位 日本の子どもの幸福度について、いま問うならば

精神的幸福度がほぼ最下位 日本の子どもの幸福度について、いま問うならば

例年より一足早く学校が再開し、十分に夏を満喫できなかった子どもたちは残念でならなかったでしょう。

ただでさえ限られた子ども時代を、乳児から青年までかけぬける子どもにとって、失われた「ひと夏」は二度と取り返せないものかもしれません。

8月下旬、炎天下をマスクして登下校する子どもたちを見かけるたびに、この不確実な状況だからこそ、人生を歩み始めた人々にいかに寄り添えるかが問われると感じました。

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