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知らない先
未来を見る力なんて無い。今しか感触は無い。
大変な時代になってしまったと人はいつも思うのかもしれない。いつも主語は曖昧で飽和している気分でいる。集合意識というものがあるのなら、どこまでが自分でいられるのかと思う。
今の社会の動きの中、過去という織物に織り込まれていくようで気持ちが圧迫されていく。知らない時代の糸を受け入れている今は、生きることに対して陽を感じることが本当に必要だろうか。
少なくとも自分にとっては強烈な何かが必要だ。それが陽であれ陰の要素を持っているのであれ、強烈な何か。満ち足りた時というのが幸せかどうか信頼できない。しかし私は潜んだエネルギーの存在を限界で待ちたいと思う。とても平穏ではないだろうし、その乱気流に抵抗し、奇跡的に飛べる機体のような人間の力というのがどんなものなのかと妙に冷静にさえなってしまうとかもしれない。
それはとても危ういし、周りから遮断されたように思える。きっと恐ろしいような虚無が襲ってくるのだ。そしてその前に世界が反転するまで目をこじ開けられ無理やりに感光を焚かれるかのような苦痛がある。けれど全て見える一瞬はとても鮮やかで仕方ないだろう。
そんな夏の終わりにいること、むせる暑さに超えられない透明な壁を見た気がする。宙だけは、雲の名前を変えていく。しかし次の季節がこんなにも遠く感じる。回るものの大きさを考えてしまった。遅刻の気配のする秋は私たちを訪れてくれるのだろうか。
まるで自分を感じない状態までに、強烈な集中と突破する思いに似たもの。それを自分のエネルギーと思いたい。高みでも底辺でもない、今の視界の高さの全て、飲み干す力を何かにいつも私は何かに、扉を探してしまいそうになる。水平線を見るように全てを見たい。
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