英語力の次は「情報を知識に翻訳する力」情報社会を制するのは英語以外の素養です
「ネットの情報の多くは英語だから、英語ができると情報収集力に格差が付く」という記事が多いですが、ネット情報の殆どはゴミであることを考えれば、英語力が上がるとゴミ収集力も高まることになります。
2019年現在、インターネット上で日本語ユーザーが占める割合はたったの1.7%で英語ユーザーは20%だという統計があります。ネット上の5人に1人が英語で情報を発信し、超高速通信5Gの導入を目前に控え、英語ができる人ほど最新の情報をリアルタイムで入手できるという、人類史上「最速」の時代を迎えようとしています。
しかし、TwitterやFacebookのニュースフィードを光の速さで埋め尽くしに来るのは個人の
腹減った「I'm hungry」
ムカついた「I'm angry」
という非生産的な情報ばかりだろうし、何かしらのコンテンツを制作している会社であっても、あまりにも多くの情報の海に埋もれないために仰々しいタイトルで「ミーハー化」したような安物の情報がばかりなのでしょう。
最新のゴミを最速で受け取れる
情報の質が人類史上「最低」の時代を迎えようとしている中で、まず一つ身に付けなくてはならないのは、情報を捕まえるための英語力よりも、情報に飲まれないための「分別力」ではないでしょうか?
便利なものだからと全て溜め込めば家がゴミ屋敷化するように、真に価値のある情報を選り分ける力が無ければ、時間を奪われ、人生の主役の座をガラクタ情報に譲り渡すことになります。
英語ユーザー数と通信速度が急上昇する時代だからこそ、英語以外の素養がますます大事になる気がするのです。
英語が当たり前になる時代、真の格差は英語力によってではなく、「分別力」「翻訳力」「多角的視点」という3つの素養によって付くのではないか?今日の記事はそんな内容です。
1.情報リテラシーという分別力
「本を表紙で判断する力」とも言いかえられます。
「本は表紙で判断するな」と昔から言い続けられてきましたが、表紙の段階で「読む本」「読まない本」を判別できないと、読む価値の無い本を掴まされ、時間を奪われることになります。
日本では1年間で75,412冊の本が市場に出回り、1日当たり205冊が出版されている換算になりますが、ネットでは1日当たりDVD1億6800枚分の情報が溢れています。1億6800万枚分のDVDの情報とはどのくらいかと言うと、1枚2時間換算で、全て見終わるには94万年かかる計算になります。
記事のタイトルや画像、情報源などから「触れる情報」「触れない情報」を選択することは、これからの時代、本を表紙で判断すること以上に意味が重くなってくるはずです。
2.英語の情報を知識に変える「翻訳力」
「情報を解釈する力」と読み替えられます。
英語で最先端の情報を掴んだとしましょう。しかし有効活用できなければ、その情報に価値が無いと言えます。
「銅の価格はここ3年、5年安定的に上昇している」
例えばこのような情報が英語の速報で流れてきたとします。cupper (銅)という単語や、price(値段)という単語を知っていれば、その情報の意味は理解できますが、その情報が真に何を意味しているかを知るためには、英語ではなく経済学の知識が必要です。
「銅価格は物価の変動を受けず、素直に経済全体の調子を教えてくれる」ということと、その理由を知っていれば「あ、景気は近年好転しているな」と勘ずくことができ、果敢に投資の判断を下すことができます。
英語で得た生の情報を知識に加工する翻訳力
今後の時代、ますます重要味を帯びてくるのは英語以外の力です。英語力だけ高めて最先端の情報を英語で収集できても、それを咀嚼して物にしなければ意味がありません。
3.英語で得た情報が全てだと思わない「多角的視点」
「幅広い視野」と換言できます。
最新の情報はいつも英語だから、英語で情報を採取し続ければ最先端の世界を理解できる、というのは大きな誤解です。なぜなら、以前の記事で書いたように1言語1世界観ですから、英語の情報で分かるのは「世界そのもの」ではなくて、あくまでも英語という特定の視点から見える「世界の像」だからです。
英語を通して得た理解が世界の現実を正しく反映しているとは限りません。英語で得た情報には英語バイアスが常に掛かっているからです。
もう少し分かりやすい例で説明すると、パソコンを買いに行くときの男女の違いでしょうか。男性は機能やスペックを重視し、女性はデザインや雰囲気を重視するでしょうから、同じパソコンについて書いたレビュー記事でも、男性視点で書いた場合と女性視点で書いた場合は、全く異なる記事ができることでしょう。
このような視点による見え方の違いを性別バイアスと言います。
そして英語という言語も1つの視点ですから、「英語で情報を得る=限定された角度からの見え方をする」ことになり、英語で情報を得れば得るほど偏った世界観の中で生きることになると言えないでしょうか?つまり英語にこだわるほどこの世界がますます湾曲して見え、世界の真の姿を捉えることができなくなるわけです。
言葉は見え方を規定し、見え方は思考を規定します。
言語のこの特質を良く理解し英語バイアスに打ち勝ち、「英語以外の視点で見たらどう見えるだろうか?」など1つの情報を多角的な角度から吟味する態度を取る人こそが、英語に飲まれず真の理解にたどり着けるのだと思っています。
まとめ
最新の情報が英語で最速で流れてくる世の中を良く生きるために必要な能力は「英語力」に加えて、「分別力」「翻訳力」「多角的視点」が求められるのだと思う。
「分別力」が無いと、あなたの人生はゴミ屋敷状態になる。
「翻訳力」が無いと、最速で得た情報の価値が、最速で失われる。
「多角的視点」が無いと、世界を英語の世界観で解釈し、世界の真の姿が見えない。
流れてくる情報に流されるか流されないか。それは英語以外の素養によって決まるのだと私は考える。
今日の関連記事として、1言語1世界観の記事を挙げておこうと思います。お時間の許す方は是非ご一読してくださいませ。
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