見出し画像

檸檬読書日記 バームクーヘンを剥がし、モダンアート展を見て、ポーに惚れて。 7月15日-7月21日

7月15日(月)

打って変わって涼しい。快適、快適。
毎日これくらいなら良いのになあ。



似鳥鶏『育休刑事 (諸事情により育休延長中)』を読む。第2弾。

長期育児休暇をとっている刑事が、1歳になる息子に手を焼きつつも、子どもに関する事件を解決していく。

1巻もそうだったけれと、子育てに関する知識が豊富で、経験者だからこその視点や思考に、興味を惹かれた。
結構あるあるが多そうで、子育て経験者は共感が出来そうでより楽しめそうだなと思った。
子育てにおいて、大変な面での話が多く、読めば読むほど両親への有難みが…感謝しかない。
中でも、寝たと思ってそっとベッドに下ろすと、背中がついた瞬間にパッと目を覚ます「背中スイッチ」は、よく母親から聞かされていたから、赤ちゃんあるあるなんだなあと思った。
自分は特に昼寝をしない子だったようで、だから昼間はずっと抱っこをしていなくてはならなかったらしい。すみません。
そういえば今も昼寝しないな…。苦手なんだよなあ。どんなに眠くても絶対寝ないというね。その頑固さは赤ちゃんのころからだったのか。

赤ちゃんに絡んでいる事件ながら、トリックも独特で、子どもがいるから不可能犯罪になるなど、通常とは違う角度になるところが面白い。
ミステリーながらも、赤ちゃんがいるからか暗くなりすぎず、どちらかというとコミカルで、ほっこりする。
ただ、子育てに関しての問題も示されていたりと、考えさせられる面も多い。自分は特に知らないからこそ、より考えさせられた。
1つの生命を育てていくことが、簡単でも単純でもないということが。割り切れないこともある。愛情があっても、どうしようもならない時はあるのだろうなと。

このシリーズ、とても好きだからもっと続いてほしいなあ。
似鳥さんの作品、結構読んでいるけど、やはりコミカル系が好きかも。






7月16日(火)

うわぁ、今日も涼しい。嘘みたいだ。




「ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ」のバームクーヘンをもらった。
バームクーヘンの中で、これが1番好き。
卵感が凄く、バターと卵の匂いが押し寄せてくるのは、まさに幸福の極み。
素材本来の旨さが凝縮されていて、甘さも優しい。
きっちりと詰まっていて、ずっしりと重いのに口当たりは滑らかで良い具合の抵抗感。満足感はしっかりとありつつも、思わずまた手を伸ばしたくなる。
1度食べたら忘れられなくなる味。
プレゼントにもよく、これをあげておけば間違いなしだと個人的に思ってる。



バームクーヘン 十二単の 重なりと 同じようだと 思いてめくる

自分は1枚1枚剥がして食べる派です。






7月17日(水)

「びっくらぽん」と言っている人がいて、ぽんとはなんぞ?となった。
何処で仕入れてきたのだろう、ぽん。
ぽんといえば、EXITのポンポンポーンしか思いつかないけど、違うよなあ。
なんとなくスルーしてしまったけど、聞けばよかった。迷宮入りになってしまった。ぽん。



『村山槐多全集』を読む。


(略)

汝の仕事はただ一種である、それはよき芸術を創造する事のみである。

オレは製作慾不足を感ずる
墨なき時は泥を以て描かんずる製作慾が必要である。

(略)

汝は描かざるべからず
汝は突進せざるべからず
自動車の如く。

オレは描かなければならない、全力を以て描かなければならない
オレの仕事はその他にない、何もない
(略)
オレの眼は一途に「美」を面しなくてはならぬ
見ろ研究者の中にはかつかと燃えるストーヴにほてつて人間の肉体がオレをまつて居る
オレは描かう
何よりも先に力を尽して描かう
(略)
オレは描かなければならぬ、たゞ一つなるオレの武器は紙とチョークだ
あゝこれさへあれば
これさえあればオレはきつと勝つて見せる
あの怪物なる人間の肉体に
そして吸ひとつて見せる
血よりも美味なる「美」を
おれの腹の中へ
おれの中へ。

描きたい、描きたい
マジメにならなくてはだめだ
(略)
たゞ一途にオレに従わなくてはダメだ。

(略)
汝は大胆無類なる無頼漢なり。

来る物に抗らひこれを打て
負けるな
何物にも負けるな
汝自らを愛し拝せよ
汝これは全能なり
その証左をたゞ汝のヱの上にのみ示せよ
一切の文学的分子を排斥せよ。

体力を第一に作れ
(略)

「未来のわが製作をして……」


燃えている。
そうやって自分を鼓舞していたのだろうか。燃やしていたのだろうか。

この詩の中に「汝はピカソを崇拝するがいゝ」とあった。ピカソ、好きだったのか。でも確かに好きそう。裸体の書き方とか、ピカソっぽい。
美的感覚に対して似た匂いを感じる。






7月18日(木)


東京近代美術館『TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション』展へ行ってきた。

一言で表すなら「贅沢」
絵だけでなく、写真から彫刻まで、様々な芸術作品を拝むことが出来る。言うなればテーマパークのような楽しさ、ワクワク感がある。

作家も1人や2人ではなく、総勢110人という多さで、一度にたくさんの作家を見れるのは、贅沢といっても過言ではない。様々な作家を知ることが出来るから、視野も広がり新たな発見がある。
この作家とこの作家の絵は似てるなとか、影響受けてそうだなとか、こんな作品もあったのかなどなど。想像力が膨らんだり、知れるのは本当に楽しい。

個人的に好きな作家・知ってる作家の作品が多く、その点でも良かった。
写真家だと、最近知ったアンリ・カルティエや、絵だと、岡本太郎、岸田劉生、草間彌生、パウル・クレー、マルク・シャガール、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコ、奈良美智、ジャン=ミシェル・バスキア、パブロ・ピカソ、藤田嗣治、ピエール・ボナール、マリー・ローランサン。

中でもユトリロの絵を見れたことが嬉しかった。壁感を出すために、絵の具に色々混ぜて再現していたと知ったから、実際に見たかった。
近くで見たけれど、確かに混ざっているような…?明らかな異物感はなかったけれど、壁感はうっすらと。
後、ユトリロの白は確かに素晴らしかった。たくさんの色が混ざった複雑な白。個性を確立できてるって本当に凄い。

後は最近マティス展に行って見たから、その時とは少し違うマティスの絵を見れたのも魅力的だった。

そして佐伯祐三の作品!
「郵便配達夫」が見れたのは嬉しいし、彼の作品が結構あって、どれも凄く良くてやっぱり好きだなあと思った。少し仄暗い、昔のポスター系の色合い。ユトリロと少し似たところがあるから、だから自分はユトリロも好きになったのかもなあと思ったり。

そういえば、佐伯祐三好きの念が強かったのか、ガチャガチャ回したら1発でお目当ての「郵便配達夫」が出て驚いた。思わず出た瞬間「出た!」と少し大きな声を出してしまって、ヤバいと思って慌てて後ろを振り返ったら、生暖かい目で笑われてしまった。恥ずかしい。でも良い人で良かった。

ガチャで当てたやつ


本当に、まさかまさか。普段ガチャガチャなんてやらないけど、なんとなくやってみようと思ってやったら、まさか当たるとは…。全15種類あったのに…。ついてる。

絵以外でいうと、倉俣史朗の「ミス・ブランチ」を見れたのは嬉しい。

美しい


影も素敵

少し前にやっていた倉俣史朗展、本当は見に行きたかったけれど行けなくて、残念に思っていたから、ここで出会えるとわ…!

いやぁ、本当に良かったし、行けて良かった。Blueskyで知れて良かった。
「TRIO」展以外にも、常設展も凄く充実していた。
最近全集を読み始めた、村山槐多の作品や、藤田嗣治、岸田劉生、和物から洋物まで色々あった。結構充実していて大満足な美術館だった。

そういえば、常設展の中に高村光太郎の手の作品があって、確か昔上野の博物館かなんかで他の作品見たなあとフォルダを捜してみたところ…。

首。髪とかリアル。

あった。
今回見た手の作品の写真はないけれど、この2つ並べて展示したら面白そうだなあと思ったり。

美術館見終わった後は、せっかくだからと三越前まで行ってみた。


まず「日本橋三越本店」では、大好きな「ノワ・ドゥ・ブール」のクッキーを買う。

そして「コレド室町」に移動して「鶴屋吉信」で休憩。

あんみつ
抹茶パフェ


あんみつと抹茶パフェを食べる。
自分は抹茶パフェ。
抹茶が濃厚で、白玉はもっちもち、抹茶ゼリーは固めで自分好みで最高だった。少し甘めではあったけれど、一緒についてくる体に良さそうな独特お茶で相殺される。
あんみつも少しもらったけれど、さっぱりとして、おそらく柚子味の求肥がよりさっぱり感を増させていて良かった。黒蜜なくても十分甘いから、かけなくても良さそう。

そういえば、ここに入る時も良い事があった。人気なのか3組くらい並んでいたのだが、結構待ったもののなかなか呼ばれなかったのか、諦めた人達が2組いて、その後はすんすん進んでそんなに待たずに入れた。ついている。
今日はなんだかついていることが多くて怖い。
でも充実した1日だった。



たまに自分が怖い。
なんでこんなに忘れっぽいのだろう。
1度見て感動してるはずなのに、忘れてまた盛り上がるという。怖いわあ。自分で自分に呆れてしまう。
見てるじゃないかとなって、恥ずかしいわ怖いわで…。
特に名前は覚えられないのだよなあ…。
巻き込まれる方はドン引きだよなあ。なんだよこいつって感じだよなあ。申し訳なき。
もう余計なこと言うのやめよ。

いやぁもう本当に自分のポンコツ具合にはほとほと呆れる。
今日も何度もやらかした。
電車でも、乗るホームの番号と出口の番号がごちゃっとして、また出口に向かおうとしたり…。名前、日本橋三越本店なのに、三越伊勢丹だと思っていたり…。
まさに「恥の多い生涯を送ってきました」で嫌になる。(規模が小さい)
まあでも人は失敗して学ぶ生物だからね、きっと幾度の失敗を経て少しは成長している、はず。(と思い込む)






7月19日(金)

エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「リジーア」を読み終わる。

彼が最も愛したリジーア、完璧ともいえる美しさをもった、真夜中の大鴉の翼よりも黒い髪のリジーア。彼女は、彼の想いで蘇る。

リジーアとどうやって出会ったのか、彼は覚えてはいなかったが、死んだ後も彼女の姿形を忘れることはなかった。それも、死に間際に見せた激しい格闘と闘い、そして彼に対しての情熱、最早偶像崇拝ともいえるほどの愛が、彼の脳にリジーアの姿を焼き付かせた。
彼女の死後、彼は新たな女性・ロウィーナと結婚する。だが彼女とは上手くいかず、思い出すのはリジーアのことばかり。そして思い出せば思い出すほど、彼の中でリジーアに対しての愛が深まり、炎は燃え上がっていった。
そんなある日、妻・ロウィーナが病に倒れてしまう。彼女は苦しみ、次第に幻聴と幻覚を感じ始め、そして…。

もう堪らなく好き。悪魔とは一体と考えると、痺れが止まらない。
ポーの恐怖は、ただの恐怖だけではない。恐さの中に、うっとりとさせられるような美しさと魅力がある。魔力といってもいいくらい、惹き込まれる。

ポー自身がこれを傑作と言っていようだが(とはいえ何度も言っている気がするけど)、まさしく傑作。個人的に凄く好きな作品だった。有名どころの『黒猫』よりも好きかもしれない。

いやぁもうポーには何度も心臓を貫かれているよ。
この衝撃を色んな人の味わって、食らってほしいなあ。ポー好き増えろー。



また増えているのかあ。影響がなさすぎて本当かなあとか思ってしまったり。
もうまた打たせようとしているよ、怖い。まあ買わされているし、言いなりで工場まで作ってしまったからね、消費したいのだろうけど。やめてほしいなあ。
1番大事なのか食と免疫力なのに…。免疫力さえ上げとけば、負けるわけがないからかからない。(後はそう思うことも大事だと思う)
打つと反対に免疫力を下げるから、色んな病気にかかりやすくなってしまう。心臓は止まるし癌は増えるしね…ひぃ。
チクチクする前に、不安がって思考を止める前に、まずは免疫力を上げることを考えてほしいなあ。
とはいえ、判断して最終的に決めるのは自分自身であって個人の自由だから、それでもというなら仕方ないと思うし止める気もないけれど、個人的にはやめた方が良いんじゃないかなあと思ったり。
どうか体を大切にしてくださいな。





7月20日(土)

アニメ『鬼滅の刃』、あんなに目大きかったっけ…。こぼれ落ちそう。



『暮しの手帖』28号を読む。

花森安治『武器を捨てよう』


武器をもたない国はない(略)武器をもつためには、もちろん金がいる。
金がいる、なんてものではない、それこそ食うや食わずで、泣きの涙で、その金を工面しているというのが、じっさいではないか。
バカげた話である。
そんなおもいをして、どうして武器を持たねばならないのか。
捨ててしまえ、捨ててしまえ。

どこの国だって、金がありあまって、捨てたいぐらいで、それで仕方なしに武器を持とうか、などという国は一つもない。
それどころか、国民のひとりひとりが、つらいおもいをして、やっとかせいだ金を、むりやりに出させて、それで武器を作ったり買ったり、兵隊を養ったり、それを使って戦争をして、人を殺したり、町を廃墟にしたり、暮らしをぶちこわしたりしている。

(略)武器を捨てることを訴えなさい。
なにをたわけたことを、と一笑されるだろうとおもう。
そうしたら、もう一度呼びかけなさい。
そこで、バカにされたらもう一度訴えなさい。
十回でも百回でも千回でも、世界中がその気になるまで、くり返し、呼びかけ、説き訴えなさい。
全世界が、武器を捨てる。
全世界から戦争がなくなる。
それがどういうことか、どんな国だって、わからない筈はないのである。
いつかは、その日がくる。
辛抱づよく、がまんをして、説き、訴え、呼びかけよう。
それでもわかってくれないとしたら。
そんなことがあるものか。
地球の上の、すべての国、すべての民族、すべての人間が一人残らず亡びてしまうまで、ついに武器を捨てることができないなんて。ぼくたち、この人間とは、そんなにまで愚かなものだとはおもえない。
ぼくは、人間を信じている。
ぼくは、人間に絶望しない。
人間は、こんなバカげたことを、核爆弾をもってしまった今でさえ、まだつづけるほど、おろかではない。
全世界百三十六の国に、その百三十六の国の国民ひとりひとりに、声のかぎり訴える。

武器を捨てよう。


武器は人を守ってはくれない。ただ、人を殺すだけの道具にすぎない。
武器は人の感覚を狂わせる。車に乗ると性格が変わるのと同じ。自分が強くなったと勘違いして、人を殺めることを簡単にしてしまう。どんな人も攻撃的思考に変えてしまう。
武器は人の血と涙しか生まない。
武器を持ち続けるかぎり、戦争はなくならない。
だから武器を捨ててほしい。

背中を押して貰えた気がした。






7月21日(日)

ひぇー、あの涼しかった日が幻だったかのようだ。

涼しさを 求めすぎたの 幻想か あの日見た夢 再びおくれ



畑も収穫しか出来ないなあ。長時間は危険だ。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「谷崎潤一郎と佐藤春夫」編を読み終わる。

これまた女の人を巡ってのゴタゴタが有名。

この2人のことよりも、2人の孫(片方は義理の)である髙橋百百子語る2人の話が興味深かった。


私は佐藤とよく一緒に散歩しました。(略)あとは絵を描いたりもしました。何を描いても褒めてくれて、怒られた記憶はありません。(略)
くだらない冗談ばかり言って、子供みたいな人でした。文学以外のことは何もできなかったんじゃないでしょうか。顔も一人じゃ洗えませんでしたね。いつも洗面所まで祖母がくっついていって、着物の袖が濡れないように持ってあげていました。


うわぁ、モテそう。
反して谷崎潤一郎は不器用そう。子供には興味がなさそうと思わせておいて、実は気にかけているというね。正反対だなあ。
ただどちらも頑固だったようで、お芝居で席が隣になった時、妻(谷崎潤一郎は元妻)を真ん中にして座り一言も口をきかなかったのだとか。周りは大変だ。
だから愚痴も絶えない。


祖母(元妻)は谷崎を「潤ちゃん」と呼んで、妹のせい子さんと一緒に、悪口を言って盛り上がっていましたけどね(笑)。母(娘)は「くそじじい」と言っていました。


「くそじじい」って、笑ってしまうよ。

孫という、少し距離があるからこその視点がなかなか良かった。
最後も少ししんみりした。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の健康を心から願っております。
ではでは。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?