見出し画像

刺さらぬはずの、棘が指に食い込んでくる。

 私たちの暮らしはすでに夜が増えている。仕事を迎えない朝が続くことは奇妙であり、日差しだけ妙にリアルで、息苦しい。           日に日に増えていく、赤の濃淡でマッピングされた、          この、見たことのない世界地図は一体何だ。 


 夜までに、だんだんと私達は、実に弱い貧弱で寂しい集団になり、モニタの中のシェアハウスに出たり入ったりする。              明かりのついたビルやマンションの、蛍光灯やカーテンに光の彩りを見る。短い歴史のステンドグラスの物語のように、朝にはすっぽり消えてしまう。     


 コンビニに行こうと外へ出ると、ゲームの中に落とされた気さえする。皆が口のないロールプレイングゲーム中に、話しかけるとヒントをくれる、あの人物たちのように蠢いている。                    この狭い都市の中、人生と言うダンジョンをクリアしていくのはとても難しいように思える。視界に入る人の表情が、障子より薄い紙の下で読み取れないからだろうか。情報は多いのにとても少ない。

                                  夜が覆いかぶさっている街の時間も、海底都市のようで。        いくらか重力を感じない。これが非日常に慣れた日常なのだろうか。   ますます本当のささいな痛みさえ覚えていない。            この感覚は、夢の中の眠りなのか、これからの未来を映しているのか。  私には今がスクリーンかモニタでの、残像としてしか感覚が無い。    


オンラインもリアルラインも似たような安堵感を得られる今。      裏で忙しく走り回る人だっているし、報道の一言が全てではないというのにどうして答えをくれる方を選んでしまうのか               これから、どうなるんだろう。ひっくり返ってしまった日常の中で自我を取り戻す特効薬は、刺激と痛みだと私は思うってしまう。        普段は特に必要ではないのに、どうして人は生まれた痛みを懐かしむ。  周囲との摩擦、忙しく動きまわる状況、常に風が何かを動かすような中での棘が刺さったような、小さな痛みなんだ。


 救いであるはずの信仰心の対象が、結局は世間体であっても、     それぞれ個人はむき出しの嘘のやり場を、持つ者は持ち、密やかに内なる監視に見守られているポツネンとした寝床から               朝が来ることだけ寛容に受け止める。このルーティンする偽りと真実の間に、人はどれだけ耐え、                       何処までたどり着けるのだろう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?