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戦前の海軍の航空機開発 広島県呉市広 広海軍工廠 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 余り知られていない広島県呉市広 広海軍工廠のでの航空機開発·製造のお話です。

 大和ミュージアムの展示の中に広海軍工廠がありました。
60年以上生きていますが、初めて知りました。

 展示内容は大和ミュージアム : 呉市海事歴史科学館 常設展示図録のP32-35に詳しいので詳細はそちらに譲ります。

 良く知られた広島県呉の中心から岬一つ越えた先も引き続き呉港でそこに広海軍工廠は有りました。

 今でこそ休山トンネルが2002年に開通して呉市街と広島県とは簡単に行き来できますが、それ以前は呉越峠経由で陸上交通の便は余り良くありませんでした。そんな地に何故広海軍工廠が発展したのか。

 そんな広、そもそもは呉海軍工廠の一部であった広支廠が広海軍工廠として大正12年に広海軍工廠として独立しました。零戦と並ぶもう一つの雄、局地戦闘機紫電改も広がルーツとのことでした。

 以降昭和7年に横須賀に海軍航空廠が開設されるまで日本の航空機技術開発·生産をリードする一大拠点でした。
 艦艇製造拠点に近いので金属製の飛行艇では独壇場だったようです。

 知らなかった。

 つまり呉市では戦艦大和の製造と航空機の製造が行われていたのでした。

 ファシズムだった日本は第二次世界大戦に敗北して良かったのですが、もし戦艦ではなく航空機の開発·生産に重点が有ったならと考えると…

 広島県呉市を訪れて歴史観、特に日本史についての勉強不足を痛感しました。戦前の海軍の航空機開発については特に無知に近かったと。

蛇足
 与えられた時間が有限なので何に使うかの優先順位を意識して生きてきました。サラリーマン人生の現役を離れて時間管理の自由度が格段に上がったことが良かったと感じて居ります。

超蛇足
 縁有って訪れた呉の奥深さに感動しています。

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