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檸檬読者日記 やっぱり内田百閒に夢中です。 10月2日-10月8日

10月2日(月)


またもや登場、カステラ、クロテッドクリーム、黒蜜。withアイスティー。
最高に合う。
寒くなったら、ホットでも良さそう。


糸井重里『ふたつめのボールのようなことば』を読み始める。

「ひとつめ」に引き続き、詩のような言葉が詰まった本。


知っていることの少なさを、
恥ずかしがるのではなく、
なにがわるい、と開き直るのではなく、
まっすぐわかっているようになりたいと思います。
ほんとうに、まっすぐに、
知っていることの少なさを知ることができたら、
重いからだが宙に浮くくらい、軽くなれるでしょう。


この世には、知らないことの方が多い。
けれど、何でも知っていると思うより、何も知らないと知っている方が、それなら知れることがたくさんあると、喜びに変わるのかもきれない。
これで言っていることは違うかもしれない。時には知らない辛さもあるけれど、知らないが多いからこそ、知れる喜びは一入な気がする。
だから、読書は止められない。


黒澤明・宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読み始める。

黒澤宅に宮崎駿さんが訪ねて、映画について対談するというもの。


黒澤 「撮影しているとき監督というのは、いま演じている俳優さんをじっと見ているかというと、そうじゃないんです。わりとよそ見したりね。(略)よそ見しながら隅々まで感じてるのね。変だとスっとわかります。それがほんとに『見る』ということだと僕は思う。ジーッと見てるのは見ることにならないね。自然じゃないんですから。」


黒澤明監督のこの「自然」に対する想いは、やはり凄い。
自然を突き詰めてるからこそ、黒澤明監督の作品は同じ世界として見れるんだろうなあ。
繋がっているというか、実際に起きた、例えで言うなら他人のホームビデオを観ているような、身近さがある。違和感がなく、ただ純粋に楽しく見ていられる。(まだ1作しか観ていないくせに、何言ってんだという感じだけれど)

監督というものは、映画やドラマを作る際、俳優を見て、どうのこうのと注文するイメージがあったが、それでは見ていることにはならないというのは、興味深い。
1つのものだけでなく、全体を見る。映画でなくとも、視野を広く持つということは、何であっても大事だよなあ。


芥川龍之介『内田百閒氏』を読む。

内田百閒のことばかり探っていたら、行き着いた。2ページにも満たないくらい短いもの。

どうらや当時、そこまで内田百閒は有名ではなかったようで、そのことに「僕の遺憾とする所なり」と、芥川龍之介は何度も嘆いている。


内田百間氏の作品は多少俳味を交へたれども、その夢幻的なる特色は人後に落つるものにあらず。


つらつらと、褒めている。芥川龍之介とは毛色の違う内田百閒の(俳味)ユーモアさがまた良かったのだろうか。
それにしても、芥川龍之介が褒めるのは珍しい。(自分が知らないだけかもしれないが)

また最後がいい。


僕は単に友情の為のみにあらず、真面目に内田百間氏の詩的天才を信ずるが為に特にこの悪文を草するものなり。


芥川龍之介は、単なる夏目漱石門下生の先輩としてではなく、友として内田百閒を想っている。認め尊敬し好きだからこそ、悔しさやもどかしさを抱いている感じが伺えるのが、また堪らない。

後、芥川龍之介の他に内田百閒の文章を読んでいる人物として「萩原朔太郎」と「室生犀星」が上げているのが個人的に沸いた。この周辺好きなんだよなあ。



10月3日(火)

くたくた。
作業に追われてヘロヘロだ。ちまちま、ちまちま。ちまはもういいです。ちまを差し上げます。(ダイアン津田さん風に「スーを差し上げます!」)
もう何も出来ないよ。本を読む以外は(え)


黒澤明・宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読む。


宮崎 「僕は都会育ちなもんですからね。子供時代は戦争終わったばかりでしたから、日本というのは貧乏で、どうしようもない国だというのばっかり聞かされた。というか、そういう感じを持って見ちゃったもんで、外国へ行って初めて、自分が日本の自然が好きだなんてことに気づいたりした状態でした。それだからアニメーション作っててもすぐ外国を舞台にしてしまうんで、一回とにかく日本を舞台にしなければいけないなって、それで『となりのトトロ』を作ったんです。」


へー、そうだったのか。
でも確かに宮崎駿監督の映画は、どれも(万物としての)自然が印象的だ。いつも傍にある気がする。

人は、心のどこかではいつも(万物としての)自然が身近にあって、望んでいるからこそ、(万物としての)自然溢れる宮崎駿監督の作品は(性質としての)自然に思えて、より惹き込まれるのかもしれないなあ。
なんて、思ったり。
んー、何言ってるんだろう。自分でも書いていて分からなくなってきた。
とりあえず、黒澤明監督も宮崎駿監督も、どちらも自然を大切にしているからこそ、多くの人を虜にしているのかもしれないなあ。 



10月4日(水)

黒澤明・宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読み終わる。

黒澤明と宮崎駿の対談というだけで面白そうだと思っていたが、期待に違わず面白かった。
興味深い話もたくさんあって、観たてほやほやの『まあだだよ』についても書かれているから、余計に良かった。

『まあだだよ』に出てくる小学校の門は、実は本物ではなく作ったものであり、簡単に退かせるくらい軽いのだとか。
例えば、映画の中に出てくる焼け跡は、焼け跡をより自然に見せるために、火山灰がある富士山の中腹にセットを作ったとか。
例えば、当時の洋服は揃っているのだが、体格が違いすぎて着られないため、古い生地を探して、全部古い仕立て方で仕立てたとだとかとか。
本当に凄すぎる。

他のまだ観たことない映画の話も興味深く、知った状態で観ると面白そうだなと、観る楽しみが増えた。

『まあだだよ』や他の作品のエピソードの話も勿論良かったが、2人の考え方思考も垣間見れたのが良かった。やはりどちらも、こだわりが凄い。忠実のこどわりが。

黒澤明監督は本当は、『平家物語』を映画にしたかったのだとか。
でも、当時の鎧兜は全て国宝で使えず、再現するにも数が多すぎる。だがそれ以上に、顔がなかったからやめたのだとか。


黒澤 「(略)第一、平家の公達の顔がないね。今の人ではまずやれない。」
宮崎 「なるほどね。」
黒澤 「それから鎌倉武士の顔も揃わない」


どこまで再現をこだわるのか。凄すぎる。
顔のことなど、考えたことがなかった。予算が足りず、作れないは分かるが、顔がないからやらないという理由があろうとは。
ただ作りたいで作るのではなく、作りたいプラス、再現出来るかどうかまで考えてるから作る。出来なければ、どんなに作りたくともやらない。その潔さと信念の強さよ。何処まで自分を脱帽させれば気が済むのだろうか、黒澤明監督よ。

本自体はそこまで長いものではなく、写真も盛りだくさんで、文字は少な目。だが、相当お腹いっぱいになった。

対談、というよりも、殆ど宮崎駿監督が黒澤明監督の話を聞く、という感じで、その関係性もまた良かった。監督同士の話、というよりも、歴史好きなおじいちゃん2人が喋っているような軽い感じがまた良かった。




ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』を読む。


病気に対する抵抗力は、抗体の形成を促進することと、それ以外の生理的な防衛手段の活動力を高めることによって得られる。


戦争と疫病には単なる比喩以上の深い関係があるのであり、悪疫はしばしば軍隊と共に、あるいは軍隊のあとに付いて行進したのだ。


いつ死ぬかというストレスと、不十分な食事によって、抵抗力や免疫力が落ち、病気にかかりやすくなる。だからいつの時代も、戦争と共に病気が流行る、ということだろうか。
どちらにしても、確かに2つは近くにある気がするなあ。



10月5日(木)

柿本正午『プルーストを読む生活』を読む。


借金はまだ作ったことがないが、借本で首が回らなくなっている。


自分もまた、借本に追われて首が回らなくなっている。ガチガチだ。
気になる本はとりあえずばんばん予約してしまうから、次から次へと来て、いつも焦って読む始末。それで積読本も溜まっているのに、全然読めないでいる。なんという悪循環。

鬼のような天使に「それなら予約を減らせばいいだろう」とチクチク正論を言われるけど、気になる本が多すぎて…。気づけば予約をポチッとしている。誘惑の悪魔に勝てぬ。

本も追いつかないなら、noteも追いつかないでいる。
目の影響で長時間画面を見ていられなせいもあるけれど、如何せん読むのが遅い。だから次々流れて増えて、あせあせしてしまう。(とはいえ、ある程度溜まっていて欲しいとも思っているけど。まだ読めるのがあると思えるのは嬉しいから。だから実際は、どんどん投稿して欲しいと思っていたり)

それにしても何十人何百人いる人は凄いなあ。
その上、本もたくさん読んで、記事もたくさん上げて…凄すぎる。
自分は読むのも書くのも遅いからなあ。せめてどっちか早くしたいなあ。目標。


中村武志『内田百閒と私』を読み始める。

内田百閒の弟子であり作家の著者が、内田百閒との思い出や、著者自身のその周りで起きた出来事を綴った本。


百閒の文章をはじめて読んだのだが、その独特の論理、レトリック、わかりやすい文章でありながら非凡な表現、無駄のない的確な文体、筆をおさえご本人は絶対に笑わないユーモアと飄逸(ひょういつ)と滑稽と諧謔(かいぎゃく)とが、『百鬼園随筆』のいたるところから湧き出て来るようであった。


これ、内田百閒に対しての完璧な紹介文ではないだろうか。まさにという感じだなあ。
非凡というか素朴ながらもユーモアがある。(とはいえ、まだ読んだことないけど。映画で感じた限り)それがまた良いんだよなあ。


内田百閒といえば、最近関連本が出てたな。

三上延『百鬼園事件』

気になる。この方の『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズは勿論、他の作品も細かく調べあげられていて絶品だから、きっと良いに違いない。
んー、でもどうしよう。置くところが…。文庫になること間違いなしだから、それまで待とうかな。


ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』(上)を読む。


日本の地理的位置は、当然この列島を海の向こうの大陸にはびこる病気との接触から隔離するものであった。しかしながら(略)もし何らか未知の感染症が間を隔てる海を跳び越え日本列島に侵入した場合には、悪疫による異常な災厄をもたらすことになるのだ。


閉鎖してしまえば問題ないが、入ってしまうと危険ということだろうか。あれは今更だけれど、閉鎖していればなあと思わずにはいられないよなあ。

そして歴史を辿る限り疫病は、大概の場合中国から入ってきているのだとか。本当、歴史ってなんだろう。



10月6日(金)

中村武志『内田百閒と私』を読む。


昭和八年『百鬼園随筆』が売れに売れて(略)印税の一部六百円が年末近くにはいった。その直後、京都の友人甘木さんが五百円を借りに来た時、先生は百円を上乗せして、手許の六百円を全部貸して、ご自分は正月のおせち料理もなしに、元旦の祝盃をあげた。その六百円は、敗戦後(略)に返済された。昭和八年の六百円と戦後のそれでは大変な貨幣価値のちがいがある。(略)戦前では家一件建ち、戦後では日本酒一本買えるくらいであっただろう。このことは、たまたまそれを目撃した人から直接聞いたのだが、先生はかつて一度もそれを話されたことはない。また、法政時代の教え子が死去するまで長い間面倒を見たことも書いたりしていない。


こういうところだよなあ。
もう本当に好きにならずにはいられないよ。何処にも書いていないというのがまた…。憎らしいなあ。

内田百閒のお金の考え方も面白い。
借金をするが価値を別段感じておらず、ただの紙片とさえ思っていたのだとか。そして借りるなら欲しい分より少なめに言い、貸すなら相手が望む分に上乗せして貸すというのがポリシーらしい。面白い。


人間には誰でもピーターパン的郷愁がある。子供の時代は早く大人になりたいと思うが、大人になって(略)振り返ってみると、もっと長く子供でいたかった、あのころは精神的自由があってよかったとなつかしむ。
こちらは少年時代の純粋さを失ってしまっているから尚更なつかしい。ところが、いくら年をとっても、失わずに持っている人がいる。内田百閒(略)である。それらの人たちの「汽車もの」(?)には、当然のことながらいささかの偽善もなく純粋さを保っているからこそ、読者は感動する。こちらの幼いころの純情さを再現して見せてくれるからだ。私たちにとって有難くかつ貴重な作品である。


ふむふむ。
読めば読むほど『阿房列車』が読みたくなってしまうよ。
作者も「見送亭夢袋(けんそうていむたい)」という名で登場するらしい。ほう。


竹田昼『ヒャッケンマワリ』を読む。

内田百閒の作品や人間関係、内田百閒についてあれやこれや描かれた漫画。

内田百閒にハマる随分前に買って置いていたけれど、読むなら今しかないと開いてみた。
やはり今だった。
おそらくこの漫画は、内田百閒のことをある程度、少しばかり知ってからでないと面白く読めなかった気がする。
ただそれくらい、内田百閒について細かく書かれている。それくらい、好きだったのだろうなと感じられるのがまた良い。

この中で気になったのが、宮城道雄という盲人の琴の作曲家。
内田百閒は琴が好きで、本当は弟子入りしようと思って訪れたのだが、仲良くなりすぎてやめたらしい。面白い。
それ以来の交流で、彼の追悼として書いた『東海道刈谷駅』は、事故死した宮城道雄の経緯や、もしこうだったら防げたのではないだろうかなどが細かく書かれているらしい。切なそうだけれど読みたくなった。
彼の随筆も気になるな。
『心の調べ』
『春の海』
チェックしよう。予約、予約。

他にも『阿房列車』のお供、山系君や、師匠の夏目漱石、芥川龍之介のことも書かれていて読み応え抜群だった。
特に芥川龍之介の話は良かった。


百閒は芥川を怖がらせて得意になっているふしがある
それを小説に書くつもりでいたらしい


面白い。わざと変な行動をして、芥川龍之介を怖がらせていたらしい。お互いに狂わされていたのだとか。ある意味仲がいいな。

普通の漫画よりも字が細かく多いが、文章だけよりも絵があって読みやすく分かりやすい。内田百閒をさらっと知れるのが有難い。
最後の参考文献一覧も結構参考になる。

読んでまた一層、内田百閒が好きになってしまった。どうしよう。(どうもしようがない)
何故買ったのか覚えていないけれど、当時の自分を褒めてあげたい。偉いぞ。




10月7日(土)

ラジオでB'sの新曲「ブラックレインボー」が流れてきて、この曲、どうやら映画の主題歌らしいのだが、どうもコナンみがあって、コナンの映画かアニメの主題歌っぽくないかという話になった。

結構コナンの曲を手がけている気がして、B'sといえば名探偵コナンというイメージがある。(個人的に)
だから聴いていて自分は、コナン君がサッカーボールを蹴っているシーンが頭に浮かび、それを言ったら、相手は

「サッカーボールじゃなくて、コナン君がスケボーに乗って道路を走っているシーンが浮かんだ」

らしい。確かに。その瞬間、頭の中でコナン君がスケボーに乗って駆け抜けていって、可笑しくなった。2人で想像してケラケラ笑ってしまった。
次また聴いたら、コナン君がずっとスケボーで頭の中を駆け抜けてそう。


ウィリアム・H・マクニール『疫病の世界史』(上)を読み終わる。

んー、難しかった。
簡単にまとめるとするなら、弱肉強食、よく授業でならったピラミッド、人間はその頂点かはたまた組み込まれていないと思っていたが(個人的に)、やはり人も例外ではない。
王者であるライオンに勝てるほど賢く、脅かす存在がいないと思っていたが、そんなことはなく、それが疫病という存在らしい。

そして、草が減れば草食動物は減り、草食動物が減れば肉食動物が減り、草食動物が減れば草が増え、草食動物が増えれば肉食動物が増える。というサイクルがぐるぐる回っているように、疫病と人間も同じ関係なのだとか。

人間という宿主が増えれば疫病が生まれウィルスが増え、人は減る。だが人が減れば、住むところがなくなるからウィルスは弱体化し減ることで、また人が増える。その繰り返し。
ぐるぐる、ぐるぐる。だから人が増えれば疫病が生まれて人を減らしていくのは必然であり、人が減れば、ウィルスも生き残るために弱体化し人がウィルスに慣れ、また人が増えていく、というのは自然なものらしい。昔からずっと続いている現象らしい。

この世から疫病やウィルスが完全に消えることはないが、疫病やウィルスによって、人が完全に消えることはない、ということなのかな。変な介入を入れなければ。

なかなか興味深かったけれど、難しすぎて10分の1くらいしか分からなかった…。
そしてまだ(下)もある…。
でも疫病のことというよりも、何が起きたとかの歴史についてが多く、頭が爆発しそうなんだよな。いや、もう既に爆発している。なので、ギブアップ。
もっと歴史が身についてから再度挑戦しよう。




10月8日(日)


ミニ南瓜。
凄い採れた。これ以外にも30個弱ある。どうしよう。
まあでも、南瓜は結構日持ちするからいいか。
南瓜の煮物、干し南瓜、薄めだけどちゃんと甘みもあるから、南瓜スープにも良さそうだ。


中村武志『内田百閒と私』を読み終わる。

内田百閒の『百鬼園随筆』を読んだことで弟子になり、内田百閒の文体に影響されているからか、どことなく内田百閒風味があって、読みやすかった。(内田百閒の文章読んだことないけど)
中でも『百鬼園随筆』との出会いと、内田百閒との出会いのエピソードがユーモアもあって良かった。

ただ、全てが内田百閒の話ではなく、半分は著者の話で、完璧に内田百閒に浸りたい場合は読み進めるのが大変そう。でも内田百閒の人となりや身内ならではの興味深い話もたくさん読めるから、十分楽しめるのではないかなあ。
何よりも、内田百閒に対しての敬愛に溢れているのが伝わってくるのが良かった。本当に、内田百閒は色んな人に愛されていたんだなあ。



嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「巌谷小波」編を読み終わる。

名前は聞いたことがないが、日本の民話や伝記など、例えば『桃太郎』『浦島太郎』『金太郎』の三太郎や『かちかち山』など、数多くの昔話を手がけていたのだとか。
知らなかった。名前はまあり知られていないが、もしかしたら誰もが彼の作品を1度は読んでいるのかもしれない。自分も然り。

後、尾崎紅葉『金色夜叉』のモデルは巌谷小波なのだとか。ほう。



うわあ、過去最多の文字数。
尚且つ内田百閒塗れで、これ読む人いるのだろうか。
それでも本当は、対談本もどの内田百閒関連本も魅力的で、書き写したいところがたくさんあった。泣く泣く諦めたけど、それくらい盛り沢山だった。だからこれでも減らした方。(これでか)

そしてまたか、という感じだけれど、内田百閒が主役映画『まあだだよ』、本に引き続き映画編を今週投稿予定。こちらも宜しければ。

もううんざりするほどの文字数、内田百閒祭りな文を、根気よくここまで読んで下さり、ありがとうございました。
有難いです。ついでに内田百閒を好きになってくれたらなあなんて思ったり。(図々しいな)
こうやってまたつらつらすると長くなりそうだから、強制終了。

皆様にも好きになれる物がたくさん出来ますよう、祈っております。
ではでは。


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