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なぜ長い?本のタイトルが俳句みたいに長くなっている理由を3つ考えてみた

こんにちは、ゆうです。

「転生したらスライムだった件」「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」などここ数年俳句以上の長さの本・記事のタイトルが増えている気がしませんか?

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タイトル自体が1つの文章だったり、中には「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」のようにタイトルが2文になっているものも見受けられます。


一昔前の本だと「射陽(太宰治)」「心(夏目漱石)」のように一単語のタイトルが多い印象です。

これは時代の変化と呼べるのかもしれませんが、なぜこのような変化が起こってしまったのか?3つの理由を考えてみました。

・ラノベの影響を受けたから
・オンライン媒体が普及したから
・読解力が下がっているから

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1.ラノベの影響を受けたから

ライトノベルとはファンタジーを元にした若者に読みやすい小説のことで、一般小説よりも表紙が萌えアニメキャラであることが多いです。1990年代に登場した新しいジャンルの本で、その業界では昔からタイトルが長い傾向がありました。

【31文字のタイトル】
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?

【54文字のタイトル】
男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。


残念ながら筆者はライトノベルを読んだことがなく、大学生時代に初めて知った言葉で、ライトノベルについて知れる唯一の方法は同級生の会話を聞くことくらいだったのですが、ネット流行ったライトノベルがそのまま出版される事があったとかなかったとか。

最初はコアなファンの間でしか盛り上がりを見せていなかったライトノベルも、スマホの普及により大小いくつものバズリを経て幅広い読者層を獲得、その過程で長めのタイトルが広がったのだと思います。

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特に大きな転換点となったのが、異世界に転生シリーズが流行りだした頃合いでしょうか。ライトノベル風潮が更に拡散、それに応じて長いタイトルに親しみを感じる人が急増したのではないのでしょうか?



2.オンライン媒体が普及したから

先程のラノベの流行とやや被る部分がありますが、この章では少し別の角度から考察を加えていこうと思います。


「読む」という活動が行われる場が、紙媒体からオンライン媒体に移行するとどのような変化が起きるのか?1つは読むことが手軽になることでしょう。


紙で読む場合と比べて、構えて読む必要がなく斜め読み・流し読みが許容されます。ということは、目を引くタイトル以外は埋もれてしまうことになります。

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記事を読ませてアクセス数を稼ぐためにはタイトルだけで記事のテーマや結論、対象となる読者層など複数の要素を匂わせる必要があり、これらを詰め込むと記事のタイトルは長くならざるを得ません

そこに前述したライトノベル文化の一般大衆受けが相まって、長いタイトルを許容する態度がラノベ界という湖から世間一般という海に広がったのではと私は推察します。


それだけではありません。


オンライン媒体で読むということは、バックライトがあるスマホやパソコンという発光体の上で読むことになるため、目が疲れます。そういう機器的事情から、目を凝らして長時間読むということがどうしても苦痛にならざる得なくて、要点を素早く拾えてサクッと読めるため記事そのものに簡潔性が求められます。

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タイトルの段階で記事の概要を掴んで本文を読む場合とそうでない場合を比べたら、タイトルが明確であればあるほど記事から要点を拾いやすくなります。

記事タイトルが長くなるというのは、ネットが普及した読者のための風潮なのかもしれません。

きっと良かれと思ってそうしたのでしょう。しかし、そうやらそれがもたらした結果は良いものではなかったようです。

それがこちら。



3.読解力が下がっているから

要点が拾いやすいように書かれた「バカでもわかる」文章が社会全体のスタンダードになるほど、「朱に交われば赤くなる」理論で、読解力の低下が社会全体に広がります。そうであることを示すように、読解力テストの結果が下がっているというニュースを毎年聞きませんか?

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読み手に高度な読解力を要する味わい深い文章はオンライン媒体を中心として年々避けられるようになりました。


そうなればなるほど、簡潔性こそが正義の光と言わんばかり、本文はますます平易になり、ただでさえ負担なく読める文章をさらに楽に読めるように記事タイトルは長くなることでしょう。


タイトルが長くなるというのは見ていて面白い現象ではなく、恐怖すべき現象であると私は感じます。


人間、楽をしたいという気持ちに際限は無いものです。ゆえに、記事タイトルが長くなり、俳句の長さをちょっと越えたようなタイトルがよく見られるなぁという現在の延長線上にあるのは、1ツイート(140文字)ほどのタイトルを冠した本や記事が普通になる時代でしょう。

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同時にこれは、人間の読解力は際限なく下がっていくことを意味することでしょう。


希望がないかと言えば案外そうではなく、例えばネット疲れが社会に蔓延した時、紙媒体の復刻が起きやすくなります。2020年、コロナでビジネスも教育も読むという行為も物理的な空間からデジタルに移行し、今やデジタルコンテンツ疲れが社会に見え始めています。


そんなとき、紙で読むことのありがたさに気付き、ネット離れをしようという動きが起きやすく、読解力を取り戻したり、底上げする絶好の機会であるはず。

とは言いつつも、今後もコンテンツのデジタル化という、津波にも似た潮流は避けることができないと私は予想します。今は、この波が一時的に引いて冷静になれる時だと肌で感じており、ロックダウン第二波も近づいているこの時期だからこそ、ネット媒体から離れて紙媒体を見つめ直す良い機会じゃないかなと思っています。


おわりに

記事や本のタイトルが長くなるのは時代の変化だし、それは社会情勢だけではなく人間の在り方の変遷を表している氷山の一角なのだと思う。たかがタイトルの話かもしれない。でも、大きな変化というのはいつだって大きな変化の積み重ね。

小さな変化はベクトル値で、方向を持っている。その集積が未来を作るのだろう。

1言語1人格。語学だけで終わらない語学の学習を始めとして、留学・海外生活について投稿しています。フォローしていただくと、語学の勉強が楽しくなります。