左様ならの流儀

ようやく長いトンネルの先に光が見えて、暗やみを抜ける一歩手前のところまで来たような、いま。お元気ですか。東京はすこし春めいた匂いがしていて、毎日うっとりするような夕暮れに心奪われています。

数年を過ごした職場を去ることを決め、別れを告げたのだった。数年と云えども濃密な毎日だったからもう十年も経ったような気がするけれど。入社早々に缶詰めになって三日間一睡もできなかったこと、山へ海へ西へ東へ奔走した過酷な現場から帰るなり上司にもう辞めますと言ってさんざんに謝られたこと、ぱたりと倒れて入院したとき病院から見える夕陽がとても美しかったこと、黒尽くめのスーツで真冬の早朝から詫びを入れにいったこと……どれも今になってみると笑い話ではある。ただ、笑うだけで済ませるにはからだも心も使い果たしてしまって、もうそろそろ、いいかな、と。

どんな仕事をしていたって辛いことや悲しいことはあるだろうけど、適当な性格のわりに古風というか、ひとに理不尽にあたることができなかったり、計算高くひとを騙すようなことができなかったり、そういうのがわたしの甘えで、そして譲れないところだった。仕事と生活の自分は別の人格だから大丈夫だ、そこを上手いことやるのが大人でしょう、と思っていたけれど、ずうっと抱えていくには毎日の擦過傷がもう治る間も与えられず深くなる一方で。好きなことをやって生きていくことを誰かが「血のにじむような遊び」と云っていたけれど、今ならその意味がわかるような気がする。幼いころの自分が眩しく眺めた世界に片足を突っ込むことができて、幸福だった。

さようならというのは「そういうことならば仕方ない、それでは」という意味合いだったと聞く。袂を分かちもう二度と会わない。再会を願う言葉ではなく、相手の幸福を祈るでもなく。今、まさにそういう気持ち。

で、新しい地獄へゆくのである。

どれだけぼろぼろになっても愛の予感がすれば迷いなくそれを選んでしまう自分に呆れるけれど、いつでも過剰にしかいられないわたしをよく知る友人が「後悔しないためには手を繋いだ相手と幸せになるしかない」などと云ったものだから、しばらくはそれを信じてみようと思うのだ。

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