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檸檬読書日記 ショートケーキまみれ。 2月20日-2月26日

2月20日(月)

森岡督行『ショートケーキを許す』を読み始める。ショートケーキ好きによる、ショートケーキのための、ショートケーキエッセイ。

今日は併設の新橋店サロン・ド・テでいただきましょう。ドリップコーヒーと「苺のショートケーキ」が運ばれてきました。(略)
食べてみましょう。クリームがとけて、スポンジもとけて行く。一線越えて行く。そしてこのきちっとした三角形。三角形はショートケーキの代名詞だけれども、改めてそれを伝えてくれます。時間に耐えて得られた経験値。情熱、愛情。少しでも美味しく味わってほしいと考えたときのサイズとかたち。

ショートケーキ愛が凄い。
でも、ショートケーキじゃなくても、愛するものを熱烈に語っているのを見ると、何故か自分が凄く嬉しくなる。
何か突き詰めて好きなものがあるって、熱烈になれるって素敵だなあ。


若松英輔『はじめての利他学』を読む。
孔子「論語」について

まず、人々を等しく愛することによって仁に親しみ、それでも余力があれば、書物を通じて学ぶ(略)まず愛すること、それが孔子の掟なのです。仁は、儒教における利他的活動の基盤です。仁が起動するとき、利他が起きるといった方がよいかもしれません。その初めにあるのが「愛」なのです。

やっぱり大事なのは「愛」なのか。
初めさえも難しい自分って…。
愛って、漢字も見た目も聞いてる分には簡単そうなのに、それに反して凄く難解な気がする。
結局愛ってなんだろうって思うと、ぐるぐるする。
それでもいつかわかる時がくるのだろうか。



2月21日(火)


実なのか何なのか、名前も何なのかも分からないけど、何となく愛いな。


森岡督行『ショートケーキを許す』を読み終わる。
最初から最後まで、ショートケーキ愛に満ちた本だった。
読んでいておなかいっぱいになった。
ご馳走様です。

ショートケーキといえば、自分は昔ショートケーキがあまり好きじゃなかった。とはいえ今は食べれるようになったけど。
ショートケーキというか、生クリームが駄目だったな、いつから食べれるようになったんだろう。不思議。
そういえば、そもそも牛乳も苦手だったな…。
牛乳は口の中にいつまでも絡んで残る感じが、生クリームは生臭い感じが駄目だったな。
でも今は平気だから、やっぱり味覚って変わるんだなあ。人って面白い。

阿津川辰海『蒼海館の殺人』を読み終わる。

凄かった。そのひと言につきる。
何処までも考え抜かれていて、全てを組み立てるのにどれほど労力をかけたのだろうかと思うと、関心しまくってしまう。脱帽です。
凄く入り組んでいて、まるでパズルのよう。自分だったら組み立てる途中で頭痛くなりそう。(そもそも作れないし、思いつかないだろうけど)

名探偵の家族全員が容疑者という設定もさることながら、家族ならではの仕組みもあって、興味深かった。
個人的には、前作の『紅蓮館の殺人』より好きかもしれない。
3作目も出ないかなあ。そしたら次はなんだろう?
火、水ときたら、雷か土?地震?
是非出してほしいなあ。



2月22日(水)

ジョーダン・スコット『ぼくは川のように話す』を読む。絵本。
吃音のある少年の出来事を描いた作品。

朝、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。
(略)
そして、ぼくには、うまくいえない音がある。
(略)
思いどおりに、ことばがでてこないときは、どうどうとした、この川を思いうかべよう。
あわだって、
なみをうち、
うずをまいて、
くだけている川を。
(略)
ぼくの口も、この川の流れとおなじ。
これがぼくの話し方。
(略)
ぼくは話す、この川のように。

著者が詩人なだけあってか、文章が滑らかで川のように入ってくる。
絵も柔らかく優しく、2つが相まって凄く心揺さぶりる素敵な絵本だった。
子どもだけでなく、いや寧ろ大人に読んでほしい本だった。

大高忍『マギ』26巻を読む。

「考えが、まったく同じ他人なんて…この世には一人もいねーんた!!
どんなに同じだと思い込んでた大切な家族でも……相棒でも……
一人も、『まったく同じ』になんかなれねーんだ!!
だから……誰かと考えが違うからって、相手が死ぬまで戦って……
世界中とそれを繰り返して……最後に何が残るっていうんだ?
何も残らねーじゃねぇか!!
だから……『俺が一番正しいんだ』って、いろんなやつらが言い合いながら、みっともなく考えをぶつけ合いながら、全員で生きていくのが……
正しい道だ!」

アリババ…お主、かっこよかったんだなあ。
本当に全員で生きていくために、闘うんじゃなくて、話し合って決めていけたらどんなにいいだろうか。そうできたらいいのになあ。
何故こんなにも難しいんだろう…。



2月23日(木)

トールモー・ハウゲン『夜の鳥』を読み始める。
少年ヨアキムの父親は仕事を休むことになり、ときどき何処かに行ってしまうことがあった。そういう時はいつも、鳥があらわれる。少しダークめな、おそらく児童書。

片目。
まばたきひとつしないで、じっと見つめている大きな片目。その目は見てる、見てる、にらんでる。夜も昼も。ドアの前を通りすぎる人を、一人のこらず。
魔女の目だ。

最初からほの暗さが漂ってきていて、最初から物語に引き込んでくる。表紙の絵とも相まってどうなってくのか楽しみだ。



2月24日(金)

トールモー・ハウゲン『夜の鳥』を読み終わる。

不思議だ。
身を隠して、茂みの周りを回っていたのはだれだろう?
ただの雨や風のはずがない。
何か、もっと別のものだ。
それは、たぶん……秋。

不思議だ。
終始霧の中みたいで、何処から現実で、何処から夢なのだろう?と、読み進めていくうちにだんだんと分からなくなってくる。
突き詰めると凄く深くて、子どもの心情を上手く表現している作品だと思った。


2月25日(土)

若松英輔『はじめての利他学』を読む。
「代表的日本人」について

不安、不平、不満ならまだよいのです。それらは私たちが日々経験していることです。警戒しなくてならないのは、満足することを知らず、つねに「もっともっと」という心持ちが渦巻いていることなのです。そうした人間の心のありようを(略)「それは見えない牢獄になる」とすら述べています。

不安、不平、不満はいいのかと驚きだが、そもそもそれらを生み出しているのは「もっともっと」という貪欲さなのかもしれない。
それにしても「見えない牢獄」とは言い得て妙だなあ。囚われてしまうということだろうか。

探究心や向上心、もっと世界や国を良くしようと思う気持ちはは、素晴らしいものだと思う。そういう気持ちが、新しいものを生み出していくから。
けれどもその根本が、利他ではなく自己愛からくるものは、駄目にしてしまうのかもしれない。自分自身も世界も。

それにおそらく、もっともっとと求めなくても、誰もが何かしらの素晴らしいものを持っていると思うんだけどな…。
求める前に、自分自身を自分の国を、もう一度見つめてほしい。気づいてほしい。
何よりも、手に入れたとしても結局最後は何も持ってはいけない。何一つ。
それなら今あるものを大切に維持していく方がいいと思うんだけどな…。違うのかなあ…。
あまり奪わないでほしいなあ…。



2月26日(日)


今日はビビンバ!これに後コチュジャンをどんして食べる。
カレーとビビンバは好きで、定期的にやってくる。今は2週間に1回は食べてる気がするな。


若松英輔『はじめての利他学』を読み終わる。

自分を失ってしまえば、自分を愛することはできない。だから、自分ではないものに化けることは、愛を失う最初の大きな罠なのだ。

誰かと接していると、あらゆる場面で自分を偽らなくてはいけない時がある。
それは自分を守るために。
だけど本当は、その行為こそが自分を一番傷つけてしまってるのかもしれない…。
それでも、偽らなくてはいけないときが来てしまう。
だから結局、そんなことしなくても許される世界になるのが、一番いいのかもしれない。
なんて、思ったり。

この本を読む前「利他」とは、他人に優しくしする、といったふわっとしたイメージだったけれど、結構違うんだなと思わされた。
根本的には合っているかもしれないけれど、そこに「愛」が伴うかどうかということ、それが大事なのだと気付かされた。
「利他」とは愛であり、他人を愛す。自分を2番手にするということ。そして他人だけでなく、自分をも愛さなくてはいけない。
「利他」とは、深くて重くて、とても難しいものだと感じた。
でもだからこそ、目指したい。利他に生きられる人に、そういう人生にしたいと思った。
ちょっとずつ、少しずつ。
まずは愛を知って、優しい人にならなきゃなあ…。



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