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檸檬読書日記 珈琲パフェは美味しく、ポーは息苦しく、ユトリロの壁は美しい。 7月8日-7月14日

7月8日(月)

なんだこの暑さは。溶かしにかかってきておるぞ。

とろとろと 熱の矢刺され とろとろと 固めるために アイスをおくれ



ジョン・クラッセン『ドクロ』を読む。絵本。

結構ダークな作品。
まあタイトル『ドクロ』の時点でなんだけれど、大人向きな絵本。

少女・オフィアは逃げていた。
辿り着いた先は大きな屋敷で、そこには人はなくドクロだけが暮らしていた。
ドクロは毎晩、顔のない骸骨に追われていると言う。
オフィアはドクロのために、あることを思いつく。もう二度と追いかけて来ないように、高い高い塔から突き落とし、そして…。

まさかの展開に、結構度肝う抜かれる。
オフィア強い。というより、ある意味怖い。
それでもなんだかコミカルな感じもあって、さらっと終わるから、後味は良い。

何より、絵が良い。
雰囲気ある、シックな色合い。
暗めながらも、光が温度を感じる。アナログ感を思わせる塗った痕跡があるのも凄く良い。
全体的に好みの作品だった。






7月9日(火)


おやつに「cheesecake lab seed」のレアチーズケーキ・オーガニックコーヒーチョコを食べる。

なめらかなクリームチーズに、コーヒーがたっぷり染み込んだスポンジ、ザクザクした玄米クランブルクッキーに、上にはチョコがパラパラとのっている。
凄く満足感が高く、最早パフェ。
甘さも苦さも丁度よく、1口食べると止まらなくなる。衝撃的美味しさ。
クリームチーズはなめらかなのに、玄米クッキーはザクザクしていて、食感も面白い。
有機だったり国産だったり、食材も全部こだわっているのも良いところ。
もう最高の1品。



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「早すぎた埋葬」を読み終わる。

現実的恐怖感があった。

男はいくつかの「早すぎた埋葬」の例を上げていく。死んだと判断され、生きた状態で土の中へと埋められてしまった人達の話。
つまりこの当時、そういったことは良くあることだった。
だからこそ男は怖かった。自分も死んだと判断され、生きているにも拘わらず埋葬させてしまうのではないかと。
その恐怖は次第に男を苦しめ…。

この話は、空気の良いところで読まなくてはいけない。
息苦しくて、フッと息を吐きたくなる。実際に酸素が足りなくなって、何度も息を吐いた。
まるで首を絞められているように、読んでいくと苦しくなる。空気が薄くなって、少しずつ少しずつ圧迫され、酸素がなくなっていくような。それでいて抵抗出来ず、苦しさを味わいながらも見ていることしか出来ない、そんな恐ろしさがある。
生きたまま埋められるというのは、こういうことなのだろうなと錯覚させられた。

恐怖とは、恐怖を抱くことで現実になるようで。
想像力は現実の恐怖と同等らしい。



ひえぇ、緑のたぬきがとったのもあれだけど、2位がニコニコ仮面なのか。恐ろしや。
まあ分散させてとらせないためのニコニコ仮面だから、見事成功ということかな。まさかの3だもんなあ。合わせたら丁度上回っていたから出なかったらとれていたかもなのに。まああの人も良い訳ではないけれど、他よりはだったのになあ。
いやあもうどうなることやら。
これからどんどん日本は売られてしまうのだろうなあ。土地、地下鉄、水。そして海外の人のためのまちづくり。あぁ…。悲しや。
とりあえず自分は備えるのみだな。いやぁ、頑張ろ。





7月10日(水)

春間タツキ『聖女ヴィクトリアの アウレタス神殿物語』を読む。

2巻。
1巻を読んだのかそこそこ前だから大分忘れていたけど、問題なく読めた。

自殺で皇帝が亡くなった。だかその自殺には不自然な点があり、霊が見える聖女・ヴィクトリアは、彼女の能力で皇子と証明されたアドラスと共に真実を探っていく。

相変わらず良い。
非現実的な魔法はあれど、無理矢理感はなく、きちんとミステリーになっている。寧ろ魔法要素が良い味を出し謎を深め、現実では出来ないトリックにワクワクさせられる。
ファンタジーとミステリーの良いとこ取りという感じ。

霊が見える、という能力も完全ではなく、そのさじ加減がまた上手い。霊と会話が出来るほどではなく、強い思念のみしか見ることが出来ない。だからこそ謎を解き明かすためのヒント程度にしかならず、そのヒントを踏まえてそれならばと真実を探っていく。

キャラクターも皆個性豊かで、一癖も二癖もあって見ていて楽しい。主人公ヴィクトリアも、一見ぐずぐすしているように見えても、やる時はやる強い面もあり、それがまた惹かれる。
でも1人だけではなかなか上手くいかず、周りの助けがあって成功する、そうして少しずつ成長していく展開も、もっと見ていたいと思わせる。

終わり的にはまだまだ続きそうな感じではあったけれど、2巻までしか出ていないようで。
3巻が出るだろうなと思っていたから、2巻を読むのずっと我慢していた。でも出ないからもしかして2巻で終わりなのかなと読んだら、やはり続きそうな終わりで…ぐぅ。
出て欲しい。
凄く好きなシリーズだから続いてほしいなあ。ヴィクトリアとアドラス2人のこれからの展開も気になるし…どうかどうか。



『アナトール パリの空を飛ぶ』を読む。絵本。

凧を見つけたアナトール(ねずみ)が、家族と相棒と共に綺麗に直したところ、突然風が吹き皆を乗せたまま空へと飛んでしまう。
パリの街を彷徨いながら下りる方法を探すし、途中鳥に助けて貰おうとするが上手くいかず…。
アナトール達は無事地上へと下りることは出来るのか、という話。

相変わらず絵柄が良い。フランスらしい色合いがとても好みだった。
前もそうだったけれど、少々シュールな感じがなんとも魅力。






7月11日(木)

『アンネの日記』を読む。


ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言いあらわせません。でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。



人が来ることになってバタバタ。
外は湿度でムスムス。
でも色々貰えてムフムフ。
しばらくおやつには困らぬ。





7月12日(金)

うーむ、最近調子が優れなくて本が読めない。(いや、読んではいるけど)
読めなくなっているのに、追い討ちのようにこれである。
もしや自分を本から引き離そうという魂胆か?(誰が?)



岡田淳『ねがいの木』を読む。児童書。

これも続編。
『チョコレートのおみやげ』も良かったけど、これも良かった。

わたしがおばさんの家に行くと、物語を話してくれた。
それは願ったことはなんでも叶えてくれる「ねがいの木」の話で…。
ねがいの木の周りには最初、叶えてあげられるようなねがいを言う者はいなかった。けれどたまたま通りかかったきつねが、鶏を願ったことで、次第にねがう者が増え、木の周りは栄え始める。
だがその内戦争が始まり。

誰のための願いかによって、願いは変わっていくのだなと思った。

あの人は、自分が売る鉄が売れることを願った。
ある人は、自分が売る船が売れることを願った。
ある人は、自分が売る飛行機が売れることを願った。
ある人は、自分が売る缶詰が売れることを願った。
すると


それからひと月もたたないうちに、戦争が始まりました。
鉄も、船も、飛行機も、缶詰も、とてもたくさん売れました。


そして


多くのひとが望みをはたせぬままに死に、
多くのひとが会いたいひとに会えなくなり、戦争は終わりました。


なんとも考えさせられる作品だった。
ただ気持ちが落ちるだけではない、最後は希望が見える終わり方で、凄く良かった。



『アンネの日記』次は8月14日だ。大分空くなあ。
でも同じ日付で辿りたいから、我慢我慢。





7月13日(土)

最近太れと言われる。もしや丸焼きにして食べようとしている?ひえぇ。
夏にプクプクするのは至難すぎる。
秋とか冬になったらきっと自動的にプクプクするよ。だから今は良いのです。



中山公男『ユトリロの壁 絵画随想26篇』を読む。

少し前にユトリロの絵を見てからというものの、気になって気になって。
図書館で色々借りたら、この本だけ絵が載っておらず買うことはないだろうから、読んでみようかなと読んでみた。そしたら、思っていたのとは少し違った。ユトリロの話は最初の数ページだけだった。
題名は『ユトリロの壁』だけれど、ユトリロよりマティスやシャガールの方が分量が多いというね。

ユトリロといえば、なんといっても壁なようで。


ユトリロの描く壁とは、(略)ピエール・クールティヨンのいう「人びとが触れ、よごし、洗い、塗り直し、みがき、彩った壁。季節のしみ、歳月のあとをとどめ、多くの人びとの世代の垢を残した壁」である。


なるほど。


(略)少なくとも一九一〇年代までのユトリロの描く街の風景には、ほとんど人物の影をみとめることができない。窓は閉され、道は静まりかえり、ただ空のみが、道の彼方に虚しく開いている。これはもちろん、アルコール中毒患者の虚しい心象を示すものである。病院と酒場を往復し、どちらかといえば、病院にいるときに鉛筆をとったユトリロは、いわば記憶をたよりとしてパリの風景を描いた。


ユトリロの絵は、だからか物寂しさを覚える。ただその閑散とした感じが、自分は惹かれる。


しかし、こうして人びとのざわめきが消え去ったとしても、これらの街は、決して廃墟ではない。(略)生きた壁、生きた街が、これらの画面のなかに映しだされているのである。


確かに、人の気配はないのに、暗いものは感じられない。静かではあるけれど、確実に生きているという明るさがある。生命を感じる。


ユトリロは、このような(生きた)壁の色彩や質感を表現することに、もっとも力を費やした。(略)壁の質感を表現するべく、さまざまな物質、たとえば糊、卵の殻の砕いたもの、しっくいなどを混入し、パレットナイフをも使用している。また、(略)白い粘土の粉末をも混ぜていたという。
ユトリロの壁が、私たちの目に訴えてくるだけではなく、まるで手で触れることができるような重厚感をもつのも、こうした努力の結果だろう。


凄い。つまりは、彼の最大の魅力を感じるには実際に見るのが1番ということかな。生きた壁、手で触れることのできるような重厚感、早く体験したいなあ。

情報は少なめではあったけれど、知りたいことは知れたし、興味深かったから十分満足出来た。

後は、ユトリロの壁ではないけれど、著者の壁自論が興味深かった。ヨーロッパの壁や西欧の壁は素晴らしいと。


ひとつの建物がいくつかの色彩に彩りわけられていて、そのくせ、なんの不自然さも珍妙さも感じさせず、むしろ絵本のように美しく、素朴であると思わせる田舎町すらもあった。


それに対して、日本の壁は生きていないという。勿論美しいものも中にはあるけれど、少ない。
それは自分も感じていた。海外の映像を見る度に、その壁の美しさに魅了される。遺され守られ大切にされていたからこその美しさがある。周りともきちんと調和がなされ、壁を決して損なわない。だからこそより美しい。
日本は守られて残っている美しい壁もあるけれど、殆どが1部。少し歩くと、終わってしまう。周りがバラバラとしているから、そこだけが浮いている状態。せっかくの美しいさなのにと、いつも悲しく思う。
色々かぶれた結果だよなあ。せっかくの個性なのに…。切なき。

ユトリロ関連本は他に3冊借りたけど、今の段階で買おうかなと考えているのは

井上輝夫『ユトリロと古きよきパリ』

値段、サイズ、色味、内容的にこれが1番良かった。
でも他に良いものが(例えば、ユトリロの絵を所蔵している「西山美術館」とかに)あるかもしれないと、悩み中。
もう少し探してみようかな。



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「ヘレンへ」を読み終わる。詩。

とても短い。
「ヘレン」とは、ギリシャ神話の伝説の美女ヘレンからきているらしい。
語彙の選択も流れも、全体的に神話的で劇の1部のよう。

個人的には、詩本体よりも解説が興味深かった。(詩自体は、頭の弱い自分ではあまり理解出来なかった…)
この詩は、ポーが15の時、学友の母親を見て「わが魂の最初の純粋に理想的な恋人」と考えて作ったものらしい。へー。
そう考えると、なんともませている。





7月14日(日)


フキの佃煮茶漬け。
ご飯に、フキの佃煮(手作り)をのせて、3年番茶をかけた茶漬け、が自分の中でのブーム。
ホッとする。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「中原中也と小林秀雄」編を読み終わる。

この2人といえば、1人の女の人を巡ってだよなあ。
こうやって小林秀雄の若い頃の出来事を読むと、若かりし頃と老後の小林秀雄が違いすぎて違和感というか不思議な感覚になる。
そういえば同じ人だったんだよなあと。
歳をとるということはそういうことなのかなあ。なるほど。

そういえば、この三角関係が映画になったらしく。
窪美澄『夏目狂想』を読んで、なんとなーく長谷川康子像が出来ていた自分にとっては、広瀬すずなのかあという不思議。確かに似ている面もあるけれど、そうかあ。
中原中也と小林秀雄は誰がやるのだろう。気になる。
来年公開らしいけど、観るか悩むなあ。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様に安堵できる時がありますよう、願っております。
ではでは。

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