#エッセイ
体の中の音は何よりも近く。命がノックする音が聞こえる。
私は音を聞くことが好きである。そして海中を思う。あまり響かないのか、響く最大の波長を聞こうと頑張るかの、ただの実験的毎日に過ぎない。海中で消えてしまうような無意味な音は泡に似ていると思う。聞くことは、書くことに変換して増殖する。泡が分裂するように。聞くというのは、その季節や1日の時間の移り変わり、バイト先での音楽やら駅のたくさんの動的なものが含まれた場所の音の収集作業だと思う。 それらが 「言葉
もっとみる見送られるのはエンドロールの前に
緊急事態宣言は 1ヶ月ほど経ちすでに感覚が融解している。
最前線を片隅に皆がネットを徘徊し、粛もその言葉の意味をなさなくなっている。モニターの層に存在する社会は、悲しみが際立って何もつかみ取れない。
申し訳なくも、パソコンの前で意味のないキーボード演奏を続けるのは悲しいけれど、こうしているしかないのです
今日は雨音が少し道を打ち付けてきて、辺りを、頭の中を、エコーが縮小していく。跳ね返る
刺さらぬはずの、棘が指に食い込んでくる。
私たちの暮らしはすでに夜が増えている。仕事を迎えない朝が続くことは奇妙であり、日差しだけ妙にリアルで、息苦しい。 日に日に増えていく、赤の濃淡でマッピングされた、 この、見たことのない世界地図は一体何だ。
夜までに、だんだんと私達は、実に弱い貧弱で寂しい集団になり、モニタの中のシェアハウスに出たり入ったりする。 明かりのついた