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檸檬読書日記 ぼくの伯父さんと、月のボールで遊んで、カフカに挨拶を。 7月29日-8月4日

7月29日(月)

1日食べなかった反動が何故か今来ているようで凄くお腹が空く。
食べたのにお腹が空く。でもまた食べるのがめんどくさいから無視をきめこんでる。だからどんなに主張しても無駄でござる。ワッハッハー(誰?)
いやぁ、でも異様にお腹空くー。






7月30日(火)


おやつ。
黒烏龍ミルクティーに、紅茶ゼリーと白タピオカを入れてみた。うまっ。これは最高。

見えづらいけど、下の白っぽいのがタピオカ


お供は「ノワ・ドゥ・ブール」のクッキー。素朴な味わいとサクサクッとした食感がたまらない。



ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(映画)を観る。

ヨレヨレ帽子に、丈の短いコート、パイプを咥えてコウモリ傘を持ったスタイルのユロ伯父さん。
伯父さんの周りではいつも何かが起きる。
笑いあり笑いあり。ただただ愉快で楽しい作品。

今の自分にピッタリな作品だった。安心して見れる。
ユーモアたっぷりで、Mr.ビーンのような自ら何かを仕出かすというよりも、やった事が色々裏目に出てしまったりする。そういうのもあって、なんだかもう伯父さんが愛らしく、好きにならずにはいられなくなる。

特に自分が良いなと思ったのは、少年との関係。仲良し感にほっこりする。
伯父さんは毎回、少年に手を伸ばす。歩き出す際、毎回手を伸ばして手を繋ぐ。そのシーンが、凄く好き。

皮肉もたまらなくたまらなくて、最先端の進み続ける社会をチクチクしている感がなんとも良い。
今ですら凄いなあと思える技術が満載なのに、それが何十年も前にやっているのだから本当に凄い。ただ便利さを追求しているのに、追求しすぎて逆に不便になっているのが面白い。見た目もそんなにというね。

内容も良いけれど、音楽も良い。フランスらしいポップだけれど優雅な感じが、聞いていて気分が上がる。

いやぁ、本当に良く考えられている映画だ。
こんな伯父さんがいたら、毎日楽しいだろうなあ。
本当は1作目である(でも日本では2作目みたいになってる)『ぼくの伯父さんの休暇』も観たかったけど、図書館になくてショック。観たかったぁ…。探し当てていつか絶対観たいなあ。また伯父さんに会いたい。

『ぼくの伯父さん』は本を持ってるから、今度読も。

そういえば、DVDの中には特典で短編の映像も収録されていて、15分という短い中にこれまたユーモアがギュッと詰まっていた。
『郵便配達の学校』という題名で、郵便配達をするにあたっての自転車の漕ぎ方や手紙の渡し方など、わざわざというのをやっているのが面白い。
『ぼくの伯父さん』もそうだけれど、良くまあ思いつくなあと、本当にあっぱれ。






7月31日(水)

気力も体重も戻らない。何のやる気も起きぬ。(やる気ある時の方が珍しいけど)
テンションが上がらないよー。元気がほしい。元気をおくれ、アンパンマーン!顔ください。あ、でも今あんパンはちと重いかも。牛乳も一緒にください。(生意気)いや、牛乳も重いか…(黙らっしゃい)

自分にもやる気スイッチがあればなあ。やる気スイッチは母親のお腹の中に置いてきた説が我が家で有名なくらい、自分にはやる気が欠如している。
だから気力がない時の出来なさ加減が…とほほ。
何か無理やりにでもテンションを上げねば…何かないかなあ。
何か発売されるものないかチェックしにいってみよう。



福永武彦『草の花』を読み終わる。


戦争というものは、人間の生命をまったくごみのように無視して、成立するんだ。僕なら僕という人間の、なけなしの才能も愛情も苦しみも悦びも、そんなものは一瞬で吹き飛んでしまうのだ。(略)
戦争は人間がするんだ。アメリカが敵なんでも日本が味方なんでもなく、アメリカの戦争屋、日本の戦争屋共が、血に飢えて殺し合わせるのだ。殺されるのは僕たちだよ。(略)何万人も一兵卒として殺されてしまうのだ。何のために、それじゃ何のために、僕等が死にに行かなければならないんだろう?


一言で言うなら、孤独な小説だった。

1人目に好意を寄せた男の人には、愛を受け入れてもらえず、2人目に好意を寄せた少女とは繋がり合うことが出来ず、結局1人になってしまう。
ただそれも自分の殻に閉じこもり続けたばかりに…。
本当に見えていなかったのかもしれない。好きになってしまうと、相手を自分の理想の形に作ってしまいがちだけれど、男はそれが強かった。そして相手はそれに耐えられなかった。
自ら孤独の道を突き進んでいるような姿に、心臓がずっとざわめくようだった。もっと、この孤独の抜け穴はなかったのだろうかと。そう思うと、少し切ない気持ちにもなった。

この本、何が凄いって、やはり文章力だと思う。いや、表現力かな。植物などを所々に取り入れ、彩る景色。
まるで目に浮かぶような情景の数々が、物語を魅力的なものにしていた。
正直なところ、ありそうだなあという感じで、内容だけだと薄めな印象。(どちらかといえば、メインよりも冒頭と最後の部分が良いなと思ったり)でもそこに素晴らしい情景が加わることで、心に残る、惹き込まれる作品になっている気がする。(完全な個人的意見だけど)

この人の作品、初めて読んだけれど表現に惚れてしまった。他の作品も読んでみたいなあ。



発売、探したけど特になかった…。
でももう発売されている、内山保『百鬼園先生と私』は気になる。良さそうだったら買おうかな。

後は、ヴァージニア・ウルフ『月曜か火曜』という短編集も気になる。
ヴァージニア・ウルフ、蝸牛のやつしか読んだことなくて、それも良くは分からなかったけど、踏み込みたい作家の1人だったり。だから短編集、気になる。短編ならちょうどいいような気もしないでもだしなあ。
ただ単行本なんだよなあ。文庫なら即決なんだけど…悩む。
とりあえず図書館で借りられそうなら、借りてパラパラしてから考えてみよう。






8月1日(木)


梅干しが完成した。これは1部。(全部入るちょうどいい瓶がなかった)
1度外干しして(本来は3日間干すらしいけど、暑すぎるせいか2日でいい感じになった。)、また瓶に梅酢と一緒に入れなおす。
白い梅干しと、普通の赤紫蘇梅干しと、黒烏龍茶梅干しの3種類を作った。
今回初めて黒烏龍茶梅干し作ったけど、どうかな。まだ食べてないから結果が分からないけど楽しみ。匂いはあんまりしなけど、逆に主張が薄くて使いやすいかも。
赤紫蘇梅、初めてこんな綺麗に赤く染まったかも。大成功!味もちょうどいい塩梅。やったね。






8月2日(金)

最近朝は涼しくなってきたかも。
風が爽やか。
去年もそうだったけど、やはりピークは7月なのかもなあ。



エド・フランク『月のボールであそぼうよ パンダとリスのはなし』を読む。児童書。

パンダとリスの友情物語。
友情っていいよなぁと思わされる。
性格も見た目も大きさだって違うのに、お互いにお互いを認め合って想い合っていて、それがまたグッときた。微笑ましい。

月でボール遊びをしてみたいと言うパンダのために、リスが頑張って月を取ろうとしたり、時には喧嘩もするけれど、それでも放っておけず心配して仲直りしたり。
何気ない日常の話ばかりだけれど、だからこそ読んでいて安心出来た。


パンダは、リスをおなかにのせて、横になり、大きなけむくじゃらのうでで、ぎゅっとだきしめました。
(略)
リスがちょっぴりいびきをかいているのが聞こえましたが、パンダは、そんなことは、ちっとも気にしませんでした。


本当、仲良きことは良きことですよ。こういうのに弱いんだよなあ。ぎゅっと抱きしめたり、その人のために頑張ったり。いやぁ、グッとくるー。

ゆるっとした絵も愛嬌があって、和む。ほっこりと心温まる良い作品だった。
続編とか出ないかなあ。



自分も短歌読みたくなってきたなあ。
でも家に読んでいない歌集はなし。
探しに行こうかな。歌集探しの旅へ、いざゆかん!






8月3日(土)

なんか底抜けに明るい話が読みたい。
こうスカッと爽快なレモンスカッシュみたいな話が。ないかなあ。



『カフカ短編集』を読み始める。
「判決」を読み終わる。

自分はこれをどう捉えれば良いのだろう。

若い商人のゲオルクが、ロシアに住む友人に、自身の婚約を知らせる手紙を出そうかどうしようかみたいな話、なのかな?
けれども少し様子のおかしい父親に止められたりしたり、そもそも友達などいないなど言われたりなんだり。

なんだか読んでいると、不安になってくる。
雨水でブヨブヨになった床の上を歩かなくてはいけないような。そこを通らなくては向こうにいけないから1歩1歩とりあえず踏み出すけど、いつ落ちてしまうのではないかと落ち着かない気持ちになる。
濡れてなくて安全と思える場所でさえも、本当は違うのではないかと、自分の目さえも疑わしく思えてくる。正常が分からなくなる。
まあカフカって、基本的にそうなんだけど。

結局何が何やら分からなかったけど、なんだかカフカって凄いなあとだけ分かった気がする。

それにしても、文章がスルスル入ってこなかった…。元々がそうなのか訳との相性がよろしくないのか…。はたまた頭が弱すぎるせいなのか…うーむ。(それが1番濃厚)

でもまだ最初だしね。これから少しずつ読んでいくのが楽しみ。






8月4日(日)

サツマイモが順調で嬉しい。
葉っぱを取って植えて増殖させたのも、何度かの雨のおかげでしっかりと根付いている。この分だと今年も期待大。たくさん採れるといいなあ。楽しみ。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「志賀直哉と弟子たち」編を読み終わる。

はぁーと思ったところを箇条書きで。

志賀直哉の文章に頻出する言葉は「不愉快」もしくは「不快」。

「先生」と呼ばれるのを嫌がった。

盛大な葬式を嫌がったため、志賀直哉の葬式は供花も供物も焼香も通夜もない簡素なものだった。

志賀直哉のことはそんなに知らないけれど、志賀直哉っぽいなと思った。



文章を書く気力がずっと起きなくてグダグダしている。いつも以上のまとまりのなさよ。くぅ…。
いっそ1週間休んでしまおうかな。夏休み的なね。でもそうするとそのままやらなくてなりそう…。自分ならありうる。休んだら終わりだ。駄目だな。
来週もどうにか絞り出して頑張ろ。






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様に元気がみなぎりますよう、願っております。
ではでは。

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