檸檬読書日記 コオロギは笑う。 6月5日-6月11日
6月5日(月)
思いっ切り口の中を噛んでしまった。痛い。
自分の歯はやたらと尖っているから、ぐにゅっと突き刺さってすこぶる痛い。やってしまった。
結構気をつけていたのになあ。と不思議と首を傾げていたら、鬼のような天使が「本当に気をつけていたら、起きないだろう」と、突き刺してきた。痛い。
ダブルで負傷です。
フェリシタ・サラ『フルールヴィルのいちねん:にわからうまれた せかいのレシピ』を読む。絵本。
以前、前作『ライラックどおりのおひるごはん:みんなでたべたい せかいのレシピ』を読んで、絵がとても気に行ったので、もう1作である『フルールヴィルのいちねん』も読んでみることにした。
相変わらず、絵が素敵だった。
特に食べ物の絵。海外の食べ物のパッケージや瓶に描かれてそうな、オシャレな感じ。
内容は、庭などで育てた野菜や果物を使ったレシピが載っている。「いちねん」という通り、その月に採れる野菜や果物などを使った料理が出てくる。
絵本だけあって、どれも簡単な料理が多く、試してみたくなる楽しい作品だった。
6月6日(火)
ラベンダー。
受粉の蜂寄せ用に購入。
近くで初めて見たけれど、なかなかに愛いな。
それにしても、匂いがトイレの芳香剤である。
自分のところは使ってないが、トイレの芳香剤はラベンダーのイメージがあるから、トイレだなあと思ってしまう。
情緒もへったくれもないけど。
三秋縋『君が電話をかけていた場所』『僕が電話をかけていた場所』を読み終わる。
生まれながら顔に大きな痣がある少年・深町は、ある日無人の電話ボックスにかかってきた電話をとってみたところ「賭けをしませんか?」と言われる。
痣を消す代わりに、期日までに初恋の女の子・初鹿野が自分に恋をすること。見事射止められれば、あなたの勝ちですと。
深町は賭けをし、痣は見事に消えたことで、今までとは違う人生が始まる。
けれど、痣がなくなれば全て上手くいくと思われたことは、ことごとく覆され、蓋を開けてみると様々な残酷な真実と、試練が待っていた。
といった感じで、深くて水の底に沈まされたような、それを何度も味わわされる作品だった。息苦しいけど、呼吸をするために先に進みたいと、読む手が止まらなくなる。
とにかく謎が多く、読み進めるうちにどんどん謎が生まれ、少しずつ全貌が見えてきたかと思えば、爆弾が落とされる。その繰り返しで、気が抜けない。
飽きさせず、ぐいぐいの引き込んでくる。その加減が本当に上手い。
同じ作者の『三日間の幸福』や『君の話』もそうだったけれど、この人の作品はどこまでも一途で、その一途さに毎回胸を突かれる。
今回の作品もそうだった。
アンデルセン『人魚姫』にかけていて、一途で切なく残酷。
考えさせられることも多かった。
主人公は、美醜によって被る残酷さも、振り回される愚かさも知っている。
それでも、視覚的要素を否定しない。
自分も本質的だけが判断基準だったらどれだけいいかとも思うけれど、それだけになってしまった世界は、確かに味気ない気がした。
そもそも、世界は表裏一体でできていると思ってる。醜く汚いものがなければ、美しいものは生まれない。知ることもできない。
だからきっと、大事なことなのかもしれない。
それなら結局大切なものは、世界には過度な美しさも過度な醜さもないと思うことなのかもしれない。なんて、思ったり。んー、自分で言っていてちょっと分からないな。
そういえば父の日が近いな。
母の日を逃してしまったから、早めに渡してしまおうかな。駄目かな。
母親にどうしたか聞いたら、もう渡したとのこと。早いな。
「もうとっくだよー。5月には渡してた」
とのこと。早いな。
じゃあもう買ってしまおう。
母親のプレゼントはいつも悩むけど、父親のプレゼントは楽だ。お酒一択。
6月7日(水)
まずい。
視界が点滅している。チカチカする。
今日は駄目な日だ。
使い物にならなくなる前に、色々と片付けてしまう。
そしてばんたんきゅー。
6月8日(木)
何がきついって、朝起きても回復してないことだよなあ。
寝て起きたらリセットされててほしいけど、そう上手くはいかない。むむ。
けれど救いがあるとすれば、ずっとは続かないということだな。
どんなに苦しくてもつらくても、かならず終わりはある。それだけが救いだ。
終わりがあるから、自分を保っていられる。
それにしても早く本が読みたい。
6月9日(金)
この前、てくてく歩いていたら、自転車に乗るおばあちゃんとすれ違った。
そのおばあちゃんはヘルメットをしていて、偉いなぁと思ってよくよく見たら、そのヘルメットがまさかのバイク用だった。
わあ、うちの祖父と同じ発想の人がいるんだと、衝撃。
かと思えば今日、またバイク用ヘルメットをつけているおじいちゃんとすれ違った。
凄いいる!とまたもや衝撃。流行っているのか?
ヘルメットだいたい5000円くらいするから、あの年齢では高くてもったいないのか、家にあるもので代用してしまうのかもしれないな。
皆発想が同じというのが面白い。
でも重くて視界も悪そうだから、それならしない方がよいのでは?とは思っちゃうよなあ。
気になって、自分の祖父はどうしたのかと聞いてみたら、リサイクルショップで買った模様。
しかし子供用で(まあでも、頭小さくて入るからそれは問題ないのだけれど)、衝撃吸収するのかと疑問に思うほど凄くぺらっぺらのやつだった…。
そして模様は、ファンキーなファイヤー柄。それでいいのか…と思ったけど、安く買えたことにご満悦そうだったから「良かったね」と言うだけで留めておいた。
それにしても、イカついバイク用ヘルメットをつけて自転車に乗る姿を想像するのもおかしかったけど、ファンキーなヘルメットで自転車に乗る姿も面白いなと少し笑ってしまった。
柿内正午『プルーストを読む生活』を読む。
オーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』なる本が出てきた。
屋根裏の改装を以来された大工が、完成までを綴ったものらしい。
なんだか面白そう。凄く気になる。今度図書館で借りて、良さそうなら買ってみようかな。
電話1本で、そんなに簡単にあげられてしまうものなのだろうか。そもそも、そんなにもお金に余裕があったのか。
今、日本でも水の被害が大変なところは、色々なところであると思うのだけれど。それ以外もたくさん。
もしかして、見えていない?実は日本にいないのだろうか。
誰も止める人はいないのかな。
それにしても、決定権強すぎやしませんか。
本当に助けたいなら、お金じゃなくてもいいと思うのだけれど。
また頭がくらくらしそう。
エリック・バトゥー『せんそう』を読む。絵本。
赤いお城と青いお城があり、2人の王様もお城に住む赤と青の民も仲が良かった。けれどある日、本当に些細なことから仲が悪くなり、国民を巻き込んだ戦争が始まってしまう。
といった内容で、胸を刺すような考えさせられる本だった。絵本ながら深く、悲しみや痛みが迫ってくるようだった。
上同士の喧嘩なのに、国民は巻き込まれ命を落としていく。どちらの国にもそれぞれ友達がいて、仲良くしたい会いたいのに、会えない。戦わなくてはいけない。
そして、地面には倒れて動かなくなった人々。
是非とも色んな人に読んでほしい、特に大人にこそ読んでほしい絵本だと思った。そして絵本と同じ終わりのようになればいいと願ってならない。振り回さないでほしいと…。
結局やりたいと思っているのは、安全な場所で見ている上の人たちだけなんだろうな。だからやるならやりたい人だけで、何も無いところでお願いしたいよ。どうかどうか。
本当に、上の人たちに読んでほしい。
エーリヒ・ケストナー『動物会議』という絵本と共に、読み聞かでもしたい気分。悪い顔してる上の人たちが、揃って体育座りしている中で読み聞かせしたら面白そう。
6月10日(土)
凄く落ち込む出来事があった。
本屋が…本屋が閉店してしまう。長年通っていた本屋が…。
結構買っていたんだけれど、やはり1人の力ではどうにもできないんだなと痛感。厳しいんだなあ…。
落ち込んでいたら「形あるものはいずれなくなるから、仕方ないよ」と慰められた。そうだよなあと、少し回復。
残念だけど、仕方ない。
これからは違う本屋をご贔屓にして、また支えていくしかないよなあ。
少しぐじぐじっとしてしまったけれど、買い物行って本買って、涙が出るほどケラケラ笑ったから、少し持ち直した。
いつまでもぐじぐじしてはいかんですね。
気を取り直して、本を読もうっと。
楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』を読む。
日本人作家の千鶴子は、仕事のために台湾と赴く。そこで出会ったのが、通訳の千鶴。
ふたりは色々な場所に赴きながら、怪物並の食欲を満たしていく。
この本は、やたらと食べ物が出てくる。だから夜に読むのは危険だ。お腹が空く。
内容は食べ物が多い分、基本的に軽くすらすら読める。けれどそれだけでなく、考えさせられる場面が随所に散りばめられていた。
千鶴子は謎が多い千鶴に惹かれ、友達になりたいと望むが、千鶴はなかなか壁を壊そうとはしない。
2人は食べ物で交流を深ていくものの、近づけば近づくほど何故が距離が出来てしまう。
ただ友達になりたいと思っているだけなのに、そう簡単ではない問題に、読みながらもどかしさを感じた。けれど理由を知れば、ずしりと何かが重くのしかかってくるようだった。
見方が違うと、全ては違って見える。
国も立場も違えば、全てが変わってくる。
だからこそ、たくさんのことを知らなくてはいけないなと思えた。広い視野で、様々な視点から物事を見続けていかなくてはなと、思い知らされた。
思い知らされたけど、少しだけもう少しお互いに歩みよれなかったかなあとも思ったり…。
世界ももう少し、簡単というか単純にならないものかなあ。
もどかしい。
たなかのか『すみっこの空さん』2巻を読む。
全ての人が、亀になってしまえばいいのに。
幸せはきっと、あらゆるところに転がっていて、あらゆるところに満ちている。
それでも目に見える幸せを探してしまう。きっと形あるものは本当の幸せではなくて、一時的な薬みたいなものな気がする。
薬しか探していないなら、皆亀になってしまえばいいのに。
皆亀になってしまった世界は、もう少し単純で平和で、幸せかもしれない。
なんて、思ったり。
それでも人として生まれた以上、人を全うするしかないのだけれど。
6月11日(日)
映画を観る。ポンポン弾かせて作ったポップコーンと共に。
ポンポン弾かせて、塩とよつ葉のバターを入れてつくるポップコーンが凄く良き。
美味しすぎて、大概映画開始20分くらいで食べきってしまう。不思議なくらいあっという間になくなって、手持ち無沙汰になる。それで無駄に飲み物を飲んでしまう。(食べ終わったなら、映画に集中しろよという話なんだけど)
映画は、季節外れの「ホームアローンⅡ」。
やはり面白い。今見ると、それはちょっと流石に…というところもあれど、ピタゴラスイッチ並の発想力は見ていて関心してしまう。
自分だったら、きっと失敗して直ぐに捕まってしまうんだろうな。もしくは、自分の仕掛けた罠にはまって、大変なことになってそう。
そういえば「ホームアローン」は、Ⅲまであったきがしたけど、Ⅲはなかなかテレビでやらないなあ。何でだろう。あまり人気がないのかな。うーん。
調べたら、どうやらⅢは主人公がカルキン君ではないらしい。ほお。
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「三上眉山」編を読み終わる。
んー、正直知らない方だ。ほう、という感じ。
ただ、樋口一葉に一目惚れして、結婚を申し込むもぴしゃりと断られてしまったというのは面白かった。
岩崎政利『種をあやす 在来種野菜と暮らした40年のことば』を読み始める。
長崎で長年にわたり、昔の種から無農薬で育て、自ら種をとりながら続けてきた農業の苦労や喜びを綴った1冊。
読めば読むほど、有機野菜は厳しいのだなと現実をつきつけられる。
有機野菜は大変だから、本当は高くしたくても見た目で落とされてしまう。味や体には断然に、無農薬がいいのに…。
今や給食までも見た目と安さ重視で、安全性はそっのけになっているらしい。
もしかしたら給食が1番危ないのかもしれない。
今、給食でコオロギを食べさせようと動いていると聞く。
上がコオロギをやたらと押しているから…。
でもコオロギは、動くものならなんでも食べる中国が唯一食べないものらしく、昔の医学書には、コオロギは不妊薬として載っていたらしい。
それを子供の給食に…。
その上コオロギの餌は大豆。
そのために大豆を入れたがっている。遺伝子組み換えの大豆を。
何かあったときのタンパク源になるから、が名目らしいけれど、それなら他のタンパク源や普通の大豆を作ってほしい…。わざわざコオロギの意味よ。
その上わざわざ補助金まで出して…。それなら他の食べ物に是非とも補助金を出してほしいなあ。
昔から食べられてないものは、それなりの理由があると思うけどなあ。
ゴキブリとかナメクジとか。
そんなに人口削減をしたいのだろうか。
面白がって興味本位で食べてしまう人もいそうだけれど、決して口にしないでほしい。
特に子どもの口には入らないように、断固として反対してもらいたいなあ。
まあでも結局は、どう思うか、信じるかは自由で、それでも食べるなら仕方ないと思う。
それでも全ての子どもが健やかに育つために、全ての人が健康で死ぬまで動けているために、考えてほしいなと思ってならない。
どうかどうか。
今回はへばってた日が多かったから、短くなるかと思えばそうでもなかった。不思議だ。
それにしてもやはりnoteの調子が悪い。もしや自分の調子の悪さと同調しているのか?うーむ。
不思議。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。
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