見出し画像

今しか撮れない1枚を残そう「家族写真の魔法」

今年は、新型コロナウィルス感染症や熊本災害などがあり、たくさんの人が亡くなりました。幸いにも私の知り合いで直接亡くなった人はいなかったものの、何人もの家族がつらい別れをしたのではないかと思います。そんなときにふと手にしたフォトグラファー森藤ヒサシさんの『家族写真の魔法』(WAVE出版)という一冊。いつ何があるかわからないから、日ごろから家族との写真を撮っておいたほうがいいなと思い、読み始めました。写真の撮り方についての解説本なのかと思いきや、家族との関係を改めて見つめ直す本になりそうです。

「ある家族写真」を通して知ったフォトグラファー森藤ヒサシさん

フォトグラファーの森藤ヒサシさん。直接お話したことはないのですが、彼のことは10年以上前から知っています。というのも、私が仲良くしていたある家族と森藤さん家族が親しく、知り合い家族がプロデュースしているイベントに森藤さんの「小貫写真館」も参加していたからです。

もう1ついうと、私が仲良くしていた家族がお父様がある出版社の社長を退任するときに、娘さん夫婦がお祝い動画を撮影していて、その中に森藤さんの撮影風景も写っていたのです。私は、元社長とその家族のことが大好きなので、その動画をこれまでに500回以上繰り返し見ています。そして、そこに映る森藤さんが撮った家族写真も大好き。

森藤さんの撮る家族写真は、背景にあるストーリーが感じられるんですよね。社長がいて、奥さんがいて、娘さん、息さんたち夫婦がいて、その子どもたちがいて。総勢15、16人くらい? それぞれの家族が色違いのセーターを着て、みんな揃ってポーズを撮って1枚の写真に笑顔で写っている写真。その写真を見ると、「たった2人の夫婦から始まった家族が、子どもや孫が生まれると、こんなにも大家族になるのか!」と感じ、改めて感じる1枚でした。まさに社長夫婦2人が生きてきた証そのもの、という感じでした。

家族謝写真を飾ることで子どもの自己肯定感が上がる

社長が、10年ほど前私に写真について話してくれたことがありました。

「子どもの誕生日には、生まれてからの写真を何枚も飾ってあげるといいんだよ。そしたらその子は、自分はこの両親から生まれ、たくさん世話になってきた。記憶に残っていないことを写真で見ることで、改めて自家族に大切にされてきたことが実感できる。そしたら子どもの自己肯定感も上がるし、家族に感謝できるようになる。それに、親に感謝できる子は思春期になってもぐれたりしないんだよ」

たしかそんな話だったと思います。そう話してくれた社長自身も非常に多忙な方で、でも娘さんは「父はどんなに忙しくても運動会などは必ず見に来てくれ、自分が走るところだけ見て帰る。そんな人だった」と話していました。

森藤さんの本を読んだら、社長から聞いた話が書いてありました。

『家族写真は、セルフイメージをアップさせる力を持っています。(中略)あなたは、なぜ自分がこの地球上に存在しているか、答えられますか?あなたが存在しているのは、あなたの両親が存在してくれていたからこそ。両親がいて、あなたをこの世に誕生させてくれたのです。もし、自分という存在が好きではなかったとしても、今自分自身が地球上に存在しているのは、事実です。(中略)子どもにとって、両親と一緒に撮った家族写真は、「自分は愛されいてるんだ」「何もしなくても、ただ存在しているだけで、愛されているんだ」と気づかせてくれる宝物です。そこには無償の愛があるのです。「自分は愛されている」。人はそう思えるだけで、セルフイメージがアップするのです』

子どもの自己肯定感が低いといわれている日本ですが、家族写真を撮り、それを見ることで、自分の存在と親とのつながりを感じられるのかもしれません。これまでの人生で感じた、うれしいこと、つらいこと、傷ついたり、怒ったりしたことも、すべて生きているからこそ感じられること。

長年続いた父との確執は解消できるのか

そうはいっても、家族に対して許せない気持ちを持った人もいるでしょう。実は、森藤さん自身がお父さんに対して長い間ネガティブな感情を持っていたといいます。

代々写真館を営んできた森藤さん家族ですが、実は写真館といっても家族写真が多いわけではなく、七五三などの記念写真も繁盛記が過ぎて閑散期に撮るくらいだったといいます。また忙しかった父親と過ごした記憶はほとんどなく、同じ写真館で働き始めてからは父親が上司で森藤さんが部下という関係になったため、確執がうまれ、さらには考え方の違いからぶつかり、心の底からお父さんを憎むまでになってしまったのです。

そんな森藤さんが変わり始めたのが、自身の子供のころに撮った家族写真を見たから。

『家族写真を見ながら、昔のことを思い出していくうちに、少しずつ父に感謝できるようになっていきました。小さいころから話す時間もなく、父を理解できていませんでいsたが、少しでも理解できるようになると、父のいい部分が見えてきたのです。ネガティブな目線だと悪い部分しか見えてきませんが、父のいい部分を思い出すことで、感謝ができるようになっていたのです。(中略)母親というのは、息子が何をしても許してくれる、地球上で唯一の存在。それだけ、大きな愛があるのです。このように家族写真を見ると、昔の思い出がバーと波のように押し寄せ、次から次へと浮かんでは消えていきます。いい思い出もあれば、嫌な思い出も蘇ってきます。(中略)自分という存在がこの世にあるのは、父と母という存在がいるから。今、自分が幸せな境遇でなくても、この世に生まれてきたのは、なにかしら意味があるから。その意味を見つけるのは、自分。両親ではないのです。今は両親に対して、心からの感謝しかありません。一生懸命働いて、私たちを育ててくれてありがとう、と』

森藤さんが写真を通して、改めてご両親と向き合えるようになったのがいつのことか私は知りません。もしかしたら、そこには東日本大震災での経験もあったのかもしれません。

東日本大震災で考えた家族写真の存在

2011年3月11日。東日本大震災が起こったとき、茨木にある小貫写真館も壁にひびが入るなどの被害があったといいます。ボランティアで石巻に行った森藤さんはそこで2つ、印象に残ったことがあったといいます。1つは、津波で流されたあとに、海岸に戻ってきたアルバムや写真を集め、それをきれいにし、貼りだしたあとの出来事。森藤さんも写真家としてその作業にかかわったそうです。

『多くの人が津波で流されてしまった家族写真を見つけるために、長い時間をかけて写真を見て回っているのです。その姿がよくニュースで流れていましたが、一生懸命に探す姿は、深く心を打つものでした』

もう1つは、福島の原発事故により強制的にほかの場所へ移住させられた被災者の方々が、一時的に家に戻れたときのニュース。

『久しぶりに我が家へ戻った人々が持ち帰ったものは銀行通帳、位牌、そして写真アルバムでした。自分たち家族の写っているアルバムを大事そうに抱えている姿が、私も目に焼き付いています。人々が取り戻そうとしていたのは、高価な洋服やブランド物のバッグや宝石などのぜいたく品ではなかったのです。そこに想いの詰まっているモノ、故人を思い出せるモノだけを持ち帰ったのです。(中略)人間の記憶は曖昧です。どんなに感謝していても、どんなに愛していても、その大切な人が亡くなってしまえば、少しずつ思い出もぼやけていってしまいます。だからこそ、その人の顔や姿形がわかるものを残すことが必要だと思うのです。それが家族写真なのです』

森藤さんが、お父さんとの長年の確執を超えられたのも、ただ単に大人になったから、月日がたったからというだけではなく、東日本大震災での経験があったからなのかもしれません。

人の生死を考える機会が多い今年だからこそ読みたい一冊

『家族写真の魔法』の本には、具体的な写真の撮り方から構図、また撮ったあとの写真の活用法についても、丁寧に紹介されています。七五三、年賀状写真、マタニティフォト、両親の記念日写真。それぞれの家族にまつわる思い出や、撮り方のコツなども載っていて、改めて家族写真を撮ることの大切さを感じました。

今年はコロナもあり、生と死について考える機会が増えています。また、帰省も旅行もできなそうなので写真を撮る機会はかなり少ないのですが、家で家族そろって過ごす時間は増えています。そんな、とくに何もない日常を撮っておくのも記念になるかもしれません。私も森藤さんの本を参考に、久しぶりに写真を撮ってみようなあ。






この記事が参加している募集

読書感想文

カメラのたのしみ方

フィリピンセブ島の孤児院で出会った子どもたちをサポートします😊✨✨子どもたちが大人になったとき、今度は誰かをサポートしてあげられたら素敵ですね❤️