マーモットの咆哮

友人を亡くして一年が経つ。

まだ正月明けのムードが抜け切らないような晴れた土曜日の朝、恋人の部屋で、やけに早い時間から携帯の通知音が何度も繰り返し鳴るのを遠くに聞きつつ二度寝、三度寝、四度寝ぐらいまでしたところでようやく起きて、その報せを知ったのだった。

のんびりときれいに澄んだ広尾の街をベランダから見渡し、いつもなら散歩にでも行こうかと言いたくなるような素晴らしい土曜日なんだけどなあと呑気に考えながら、決定的に何かが変わってしまったその取り返しのつかなさが目の前に迫ってくるのを他人事みたいに感じていたことを昨日のことのように覚えている。冬の清らかな空気で眼球が冷えていく、その感触も。

呆然としているわたしに美味しい朝食をつくってくれたその人は珈琲を飲みながら、父を亡くしたときのことを淡々と話してくれた。もうずいぶん経つけれど、やっぱり魂みたいなものは残っている気がするよ、と彼は云った。

そして賑やかな渋谷をあるいて東急百貨店へ行き、数珠と袱紗を買った。

出張へ行かなければならなかったから告別式には出られなかったけれど、無理を言って通夜にだけは足を運んだ。友人の故郷の北国へ向かう新幹線の中で駅弁がもう春の気配を漂わせていて、その色めいた美しさに妙に胸がおどったのはたぶん、混乱していたんだと思う。

通夜の席はすっかり同窓会の様相を呈していて、やけに祭壇がポップなことや戒名が立派すぎること、友人の弟が兄よりもよほどしっかりしていることについてさんざんみんなで泣きながら笑い、飲んで食べて、さながら伊丹十三の映画のような風景だった。そして最終列車で東京へ戻り、始発で九州へ発った。

飛行機の窓の外はミケランジェロの絵のように豊かな雲と金色の光が満ちて
いて、どこかで天国へ向かう途中の彼に会えないかしらと思ってしまった。そしてそう思った瞬間に、彼の死を受け入れている自分に絶望した。

“空と地上のあらゆる境界線を越えてゆくよ”

“ねえ 許せないような偶然にも 僕らを導く何かが”

“最初で最後の命で あなたを見つけた”

イヤフォンから流れる歌が、すべて今のこの状況を語っているようだった。

はじめての九州の街はやさしく、仕事をしているときだけは全てを忘れたけれど一人になると無限に涙が落ちた。悲しいでもさびしいでもなく感情は停止したまま涙だけがずっと流れて不思議だった。雨上がりの博多の夜のきらきらした光、ビジネスホテルの熱いお風呂の温度、中洲の川べりの夜風、隠れ家のような夜中の喫茶店で飲んだ紅茶、なにもかもが美しくやさしく絶望的でそのたびに静かに泣いて、ひたひたと自分の輪郭がにじむような感触があった。

けれどそれに身を任せるのはある種とても居心地が良く、異国に迷いこんだような奇妙な気楽さも感じていた。好きなだけ泣いて、好きなだけ夜の街をさまよい、疲れ果てて眠りにつきながら、この旅のことは一生忘れないだろうという予言めいた何かだけがはっきりと胸のなかにあった。

あのころ形容できなかった感情は少しずつ悲しさや寂しさへ収束していき、今はもう涙ぐむこともほとんどなくなった。けれどまだ時おり、駅前の雑踏の中にふと亡くなった彼の幻影を見る。カーキ色のジャケットに黒の鞄を斜めがけにした背の高い後ろ姿を、とてもとても懐かしく恋しく思ってぐらりとする。

そんなとき、この動画を再生する。

果たせなかった約束や行き場を失った気持ちが宇宙まで届くようですこし、救われる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?