テグジュペリ 「夜間飛行」について

自分は、経験してきた今までの仕事に対して、磨き上げた満足感という感覚がこれといって無い。何について、どれだけ深く追求し、愛という時間を込めたのか、自分の中の神さまに使えたんだ。と言い表せるような諦めに似た澄んだ気持ちになってみたいと、サン テグジュペリの「夜間飛行」を読みながら思う。

その当時の飛行士は、決して誰も現場を見ることのできない、夜という黒い海の中、完全な孤独と経験にゆだねられていたのだなと感じた。そして仕事と、それを行う人に対する深い感情を思う。描かれている飛行士たちの見る空の景色や機内の暗闇に、静謐なソナタのように静かな心地よさに包まれてその意味を独占したいような気持ちになる。しかし作者のテグジュペリはこの物語に暗示するように消えてしまったのだ。明け方の明星のように光って、その安息の景色を見たにちがいないと思う。

経済的な争いと、第二次世界大戦に入っていく時間の中で書き残された小説の存在は彼のその強靭な精神に感謝するしかない。当時話題にもなったようで、幾度も危機に包まれては生還する奇跡を見せたと記されているデグジュペリ。有名な作品、星の王子様 はそんな彼の金色の時代に描かれたのだと思うと、なおいっそう面白く受け取れて、自分が小さい子になった気持ちで現実の社会と子供心のギャップを感じとれる。日本にも神奈川に星の王子様ミュージアムがあり訪れたことがある。南仏の街なみを再現したかのような小さな世界観の中に歴史が展示されており、ファンにとってありがたい場所である。小さな観光施設の中に自分一人になれる想像があった。そしてとても優しい気持ちになりながら、彼の生涯を取り巻く壮絶な時代背景と想像力を感じることができた思い出がある。


読み進める中で、飛行士たちの壮絶な精神旅行を感じる。自分は全く生きる世界が違うことにもかかわらず、平凡に仕事や学業に文句や喜びを撒き散らしてきたことが恥ずかしくなる。主人公ファビアンの目にした世界に憧れる自分がいる。これこそ男性的、人間的ロマンと呼ぶものだろうか、と私はその香りを感じた気がする。この物語の中に出てくる登場人物たちの、感情を押しだまらせての仕事ぶりや、その背景に関わる人間の冷たい摩擦と、火花のような愛情を、世間とは懸け離れた飛行士の視線で世界を見せてもらえる。そして本来海軍に希望していたテグジュペリがたまたま航空の仕事に就くことになった軌跡も、それで正しかったのではないかと思える。空や上空から見た地表がとても美しくて、海や水の形容を使って描かれている夜空一つ一つのシーンが不思議な飛翔感をあたえてくれた。

仕事と命の描写をするためと、彼は飛んだという。飛行の時代に生きたひとりの作家は、夜間飛行のファビアンの見た世界のように、いまだ光の海を飛んでいる気がする。

夜こんな短い一夜の物語をとても長い時間をかけて読んだ。そして雨の頃の夜中に思う幾度も幾度も、これからも夜中に共に連れて行って欲しい、と思うのだろう。

さて現実的に自分の仕事に関してだが、やはり到底、満足したと思いきれない寂しさがある。しかし命を生きる仕事はどうだろう。常に孤独だ。そんな寂しさに飛行士の、敬意に満ちた仕事への心の見方をしてみたくなるのは、やはり星の小さな王子様の心と共にまだ何にも未知と思える、幼い自分を忘れられないからだろうか。そうだ、王子様も、ファビアンも孤独の中に愛を見ていた。夜の星座のようにいろんな形の愛のつながりだ。

もしも幸運なことに自分も幾億の星を見たなら、自分はその時何を思うのだろう。その中に小さな王子様や勇敢な飛行士がいることを思い出さないといけない。そのことがきっと、一人一人出あった人への手紙のように、澄んだものになることと、この上ない喜びを思い出させてくれるだろうから。サンテグジュペリが星になった日が近い今頃を、私は遠く雷が聞こえる夏の入り口の季節と共に思い出して行きたいと思っている。




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