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代表中里コラム

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綿あめと15周年

綿あめと15周年

少し前のこと、実家で3歳になったばかりの姪がデパートで買ってもらったカラフルな綿あめを大事そうに抱えているのに出くわし、ついいたずら心がわいた私は、どんな反応するか見たさに「わあ、おいしそう。いいなー、晋チャンも食べたいなー」と大人げなくもねだっていました。

案の定、いつも一緒に遊んでいる晋チャンからのお願いに困り気な姪を見ながらニヤニヤの私。結局すっごく迷ったあとで、「これはねー、あとでママと

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15年のときが流れ、そして

15年のときが流れ、そして

目の前に広がる道はきれいな方が気持ちいい。向かいにいる人は嬉しそうな方が気持ちもほころぶ。

だから、道に落ちているゴミを見れば、いやな気持ちになるし、そこに泣いている人がいれば、悲しい気持ちになる。

そうしたごく自然な機微の延長に、Living in Peaceの活動もある。
逆に、それが活動に関わる人たち一人ひとりの想いに根差していなければ、はた目にどんなに立派であれ、おそらくそれは無為な伽

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「誇り」という松明をかかげ

「誇り」という松明をかかげ

先日、高校生の対話の場に参加したさい、価値観の違う人同士がどうしたら一緒にいられるのかについて、彼ら彼女らの真剣な語り合いを目の当たりにしました。

他者とともに生きるときに不可避な、居心地の悪さや衝突、そして分かり合えなさを、居心地の良さや支え合い、そして理解共感へと反転するにはどうすればよいか。

そこで若い人たちが、今問わねばならぬという切迫感とともに問うていたものは、顔ぶれのまったく異なる

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ただそれぞれが、それぞれでいる

ただそれぞれが、それぞれでいる

「三つ子の魂百まで」と聞いて胸中をよぎるものは、人それぞれに違うかもしれません。

私の場合、3歳(ばかりか小学生くらいまで)のことはすっかり覚えてなく100歳もひとまず彼方ですので、10代から今にいたるまで、ということにはなりますが、その諺を見聞きするたび、密かに「自由」の二文字を胸のうちに温めてきました。

思えば、「自由」という言葉が何を意味するかもよく分からない時分から、一心に自由を願って

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楕円の軌道

楕円の軌道

一見して自分と遠く隔たったものから、忘れがたい示唆を受けることがあります。

1609年にヨハネス・ケプラーが発表し、「ケプラーの法則」として知られる諸定理は、夜空のはるか向こうで音もたてず運行する惑星が、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を周遊していることを明らかにしました。

途方もない時間、太陽をめぐって変わらぬ運動を続けてきた惑星は、いつも変わらぬ距離にいたわけではなく、絶えず太陽からの距

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声を聴くこと

声を聴くこと

およそ言葉というものが発せられるには、何らかそれを耳にしてくれるだろう他者が必要です。虚空に向かって言葉を吐く、といったことは文学的なメタファーに過ぎず、現実にはだれも進んでそんなことをしようとしません。

しかし、言葉が発せられるには、ただ音に反応する耳(センサー)があってもだめです。言葉は誰かに向かって何かを伝えたい意図をもって発せられるからです。伝わらないかもしれないけれど伝わってほしい切な

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〈からだ〉と〈からだ〉のあいだで生じること

〈からだ〉と〈からだ〉のあいだで生じること

いわゆる「幽体離脱」は、現在では心理的な「解離」の一種と解されています。その成立に多くの人が関心を寄せるのはなぜかと言えば、それはもちろん、通常、そんなことは起きないからです。

実のところ私は、むしろそちらの方が不思議でならない口ですが、私たちの体は、どれだけ移動したとしても、私たち自身から離れません。私たちは誰もが自分(だけ)の〈からだ〉を持っています。

そして考えてみれば、私たちはみなそれ

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倫理は「痛み」を内包している

倫理は「痛み」を内包している

「これは○○だけのものじゃないんだよ。みんなのものだから、みんなで使おうね。」

おもちゃでも、ゲームでも、ぬいぐるみでも、ある子が「みんなのもの」をひとり占めして、それを他の子が使えないでいるとき、大人であればこう言葉をかけるでしょう。そして、多くの場合、子どももそれを了解すると思います。

おそらくそれは、それが「正しい」ことと分かるからです。でももしかするとそれは、ずっと元をたどるなら、はる

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人を好きになる力

人を好きになる力

さして空想癖があるわけでもない私なのですが、真夜中によく散歩をするので、人通りのない大通りを見つけては、見えない「空気の車」が自分のからだを突き抜けるのを感じながら、車道の中心線を歩いています。

あるいは歩道から、車道が運河と転じて、「空気の大汽船」がさざ波をわき起こしつつ、ゆったりと運ばれていくさまを一人眺めていたりもします。

むろんこれらは、現実ではありません。しかし、同時にそれらは私の日

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「臨在」すること

「臨在」すること

先月、大寒の日の夜、家路半ばの横断歩道で前方に、不自由な足を何とかキャリーケースで支えながら一歩一歩まえに進まれる高齢の男性が、ある既視感とともに薄闇のなかを浮かんで見えました。

それは、かつて数えきれないほど夢に見た私自身に重なる姿でした。10代後半から20歳過ぎまで私は、立ち上がることすらできない力に圧倒され、地面にへたり込みながら、それでも何とか必死で横断歩道を渡ろうとする夢を、繰り返し見

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「明けましておめでとう」の言葉

「明けましておめでとう」の言葉

新たな年が明けました。

新型コロナウィルスが猛威を奮って3年目、昨年に続き、私たちは今一度、新年を恐々と迎えています。

しかし社会が今ほど安定もしていなく、誰もが寄る辺なさを抱えながら生きざるをえなかったさほど遠くない時代まで、人はいつもそのような思いで年を越していたことでしょう。

身の周りを清め、厳かな面持ちで、来たるべき年と向き合うときに、私たちは「おめでとう」と互いに言い合うのです。

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年末のご挨拶

年末のご挨拶

12月に入り、数え切れない人たちの心中を「今年もあっという間に終わってしまった」という言葉がよぎっていることと思います。

もちろん時間の概念的には「時間の速度」なんて考えられないわけですが、気づけば12月だったという驚きはとにもかくにも否定しようがありません。それは「駆け抜けた」というよりは「翻弄された」と言うべきものでしょう。

しかし、年明け早々、緊急事態宣言の再発令から始まったことを思えば

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ファミリーホームで哲学対話を

ファミリーホームで哲学対話を

緊急事態宣言が明け、ひさびさに混雑した電車に乗りました。乗客同士、意図せず体が触れ合う距離感も、このところ長らく経験しなかったものです。肘が服に当たる感覚はいつぶりでしょう。

しかし考えてみれば、他人同士の私たち乗客は、互いにゼロの距離で、世界で一番近くにいる二人ながら、そこにいかなるつながりも見当たらないのです。昨年来の「会えない」づくしを経た身には、こんな当たり前のことが十分すぎる驚きでした

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ことばを正しく使うこと

ことばを正しく使うこと

真実であることの価値がゆらぐ昨今の国内外の政治的状況が、「ポスト・トゥルース」と語られることが増えました。

しかし21世紀に限らず、かつてのベトナム戦争にまつわる米国の政治的状況について経済学者の猪木武德は、宗教的信念の希薄な民主主義社会においてことばへの信頼が脅かされやすいと指摘しており、思わず首肯するばかりです。

ことば自体、真実を伝えるだけのものではありません。謝ったり、約束したり、ある

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