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芸能人、いちばん美人が必ずしもいちばん人気じゃない。学級の子どもたちを見ても確かにそうだ。

「あ、この人、かっこいいな」
「可愛いな」
 テレビを観ていると、そう思う、あまり見かけない俳優がいる。
 演技力だって悪くない。
 でも、あんまり出ているのを見かけない。
 このあたり、何が違うのだろうかと思う。

 芸能界を見ていると、外見の素晴らしい人たちがたくさんいる。
 なるほど、だから芸能人になっているのだなと納得だ。

 もちろん、バイプレーヤー、脇役、三枚目として芸能界で活躍している方々もいっぱいいる。
 世の中、イケメンばかりではない。
 ドラマづくりでは、いろいろな年齢、外見の人が必要だから、当然ニーズがあるわけだ。

 ところで、外見がイケている人にしろ、ユイークな人にしろ、テレビを観ていると、売れている人は、あっちのドラマにもこっちのドラマにも出ている。
 売れていない人は、もちろん、そうではない。
 この違いって何なのだろう。

 かっこいい外見の男性や可愛い外見の女性は芸能界にいっぱい居るのだ。
 それなのに、同じ人ばかりを使っていると、その人のスケジュールを押えるのは難しくなってくるし、ギャラだって高くなってくるだろう。
 なら、同じくらいかっこ良かったり可愛かったりして演技力も同じくらいなのなら、スケジュールが空いていてギャラも安い人を使った方がいいではないか。

 毎年、仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズにはたくさんの新人俳優が出演する。
 かっこ良かったり可愛かったりする男女の俳優が目白押しだ。
 新人同然の人たちばかりだし、演技力もみんな同じくらいだ。
 だが、その中で、出演していた仮面ライダーやスーパー戦隊が終わっても、次々仕事が入り、一般のドラマでも主役級で大活躍していく人もいれば、仮面ライダーやスーパー戦隊以降はあまりテレビで見かけなくなる人も少なくない。

 容姿も演技力も同じくらいなのに、どうしてこんなに大差が開いてしまうのだろうと思う。

 いろいろ要因はあるのだろう。
 私からは同じくらいに見える容姿も、別の人が見れば明らかに
「こっちの人のほうがいい!」
というのがあって売れるのかもしれない。
 私からは同じくらいに見える演技力も、別の人がみれば明らかに
「こっちの人のほうがうまい!」
というのがあって売れるのかもしれない。
 所属する芸能事務所の力の問題もあるだろう。
 力のある芸能事務所は、仕事を取ってくる力や所属する俳優を売り込む力が、やはり大きい。
 そうやって、テレビに出る機会を増やし、特撮ファンだけだったその俳優に一般のファンを増やしていく――そうやって育てていくのだろう。

 あと私は、その俳優自身の人間性も関わるだろうと思う。
 まだ売れていない内は特にだ。
 礼儀正しい、時間を守る、台詞を覚える――こういった、俳優としてのこともさることながら、人間としての立ち居振る舞いがきちんとしているか。
 ここが重要になってくるだろう。
 同じくらいの容姿、同じくらいの演技力の2人の俳優が所属していたら、礼儀正しい者と礼儀知らずな者、どちらを売り込んでやりたいと芸能事務所としては思うだろうか。
 テレビ番組の制作陣だって、同じくらいの容姿、同じくらいの演技力なら、時間を守る者と遅刻ばかりする者、どちらを使いたいと思うだろうか。

 私がまだ小中学生の頃、雑誌で次のような内容の記事を読んだ。
 インタビューで、芸能界で大切なことは何ですかとの問いに対し、俳優だったか芸能事務所の人だったかが、こう答えていたのだ。
「挨拶ができること」

 これを読んだ子ども時代の私は驚いた。
 挨拶など、誰でもできるではないか。
 誰でもできる挨拶ができれば芸能界でやっていけるのなら、誰だって芸能人になれてしまう!
 芸能界って、そんな簡単な場所なのか?

 だが、私もだんだん大きくなってくるにつてれ分かってきた。
 世の中、挨拶ごときができない人がいっぱいいるのだ。
 教員にだっている!
 子どもに対し
「挨拶しましょう」
と指導する立場である教員その当人が挨拶できていなくて、いったいどうして
「挨拶しましょう」
と子どもに指導ができる?
 手本になれる?

 たぶん、そのインタビュー記事は、小中学生にも分かりやすいよう、基本的な生活習慣として、小中学生にも挨拶できるようになってもらおうという、そういう意図のもとそんな内容になったのかもしれない。
 と同時に、たぶん、芸能界においても挨拶をきちんとできない人が少なくないというのも事実としてあったのだろう。

 もし、容姿や演技力が同じくらいで、挨拶できる新人俳優と挨拶できない新人俳優がいたら、ぜったいみんな前者を使うはずだ。

 芸能人も、新人の頃はきちんとしていたが、だんだん売れてくると態度が大きくなり、周りにぞんざいに接する人も出てくるらしい。
 数年前、当時売れに売れていた若手俳優がいた。
 しかしその俳優はトラブルを起こし、芸能界から去ることになった。
 そして見聞きするのようになったのが、その俳優が、現場でいかに態度が大きく、周りの人間たちが嫌な思いをしていたかという多くの報道だったのだ。

 当該俳優も、新人の頃は謙虚にふるまっていたのだと思う。
 ただ、売れてくるにつれてだんだん天狗になってきた。
 それを良く思っていなかった周りのキャスト、スタッフは多かったのだろう。
 トラブルが起きてその当該俳優が芸能界を干されると、手の平を返したように、次々と悪口を言い始めたのだ。
 まあ、それはそれで、倒れた者に鞭打つような行いであり、どうかとも思うのだが、そう言われてしまうくらい、その当該俳優は態度が悪かったのだろうなということが偲ばれる。
 もし当該俳優が周りの皆に気遣いを見せ、周りのスタッフ、キャストたちから好かれていた俳優だったら、そんな暴露記事が次々出るなんてことは多分無かったであろうから。

 人の人気とは、分からないものだ。
 単純に、「顔がいいから人気者」というわけではないからだ。
 学級に、とても容姿がいい子がいても、その子が周りから人気ナンバー1とは限らない。
 その子の性格、コミュニーケーション能力、運動ができるとか勉強ができるとか、いろいろなものを総合して人気が決まる。
 芸能界もそうなのだ。
 はたから見ていると、我々一般人は、まあ、その芸能人たちの外見しか分からない。
 その芸能人たちの言動をテレビ画面越しには見るが、それはあくまで演出されたものであって、その人の本質ではない。
 テレビでおもしろおかしくいい加減な言動をしているコメディアンが、実はすごくストイックで真面目で内気で無口な人だなんてことは普通にあることだ。
 いろいろ、総合的な要素によって、その芸能人が、俳優が、売れていくかどうかは決まる。

 校長、教頭といった学校管理職も同じだ。
 はたから見ていて、
「なんであの人が校長になれたの?」
「なんであの人が校長になれないの?」
という人はいっぱいいる。
 だが、そこには、はたから見ている者たちには知りえない、総合的なジャッジが働いているのだ。

 自分の評価を決めるのは他人だ。
 人の評価は人が決める。
 自分で自分を優秀だと思っていても、他人はそう判断しない場合がある。
 自分で自分を今イチだと思っていても、他人はそう判断しない場合がある。

 では、自分にできることは何だろう?
 物事に真摯に向き合い、礼儀正しく誠実であることだ。
 あとは、できることを一生懸命やる。

 そして、それをどう判断するかは他人が決める。
 それを謙虚に受け入れ、生きていくということだろう。

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