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発達障害的、コミニケーションの苦労や生きづらさについて。

発達障害者は、よく生きづらさを抱えていると言われています。

ここで、当事者達の抱える生きづらさについて考えていきたいと思います。

ASDやADHDは、興味無い話には、全くついてこれません。

ましてやASDは、世間話に興味関心がなく、話がコロコロ飛ぶことについてこれません。

ニッチで雑談の幅が狭いのです。

仲良くしたい人とだけ、仲良くしたいのです。

変化に弱く、臨機応変に物事に対応するのが苦手です。

しかし、日本社会ではそれは許されません。
色んな人と協調性を持ち、色んな話題についていき色んな人と平等に仲良くしていかなくてはいけません。

しかし、ASDにはそれは苦痛だと思います。
興味関心や共感の幅が狭く、それがどんなに辛くても理解されないもどかしさもあることでしょう。


ADHDは、Neが優位に出やすいと言われています。
Ne(外向的直感・×N×P)の持ち主は、可能性を模索し閃やアイディア、パターンや真相を探ったり、空想や妄想、仮定の話などで
いわば抽象的です。

1つの場所に留まることが苦痛で、次々と新しい物事を模索します。

色んな可能性を模索したい、閃きやアイディアがわく、冒険心がある、好奇心旺盛、理想や目標が高い…しばしば、空想や妄想に浸る…


しかし、日本社会は内向的感覚(×s×Jタイプ)優位な世の中です。

外向的直感(×N×P)優位な者は、現実的できっちり物事を進行させる世の中には、対局的な存在のです。

幾ら、新しい閃きやアイディアをおもいめぐらせても、多くの者から、理解されません。

「堅実的ではない。」「何、フワついてるんだ…」「もっと、現実を見ろ。」「頭おかしい」「ついていけない」「真面目にしろ」「ミスを無くせ」「ちゃんとしろ」「飽きずに無駄に理想を掲げず、ひとつの会社に長く働け!」などと、思われかねないでしょう。

感覚や、価値観、思考が全く合わず組織的では無い…

しかし、×N×Pの人達は、現実的で計画的、断定的、組織的な感覚が苦痛なのです。

現実に堅実的な思考が、どうしても苦痛で理解が出来ないでいます。

【引用⠀】

感覚型(S型)が優位な人は、地に足がついた考えを持つ反面、想像力ある自由な発想を苦手とすることがあります。
直観型(N型)が優位な人は、今ここにない新たなアイディアを思いつく反面、現実とは乖離した思考をすることがあります。

これらの多数派優位の社会の中で、上手く適応していかなくてはなりません。

こうして考えていくと、ASDとADHDを併発した人は、かなりハードモードです。

二次障害を併発した人が少なくないのが、頷けます。

こうして、発達障害障害は、組織的で集団的、現実的できっちりカッチリした日本社会が、息苦しく感じてしまうのではないでしょうか?

個人主義で自由な社会なら、発達障害者も生きたすぃ社会になっていたのに…と、思うしかありません。

ダイバーシティ、多様性、共生社会は、まだまだ言葉だけで、理解されない生きづらさを抱えた人が少なくはないと、思うのでした。



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