最近の記事

泥中の蓮

昨年12月に「呪いが解ける日」というnoteを書きました。SNSなどで想定外の反響があり、noteの「サポート機能」で30人近い方からサポートをいただきました。最近まであまりこの機能をよく把握しておらず、当時メッセージを送ってくださった方、個別にご返信できておらずすみません。ご自身の体験を綴ってくれた方や、書いてくれてありがとうといった内容のものが多くて、私は何もしていませんがお役に立てたのならば幸いです。 で、今日、このサポートでいただいた全額を、中央共同募金会(赤い羽根

    • 熱狂という蜃気楼の所在地について

      人生のほとんどを「エンタテインメント」もしくは「アート」と呼ばれるものに費やしてきた。ほぼすべての週末はライブ会場か劇場、そうでなければ静かな自宅で死んだように眠るという生活を送るようになって久しい。アイドルにバンド、シンガーソングライター、演劇、2.5次元、オペラ、バレエ、コンテンポラリーダンス、クラシック、古典芸能、歌謡ショー、お笑い、声優、ドラァグクイーン……どの舞台にもどんな役者やアーティストにもそれぞれにその瞬間にしか見られないエフェメラルな輝きがあって、それをどう

      • 対岸で燃える炎は美しいか

        劇場でダンスや芝居を観ながら、いつも心によぎることがある。 「この暗転のあとに世界のすべてが変わっているかもしれない」。 まさにそんな毎日だな、と思う。物語の展開の話ではない。この暗闇が明転したらそれまで見えていた何もかもが幻のように消え去っているのではという、うっすらとした恐怖と緊張のような何か。いま客席に座っている自分の肉体が胡蝶の夢でないという確証はない。 このところの一連の騒動と私生活の問題の挟み打ちでわりと疲弊していて、その中で観た作品がどれも今の現実世界とあまり

        • 遠い春の陽

          手帖をめくっていて、ふと2011年初頭の日記を見つけた。あまりにも楽しくて毎日が新しいことばかりで、書きとめなければ溢れそうになっていた数日間のぐちゃぐちゃのメモを。 そう、わたしの3月11日は、あの年最初の春の気配を感じて、はじめての海外での展覧会初日で、はちゃめちゃのパーティーで警察を呼ばれたりして、たくさんの才能ある優しい友人たちに出会って、歓楽街へ行ってクラブでおばちゃんDJのゴリゴリのプレイに大笑いして、うんと遊んで、猛烈にきらきらとしていたのだった。すっかり膨大

        泥中の蓮

          真っ赤なジャムのことをいつも考えていた

          ※2017年のお正月に書いてそのまま下書きにしまいこんでいた、誰に向けたわけでもない長いポエムのようななにか。2004年12月26日の「JAM」が今夜日の目をみるということで、ちょっとひっぱりだしてみることにします。 *  うるう年でない年に、今年は2月29日がないんだな、と思い出す人はどれだけいるだろうか。私たちは存在するものしか見つけることができない。不在のものを思い出すことは、とても難しい。 わたしがTHE YELLOW MONKEYというバンドと出会ったとき

          真っ赤なジャムのことをいつも考えていた

          呪いが解ける日

          2019年12月6日。いつものように慌ただしく出勤の準備をしながら、その僥倖は突然に訪れた。 * その日、NHKの「あさイチ」は作家・川上未映子の特集だった。彼女の著作「夏物語」を軸にトークが組まれていて、そのコーナーの一つとして「母に言われた忘れられない言葉」というテーマのメッセージ募集がなされていた。 番組中盤、いかにもNHKらしいほのぼのとしたいくつかのオカンエピソードがMCの博多華丸・大吉と近江アナウンサー、そして川上未映子のコメントを挟みながら紹介される中で、

          呪いが解ける日

          STARS ON ICE 2018@4/8 横浜アリーナ公演千秋楽

          久々に生のフィギュアスケートを観に行けたのでざっと感想などの覚え書きを。ただのポエムです。 紀平梨花/Symphony リンクに滑り出ただけでふっと真空になるような感じ。一挙手一投足を見ているだけでちょっと泣きそうになる清浄さ。 須崎海羽&木原龍一/Yuri on Ice 降り注ぐ音の粒が見えるようなスケート。動きのシンクロした瞬間に生まれるダイナミズムが海底の王国の叙事詩を眺めているみたいに幻想的、なのに力強い。うっとり。 坂本花織/アーティスト 想像していたよ

          STARS ON ICE 2018@4/8 横浜アリーナ公演千秋楽

          あなたとならば恋をしましょう

          全てのライブが祝祭のようだった2016年を経て、九ヶ月ぶりのライブを久しぶりと云うのが果たして正しいのかどうなのか、未だに彼らが当たり前のようにそこにいる世界との距離感を掴みかねているわたくし、イエローモンキーと過ごす二度目の秋。しかもこのツアーはファンクラブ限定ライブ、さらにこの10月8日はボーカル吉井和哉氏の51歳のお誕生日ということで、それはまあフワフワソワソワとしながら滋賀は大津へと向かったのだった。お天気、快晴。琵琶湖は澄み渡り、午後の日差しはオレンジ色に染まってあ

          あなたとならば恋をしましょう

          春の残像

          うららかな五月を迎えるよりも少しだけはやく、知人の結婚式に参列してきたのだった。某伯爵邸にて執り行われたその式はこれ以上ないほどの天気に恵まれて、燦々と陽の射す芝生の眩しいくらいの緑が瞼の裏に焼き付いている。毎日家に帰るとキッチンから漂うのは、活けた花束が仄かに放つ清らかな匂い。祝福の名残、そして初夏の気配。 今日はその横でスパニッシュオムレツと海老と枝豆のアヒージョを作った。澄んだオリーブオイルの色を眺めているだけでほんのりと嬉しくなる。朝はオレンジ、キウイの透けるよ

          春の残像

          左様ならの流儀

          ようやく長いトンネルの先に光が見えて、暗やみを抜ける一歩手前のところまで来たような、いま。お元気ですか。東京はすこし春めいた匂いがしていて、毎日うっとりするような夕暮れに心奪われています。 数年を過ごした職場を去ることを決め、別れを告げたのだった。数年と云えども濃密な毎日だったからもう十年も経ったような気がするけれど。入社早々に缶詰めになって三日間一睡もできなかったこと、山へ海へ西へ東へ奔走した過酷な現場から帰るなり上司にもう辞めますと言ってさんざんに謝られたこと、ぱたりと

          左様ならの流儀

          美しい希望の季節がすぐそこまで

          二十代の後半をバラ色の日々にするためにあと数ヶ月でなんとかしようと決めたのだ。で、そうと決めたら呼びこまれたかのように過去にしまいこんだものがふいに出てきて、それを一つ一つ整理している毎日。生まれた瞬間から持ち合わせている問題はほかの誰が解決してくれるわけでもないから自分でどうにかするしかないのである。業の深さにうんざりして一日でも誰かに代わってもらいたくなることもあるけれども、こればっかりは仕方ないよねえ。どれだけ仕事をしようと恋をしようと人生はひとり。 で、と言って関係

          美しい希望の季節がすぐそこまで

          この夜は誰のものでもない

          THE YELLOW MONKEYの復活ライブに行ってきたのだった。とんでもないものを見てしまった、―というよりも「出くわしてしまった」。プライマルで幕が上がる瞬間に黄金色の熱風がぶわっと舞い上がって何千人、何万人の多幸感が一瞬にして満ちたあの感覚、忘れられない。 二週間が経ったいまでもバラ色の靄がかかったように頭の中が朦朧としている。何百回となくライブや舞台へ行っているけれど、次元が違う、というのはああいうことなのかもしれない。あっけないくらい簡素なステージで、息を呑

          この夜は誰のものでもない

          サランラップシティにて

          戻った娑婆が混乱を極めており、全員が疲弊した血まみれの笑顔という感じの六月。昔はこの湿度の高さが嫌いだったけれど、いつの間にかそれにほっとするようになっている。今日みたいにすこし冷たくしっとりした日はジャスミンの夜という名の未亡人みたいな香水を少しだけ手首につけて、気を確かに保って、10cmのハイヒールで修羅の道を往く。 野性を失わずに生きたいなんて言う一方で、透明なビニールで全てが包まれていたら安心できるのに、と思う自分がいる。現代人は身体の二重性に引き裂かれているとは伊

          サランラップシティにて

          やさしい人々

          この春はしばらく仕事を休むことにしたのだった。 で、そうと決めたら驚くほど滞りなくなめらかにことが進んで、気づけば南の島にいたのが先週のこと。いわゆるバカンスというやつ。日本の海よりもずっと塩分濃度の高い水はとても浮きやすくて、口の長い透明な魚に囲まれながら空を眺めていたら鼻のあたまだけが灼けたけれどそれも幸福の名残といったかんじで悪くない。ありがとうバカンス。ありがとうボーナス。夜中の歌舞伎町でやさぐれながら決めた旅にしては素晴らしかったぜ。 ただただ優雅で怠惰に過

          やさしい人々

          すくい

          もたれかかったりよりかかったりすることの煩わしさと、その生ぬるい温度の心地よさについて。 その夜は梅の花が咲いた日だった。気心の知れた友人と駅前で合流して、賑わう呑み屋街を通りすぎ静かな小料理屋に入ったのが21時。そら豆、筍、銀杏、桜色の小海老、あんかけのお豆腐、あたたかい日本酒。冬がゆるんで春へと向かう、その幸福をあじわって命を満たすような食事。 だれかを救いたいと思うのって寂しいわ、と思う。どうしたってその人の暗やみには入っていけない。灯りのともらない部屋を外の夜道か

          すくい

          マーモットの咆哮

          友人を亡くして一年が経つ。 まだ正月明けのムードが抜け切らないような晴れた土曜日の朝、恋人の部屋で、やけに早い時間から携帯の通知音が何度も繰り返し鳴るのを遠くに聞きつつ二度寝、三度寝、四度寝ぐらいまでしたところでようやく起きて、その報せを知ったのだった。 のんびりときれいに澄んだ広尾の街をベランダから見渡し、いつもなら散歩にでも行こうかと言いたくなるような素晴らしい土曜日なんだけどなあと呑気に考えながら、決定的に何かが変わってしまったその取り返しのつかなさが目の前に迫って

          マーモットの咆哮