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『子供っぽい』という概念がどこからくるのか?

こんにちは、Mimiです。

今回は、『子供っぽいという概念に縛られる大変さ』について書きます。

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皆さんは、どういう時に『子供っぽい』という言葉を使いますか?

他人が泣いている時
怒っている時
文句を言っている時
楽しそうにきゃっきゃ遊んでいる時
ディズニーランドに行きたいという友人に向かって
飲み会好きの人に対して
ゲーム好きの人に対して


大人に使う『子供っぽい』という単語には、一般的にネガティブな響きが込められていますよね。

おそらくそれぞれの人が自分なりの感想があるのでは、と思います。


『子供っぽい』という言葉は、言ってみれば、『子どものようだね』という言葉からもともとは派生しているので、子供を想定させるものであれば何でも当てはまるのかもしれません。

これを書いている私も、各大陸をまたいで数カ国の海外に住んできましたが、

『子供っぽい』という言葉の使い方が国や文化でだいぶ異なる

というのを経験しました。

例えば、自分が住んだドイツの風習では、自分の誕生日にケーキを焼いて職場の人に振る舞ったり、自分の家でパーティーを開いたりします。

私自身も自分のお誕生日は大事にしているし、自分も周りにいる家族や友人にも楽しいお祝い日を過ごしてほしい、という思いがあるのですが、それを日本の友人に話したら

『いい歳して誕生日パーティーなんて子供っぽい。しかも自分でケーキを持っていって無理やり祝わせるなんて』

と言っていました。

いってみればケーキの無料配布なんですけど、、NGな人にはNGなのかもしれません。

このように、ドイツでは誕生日の人自らがケーキを焼いて配り、周りの人もそれに乗じて「おめでとう!(無料ケーキだ、わーい。おめでとうの一言でケーキもらえるなんてお得!)」となりますが、

日本だと「ケーキ自分で持ってきておめでとうって無理やり言わせるわけ?子供っぽい」という概念に変換される場合もあるようです。

もし、大人になってもお誕生日を盛大にお祝いしたい!と心のなかで思っている人がいれば、ドイツに行ってしまったほうが批判されなくてよいかもです。という結論になります。


つまり、子供に近い行動は大きな枠組みの中で『子供っぽい』けれど、

批判の的になる『子供っぽい行動』というのは、国によって異なる

という感じです。

もう少し心理的なことに関していうと、

『感情を出すなんて子供っぽい』という言葉を日本語でよく聞きます。『好き嫌いを顔に出すなんて子供っぽい』という言葉もたまに聞きます。

例えば、会社や友達のとの間であった嫌な出来事は、その場で我慢して、家に帰って家族にちょっと愚痴って終わる、くらいが良しとされています。

それが事実として子供っぽいかどうかはさておき、もし外で好き嫌いを言いまくってきたとしたら、おそらく

批判の的になる行動

であるとされる空気も一部ある気がします。

一方でドイツやフランスというのは、感情を出したり好き嫌いを表すのは日常茶飯事です。感情を出しすぎるのはNGとされますが、むしろ自分の好みというのは大人になるにつれてわかっていくものなので、大人の方が好き嫌いをはっきり冷静に言えるようになるという考え方があります。

加えて、例えばドイツの中では、『その場ではっきりいえず、不満を溜め込んで家に持ち込んでずっと悩んだまま、自分で解決するすべが身についてないなんて子供っぽい』という考え方をします。

『外の問題は外ではっきり伝えてその場で解決すべき。それをしないまま、家族との時間を不満のはけ口につかうなんて』という考え方が根底にあるんですね。

個人個人がその場で問題を解決して、家庭にはスッキリした気持ちで戻ってくるのが礼儀、というような感じです。


このように

子供っぽいという概念や、そもそも『こうあるべき』というような共通概念というのは、やはり地域性が色濃くでると感じます。

もっというと、自分が受けた教育・環境・社会のなかで、『子供っぽい』かどうかや『すべき感』を選別する基準が出来上がってくるため、

より同質的(homogeneous)な環境にいるほど、その基準が作られやすい

と言われます。


これは、文化や国の問題として捉えられがちですが、実は、人間の持つ心理や脳科学的なところから派生していて、例え何人であっても

誰でもその状況(同質的な環境)にいれば強い基準が作られがち

であるとも考えられています。


つまり、日本であっても、異質性の中に身を置く時間が長ければ異なるものへの理解は広がり、同質性の中に身を置く時間が長ければ『こうあるべき』という基準が強くなる、というものです。


そうだとすると

自分の身の回りの環境(職場、友人、情報ソース)などが、知らず知らずのうちに自分の考えに影響を与えているということなので、

環境を意識的に選ぶ必要があるのでは

と考えさせられます。


今日はこれで終わりです。

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