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檸檬読書日記 赤き死の仮面を、蚊・蚊・蚊と、二魂一体で。 4月29日-5月5日

4月29日(月)

おぉ、大惨事。
茎レタスを細く切って干したら、ザルにくっついてしまった。流石に細すぎた…。剥がすのに一苦労。その上少しだけど、取り切れない欠片もあって、タワシでゴシゴシする羽目に…。
まあでも汚れてきていたし、ちょうど綺麗になって良かったのかな。うむ。

これを参考に次は気をつけよう。もう少し太めだな。



栗田有起『オテル モル』を読む。

最高の眠りと夢を目的とした会員制のホテルで働くことになった、希里。
働くことで、彼女自身の眠りも夢も変化し、次第に周りまで変わっていくのだった。

施設にリハビリ中の双子の妹がいたり、妹の旦那は主人公の元彼だったり、元彼と共に妹と元彼の娘と暮らしていたりと、結構な特殊設定。
その上働くことになったホテル基オテルも不思議な場所で、もう惹き込まない要素がないくらい設定から凄い。

それなのに、文章は淡々としている。それがまた良い。事件ばかりなのに、あまりにも淡々とし、時折夢も混じるから、まるで夢の中にいるみたいな感覚になる。ふわふわと曖昧で、けれど何処か意識は明瞭で、それでもどうにもならなくて…。


「(略)むかし日本では水と安全はタダといわれたものですが、いまはだれもそう考えていないのではないでしょうか。空気だって、おいしいものが吸いたければ都心から遠く離れなくてはなりません」


そして突然くる現実。
それだけでなく、淡々としてるからこそ、シュールでクスリと笑えるところもあり、とても楽しく、最後は本当に夢だったようなふわっとしている。それがまたこの夢のような作品にはピッタリで、とてもしっくりとくる終わり方だった。

後個人的に、この中で「きりきり舞い」という言葉が出てきて、坂口安吾『夜長姫と耳男』を最近読んだだけに、おぉ!となった。こんなところで繋がるのかと。驚き。
最近こういうの多いなあ。





4月30日(火)


おやつ。
あんみつリベンジ。
今回は、寒天を抹茶。そして白玉に、自家製金柑の蜂蜜煮、探しあてた餡子。それに黒蜜をたらりと。
いやぁ、間違いなしですね。



神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』を読む。

正岡子規『墨汁一滴』の中での、夏目漱石の話。


都会っ子の漱石は、目の前にそよぐ稲が、ふだん食べている米の苗だと知らなかった(略)


らしい。面白い。
自分も自分で野菜を育てるまで知らなかったこと多かったもんなあ。しみじみ感じる、自分の作るものなのだから、知ることは大事だと。
食べ物は、魔法のように望めば簡単にぽんっと出てくるものではない。だからこそ大切に慎重に、食を守っていかなくてはなあと思う。他の国に頼るのではなくて。自分の国、自分たちの手で。





5月1日(水)

エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1 ゴシックホラー編』を読み始める。
「赤き死の仮面」を読み終わる。

国に、突然恐ろしい感染症が広まった。それは身体中から血が吹き出し激痛を齎すもので、感染すればすぐさま死に至る。
そんな中、ある公爵は「赤き死」から逃れるべく、一千人の友を集め、城の中に引きこもることにした。
外の現状も状況も無視し、城での生活を楽しんでいた。そんなある日、公爵は壮大な仮面舞踏会を開いた。安全だと思っている場所で。
だが、ある珍客が現れ…。

ぞわぞわした。
なんと恐ろしく美しいのだろうか。
想像するだけで恐ろしく怖いのに、死神がひたりひたりと迫ってくる恐怖があるのに、そこかしこに美を感じて、恐怖と美が混ざり合い、目を離せなくなる。そしてそのまま、落とされてしまう。

昔から気になってはいたものの、ポー作品は今まで読んだことがなかった。絶対自分好みだろうとは分かっていても、何故か手が伸びなかった。
でもやはり、想像通り凄く好みだった。
恐ろしさもさることながら、皮肉具合もたまらなく良い。
ニマニマしながら書いたのが目に浮かぶ。(勝手な妄想)

ただ正直なところ、頭が弱く浅学な自分には深く読み取ることは出来なかったが、かなり色々なものが示唆されているのではないかなと感じた。そのままだけではない意味があり、深めて広めたらもっと魅力が増しそうだなと。
これは研究する人や虜になる人が多いのも頷ける。

エドガー・アラン・ポーといえば、江戸川乱歩。江戸川乱歩といえば、江戸川コナン。江戸川コナンといえば、コナン・ドイル。コナン・ドイルといえば、シャーロック・ホームズ。シャーロック・ホームズといえば、ジェレミー・ブレット。(いや、違う違う。そうじゃ、そうじゃなーい。なんとかなんとかだよ~みたいな歌あったよな。あれ、何だったっけなあ。…いや、だから違う)

エドガー・アラン・ポーといえば、有名な『黒猫』で、本当は黒猫を読むために買ったのだけれど、他の作品もかなり良さそう。侮れぬ。これから毎週少しずつ読んでいくのが楽しみ。





5月2日(木)

アニメ『薬屋のひとりごと』をとうとう観終わってしまった。
いやあ、良かった。無知の恐ろしさを改めて思い知らされた。無知は罪と言うけれど、まさにだなあ。

くぅ、早くもロス。
来年2期がやるみたいだけれど、待ちきれない。
やはり小説買おうかな。でも買っても完結するまで読まないだろうからなあ。うーん、悩む。



神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』を読む。


書を読むや蚊にさゝれたる足の裏

正岡子規


想像するだけで痒くなる。蚊の俳句とか詠んでいたのかあ。
正岡子規は他にも蚊の俳句を詠んでいて、それらが載っているがどれも興味深い。
どれだけあるのか分からないけれど、色んな人の蚊の俳句とか集めたら面白そう。俳句だけでなく随筆とか詩とか短編とかも。

「蚊のアンソロジー」

とかないかな。出ないかな。
誰が読むんだという感じだけど。読めば読むほど痒くなるってね。
でも面白いと思うけどなあ。どうですか?出版社の方。



小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』を読む。

戦争の中生きた女たちの話。国や職種は違うけれど、彼女たちは同じように声を上げていた。
けれどそれはささやきのように小さくて…。


ときに、嵐ばかりが、大きく響いて聞こえることもある。
けれどその中にあってなお、ひとりひとりのささやきが、決して無力なんかではないと、この私を、私たちを、社会を、世界を、揺るがすこともできると、私を信じ、これを記したい。


それでもそのささやきを聞き、届けようと集めた1冊。

アンネや伊藤野枝やエミリー・ディキンスンやヴァージニア・ウルフなど、自分が知っている名もあったが、殆どが知らない人達で、けれどだからこそ、 知れて良かったと思った。 
1つ1つが短く簡潔にまとめられていて、とても読みやすいのに、どの人生も濃厚で深い。
それぞれがそれぞれの方法で戦争の中を生きていた。特に昔は女性というだけで、見下される時代。誰もが押さえつけられながら必死に生きてきた。そのそれぞれの姿に、心が揺さぶられた。
そして彼女たちの努力によって、今があるのだなと感じた。

昔、女性には参政権がなかった。だから権利を得るために、必死に戦い抗い、犠牲を生みながらも、訴え続けた。女性の参政権はそうやって手に入れたものだった。
男性も、昔は25歳以上と結構な額の国税を収めている人のみだった。それは今では、18歳と引き下げられ、女性も男性も関係なく、年齢制限のみで自動的に得ることができている。
それは昔の人が必死に戦ってきたからこそ叶ったことで、国民には、ちゃんと選ぶ権利が与えられてるいる。変える力を持っている。
けれど今は…。
得てしまえば、もう価値はなくしてしまうのだろうか。


(略)選挙があるたび、この日本の恐ろしく低い投票率を前に、私は考えずにはいられない。
彼女(参政権を得るために死んだ女性。エリミー・デイヴィソン)の死は、彼女たちが組んだ葬列(その志に賛同した女性たち)は、いったい何だったのか。


自分も前までは、全く行っていなかった。意味が無いと思ったし、誰でも同じだと思ったから。
でもそれではいけないのだと、文句は言うのに行かないのはおかしい、文句が言いたいなら行くしかないと、行くようになった。
意味が無いと思って行かない選択をしたら、本当に全てを無意味にしてしまう。誰もいないと思っても、ひっくり返すことは出来る。人数が多く大きくなってしまったものたちではない所に入れて、引き下ろすだけでも、変化は生まれる。いい方向かは分からなくても、悪い方向を止めることはできる。流は変えられる。
だからどうか、昔の人達が戦って得た権利を無駄にしないでほしいと願ってならない。
国を守れるのは、上ではない。国を見て生きているのは、上ではない。いつの時代もどの国も。

戦争のこと、差別のこと、国のこと、権利、自由、そういったものをまた立ち止まって考える、そのきっかけになる本だった。
多くの人に読まれてほしい。著者が届けようとした彼女たちの、小さくとも必死なささやきが届いてほしいと思った。



フジコ・ヘミング『ねことワルツを』を読む。

ニュースを見て、引っ張りだしてきた。
詩を石津ちひろが、絵をフジコ・ヘミングが担当した1冊。2人の猫好きさが滲んでいて、ふわふわとする。


アン・ドゥ・トロワ
アン・ドゥ・トロワ
あした わたしは ワルツを おどる
ねこと はじめて ワルツを おどる
アン・ドゥ・トロワ
アン・ドゥ・トロワ
ねこを だきしめ ワルツを おどる
なみだ ながして ワルツを おどる
つきの ひかりを あびながら
ねこと はじめて ワルツを おどる


フジコヘミングさんの独特な絵が本当に素敵で、一つ一つポストカードにしてほしいくらい。飾りたくなる。

やっぱり絵好きだと思ったから『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』買おうかな。





5月3日(金)

Blueskyでの読書感想が大変になってきた。
ゆるっとにしようと思っていたのに、書きたいことが多すぎて300におさめるのが…。
noteは(一応)無制限だから、だらだら長く書く癖が…。
せっかくだし変えようかな。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


「私たちは、『なぜ生物はみな死ぬのだろうか』と疑問に思っている。ところが、これは大間違いで、生物は基本的には死なない」「システムそのものとしての生物は不死なのである」(略)「もうひとつ人間が生き延びる方法がある。それは、がんになることだ。がんにかかれば死ぬと思われているが、そのがん細胞を培養してもらえば、がん細胞はけっして死ぬことはないため、ある意味では不死である」

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』


ほう。面白い。





5月4日(土)

父親の信者(笑)から、大量の陣太鼓が送られてきたらしく、飛び上がってる。やった。
変なの入ってない上に、餡子に求肥入りという最高コンビだから凄い好き。
結構甘いけど、濃ゆい抹茶と共に食べるとちょうど良い。

40個入りだから、1人10個は食べれそう。やったやった。
半分は冷凍して長く楽しもう。



岡本かの子『老妓抄』を読む。

記事を読んで惹かれて読んでみた。 

『老妓抄』他、8編の短編が収録されている。
なかなか屈折している。お金のある老妓が、夢見る青年のために生活を援助する、というもので。淡々としているのに、迫り来るものがあって…。
岡本かの子は強烈なイメージがあったが、この作品はそのイメージらしさはあまりなく…それでも岡本かの子ぽいなあと思った。らしくないけど、らしい。(上手くいえない)

後、これは自分だけなのだろうか。岡本かの子作品を読むと、なんだか少し恥ずかしさ…というのかなそんな感覚を覚える。
岡本かの子が時折出てきて、にまっと笑っているような…。乙女感が…。
どの作品も上手く飲み込めなくて、自分が岡本かの子を理解するには、まだまだ早かった模様。
その中でも、題名にもなっている『老妓抄』が1番読みやすく良かった。



ヴァンダ・プシブィルスカ『少年ダダの日記 ポーランド一少女の戦争体験』を読む。


人生というものはさびしいものだ--(略)おめでたい日にさえ、心から喜ぶことができないほど。





5月5日(日)


おやつ。
軽井沢おみやげの最後。とうとう終わりになってしまった。
でもかなり楽しめた。また行きたいなあ。
ミルクティーと良く合う。



落花生、パンダ豆、インゲン、オクラ、モロヘイヤ、キュウリ2種、バジルの種を植える。

モロヘイヤの種、3年くらい前に採ったものだけれど、大丈夫かな。
流石に今年は種採って更新しようかな。

来週は枝豆やらなきゃなあ。



石井千湖『文豪の友情』を読む。
「室生犀星と萩原朔太郎」編を読み終わる。

1番読みたかった2人。
有名な、第一印象エピソードは何度知っても面白い。

「何か垢ぬけのしない田舎の典型的な文學青年という感じがあった」(萩原朔太郎)

「第一印象は何て気障な虫酸の走る男だろうと私は身ブルイを感じた」(室生犀星)

お互い散々な印象を抱いているのに、よくここまで仲良くなったものだよなあ。それにしても室生犀星の「虫酸の走る男」って…笑ってしまうよ。

最初はお互いの作品に惹かれて、会おうとまでした。けれどだんだんと作品の感性が合わなくなはなり、読まなくなる。それでも友情が変わることはなかった。そういうところもツボ。

室生犀星の娘の話も良かった。
萩原朔太郎はよく食べ物を零すらしく、そのため室生犀星は娘に新聞紙を持ってこさせ、それを床にひく。萩原朔太郎も萩原朔太郎で、何事もなく新聞紙の上に座るのだとか。
この2人、ほんとうに良いなあ。本当にツボです。
2人の関係性もエピソードも、その周辺のことも、全部良い。正直作品より好きだったり。2人やその周辺は、作品より作品的。
仲が良い感じも堪らぬ。仲良きことは良きことですね。仲良しは見ているだけでこちらまで嬉しくなる。
あぁ、また追いかけたくなってしまったなあ。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様のささやきが届く世界になりますよう、願っております。
ではでは。


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