小さな町に誕生した多才な生徒たち
彼の名前はA。今は母国を離れ、英語の教師などをしながら異国で新たな生活を築いています。昨日、彼の幼馴染であり、音楽の道を歩む男性が待望のアルバムをリリースしたという興奮に包まれていました。その幼馴染と一緒に学生時代の思い出を振り返り、母国の田舎にある小さな町での温かな日々について話してくれました。彼が幼馴染の成功を自分のことのように心から喜ぶのには、少しわけがあったようです。
ミュージシャンになった幼馴染
「昨日、幼馴染でクラスメイトの彼が、ファーストアルバムを発表したんだよ。彼のインスタのフォロワーは現在1.5Mいる。それを知って、僕はとても幸せな気持ちになったよ。彼とは家が隣同士だったこともあり、子どもの頃いつもバルコニーに出て彼と話してたよ。隣の家から、今は午後2時だぞ。昼寝の時間だ!と叫ぶ声が聞答えたよ(笑)。
数年前、僕が今住んでいる国に移住してからは、彼とは連絡を取っていなかった。数年前、彼は、僕と同じ国の別の都市に来たから、インスタグラムから彼に連絡したんだけど、彼はフォロワーが多すぎて、僕からのメッセージだとわからなかったみたいだね。もし、彼が僕の顔を見たらようこそ!と受け入れていたと思うよ。母親同士は知り合いだから、母親経由で彼の個人的な電話番号を聞いたら、連絡が取れるかもしれないね」
平たんではなかった幼馴染の人生
「僕の幼馴染についてもう少し話そう。彼は、とてもエネルギッシュな少年で、いつも学校で先生たちとの間に問題を起こしていた。
彼が中学か高校生の頃、彼の父親が車の事故で亡くなったんだ。彼の父親は、とても静かで紳士的な人だった。彼の母親は、ブロンドヘアーにブルーの瞳をした、とてもきれいな女性だった。しかし、彼女はとてもクレイジーな母親だった。いつも僕が彼の家に行くと、彼はいつも母親に叩かれて泣いていた。彼は父親の死後、学校をやめて働きだしたんだ。
僕と幼馴染は、俳優を目指していたんだよ。彼は、僕よりもハンサムで俳優にも向いていた。僕は、俳優があまり好きではなかったから途中でやめたけど、彼は俳優になる夢を叶えた。
彼の人生は、本当に大変だったと思う。彼は、父親を亡くし、クレイジーな母親と生活することになった。彼は、僕の住む国に移住したのち、本当は別の国に行きたかったんだと思う。でも、何らかの理由で彼は母国に帰ることになった。そんな彼が、ついにファーストアルバムを出したんだよ」
夢を追い求める中での挫折や、本来の計画から逸れてしまった現実。それでも彼は、その逆境を跳ね返り、自らの感動や経験を音楽に込めました。そして、ついには待望のファーストアルバムを世に送り出せたことは、とても喜ばしいことですね。そんな幼馴染を思って、彼も誇らしく感じたのだと思います。
小さな町に誕生した多才な生徒たち
彼は、幼馴染の活躍について、とても嬉しそうに話してくれました。彼の通っていた学校では、ほかにもたくさんの優秀なクラスメイトがいたといいます。
「僕が生まれた町は、首都でもないし、都市でもない。田舎の小さな町なんだ。そんな町で成功をつかむのは、本当に少しのチャンスしかない。だけど、彼らは成功をつかんだ。友達の一人はドバイで、別の友達はマレーシアで医者をしている。芸能人になった友達もいる。僕らの学年は、とても優秀な生徒が揃っていたと思う」
ところで、なぜ小さな町の学校で、多くの優秀な生徒を輩出できたのでしょうか?それについて、彼は教育環境が鍵だったと語ってくれました。
切磋琢磨する生徒同士の関係性
「僕が通っていた学校は、常に生徒同士を競わせていた。テクノロジーもないし、特別な道具もなかった。ただ教育環境としてはとてもよかったと思う。なぜならいつも先生たちは、生徒同士を競い合わせながら同時にお互いを補完し合う関係を築かせたのが大きかったと思う。
あるとき、僕は科学の成績で最高得点の20点満点だった。2位の生徒は19.75点だった。彼は、突然泣き出したんだ。僕らほかの生徒は、点数はそんなに大事じゃない。君はベストを尽くしたじゃないかと慰めた。みんなすべてのテストでいい点数を取るためにがんばったし、その過程や結果で、お互いに励まし合った。切磋琢磨する仲間がいたからこそ、お互いをより高め合えたんだと思う」
彼の学校は規模は小さいながらも、教育に対する真摯な姿勢と質の高い指導陣が充実していたようです。先生たちは個々の生徒に注意を払い、その個性や才能を引き出すことに情熱を傾けていたのかもしれません。
また、学校全体がアットホームで温かな雰囲気に包まれており、生徒たちはお互いをサポートし合い、協力して成長していく文化が根付いていたのかもしれません。この教育環境が、生徒たちに自己表現や学問への情熱を育む土壌となり、結果として多くの優秀な人材を輩出する原動力となったようです。
幼い頃に祖父とした約束
「クラスメイトたちは、試験結果やアート、音楽など、どれか一つ秀でることが多かったけど、僕はすべての科目、スポーツ、アート、音楽、ガールフレンドとの関係で優れていた。だけど、成績で2位や3位だったクラスメイトたちは海外で成功をおさめ、今、僕はこの国で英語の教師をやっている。信じられないよね…。
今、僕はこの国で英語の教師をやっているけど、近い将来、アメリカに行って医療について学び医者になるつもりだ。不幸にも、僕の母国では大学に進学することが許されなかった。だから僕は母国を出てこの国に来たんだよ。子どもの頃に祖父と約束したんだ。亡くなった祖父は、いつも僕のことをいつもどこでも「やあ、A医者」と呼んでいたよ(笑)」
彼はそういって会話を終えました。
彼の夢が果たされる具体的な時期は、率直に言って現時点では見えません。ただし、彼は毎日、自分の目標に向けて様々な道を模索し、積極的に行動しています。この積み重ねの過程は、将来的に何らかの成果を生むことでしょう。
彼が着実に歩みを進めていることで、将来の成功への礎を築いていくはずです。未知の将来に対する不安もあるでしょうが、彼の精励と積極的な姿勢が、夢に向かって着実に進む力となるでしょう。その過程で彼が学び、成長し続けることで、夢の達成がよりリアルなものになることを期待しています。
フィリピンセブ島の孤児院で出会った子どもたちをサポートします😊✨✨子どもたちが大人になったとき、今度は誰かをサポートしてあげられたら素敵ですね❤️