マガジンのカバー画像

Positive Impact of books

14
運営しているクリエイター

記事一覧

『森の生活−ウォールデン−』 ソローと2人の親友

『森の生活−ウォールデン−』 ソローと2人の親友

 

『森の生活−ウォールデン−』の著者、ヘンリー・D・ソローは森の中に建てた小屋で約2年間生活しました。そう聞くと、ソローは非社交的で孤独な人物に思えるかも知れませんが、実際にはとても話し好きの社交的な人間でした。
 ソローの小屋には、色んな人々が訪れます。『森の生活』の[訪問者][先住者、そして冬の訪問者]という章には、ソローの交友関係が記されていて、彼の親友が2人登場します。
 一人は、ウイ

もっとみる
『森の生活−ウォールデン−』

『森の生活−ウォールデン−』

 ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州コンコード、ウォールデン池の畔の森に自ら小屋を建て、1845年7月から約2年2ヶ月一人で生活をしました。
 ソローは、森の動物や植物を観察し、農作業をしたり、人間や社会について考察しながら生活し、その経験をもとに『森の生活−ウォールデン−』を執筆します。
 ソローの思想を要約すると。文明の進歩によって人々の生活はより便利で快適にな

もっとみる
『ブッダのことば スッタニパータ』完結その⑥ 瞑想の実践

『ブッダのことば スッタニパータ』完結その⑥ 瞑想の実践

 長年『スッタニパータ』やスマナサーラ長老の本を読むうちに、原始仏教は瞑想を最重要としてることが、わかってきました。しかし、本格的に瞑想に取り組むこともないうちに歳月は過ぎて、自分はある年に大きな病にかかりました。
 そして、その大病の再再発が疑われて検査した頃、自分なりに真剣に瞑想を行いました。
 再再発かもしれないとなって、即検査をして病院からの帰り道、心の中は重く身体も重くて、30メートル先

もっとみる
『ブッダのことば スッタニパータ』その③ 大乗仏教と小乗仏教

『ブッダのことば スッタニパータ』その③ 大乗仏教と小乗仏教

 お釈迦様の死後から200年から500年くらいの間に、仏教は18の部派に分かれてしまいました。18部派の中の一つが後に大乗仏教になります。中国や朝鮮や日本と、主に北へ布教発展したので、北伝仏教ともいいます。
 大乗仏教とは、字の通り、大きな乗りもの。仏教の神様が、国家や大衆や全ての生命を、大きな乗りものに乗せて彼岸の世界へ渡らせてくれるそうです。

 大乗仏教と対になってるのが、小乗仏教です。小さ

もっとみる
『スッタニパータ』その② もう時期お盆なので、仏教にちなんで家の宗派の話

『スッタニパータ』その② もう時期お盆なので、仏教にちなんで家の宗派の話

 母方の実家は九州の福岡にあって、自分が小さい頃夏に何度か泊まりに行きました。宗派は浄土真宗で、祖父は農業高校の先生で、祖母も教師をしていました。あと、母も伯父も教師をしてて、教育系の家だったんですね。
 祖母は威圧感があって、よく喋る人でした。祖父はいつもニコニコして控えめな人でしたが、肩や腕の筋肉がすごくて、自分を腕にぶら下げてグルングルン振り回してくれた思い出があります。
 お盆には仏壇やお

もっとみる
『スッタニパータ』

『スッタニパータ』

 『スッタニパータ』はお釈迦様の死後、仏弟子達がお釈迦様の話した内容を暗誦し続け後世に伝えてきたことを、詩の形式で編纂したもので。仏教で最古の経典になります。
 この本を読み始めてから15年以上はたってます。煩悩の矢が刺さりまくっているので、説かれている内容と自分の現状との差に、暗澹たる思いになります。それでも、一生読み続ける本のうちの一つです。
 抜けやすい矢(食欲とか情報多可)を抜くだけでも、

もっとみる
『菜根譚』その②

『菜根譚』その②

 自然に接すると教わることも多いのですが、自然は教えようとはしてません。天地自然は最上の芸術作品ですが、その作品に込められた意図はなさそうです。もしそうであるなら、天地自然がどう見えるかは、それを見る人間の感性次第になるので。そうすると、天地自然とは、、、、。結局何なのでしょうか。う〜ん。わからないけれど。わからないことも含めて、天地自然の芸術性かも知れません。

『菜根譚』③ 意地悪い人達っていつの時代にもいるものだから、気にしないのが最良の対応策。 

『菜根譚』③ 意地悪い人達っていつの時代にもいるものだから、気にしないのが最良の対応策。 

 現代の日本でネットにしても現実の世間にしても色々言う人々はいて、明朝時代の中国でも人間の性質としてよくあることだったのでしょう。
 人生の哲理や警めを与える書のジャンルを、中国では「清言」と呼び明時代末期は特に盛んだったそうです。代表的な清言である『菜根譚』を読んだ当時の人々も、「そうか❢気にしなければいいんだ!」とか思ったかも知れません。

『菜根譚』その①

『菜根譚』その①

 『菜根譚』は、中国の明時代の末期に、供自誠という隠遁者で謎の多い人物が書いた本です。短めの文章で書かれた語録集で、前編は世俗の知恵や処世術、後編は風流ごとや自然の趣きについて書かれています。

  前編の、人間関係や処世術等の記述を読むと、「う〜んもっと学ばないとな~。」と思います。多分、自分の苦手分野かも知れません。まあ、人に怨まれることはないので、それで良しとしておきます。

『言志四録』4巻『言志耋録』 藝術についての条文

『言志四録』4巻『言志耋録』 藝術についての条文

 「藝能があって、しかも謙遜な者は、藝の最も優れた者である。」 なるほど〜。伝説的なほどすごい芸術家になると、そんな感じしますね。普通の人にしか見えないくらい腰が低かったりしてて。

『言志四録』 4巻『言志耋録』(げんしてつろく)

『言志四録』 4巻『言志耋録』(げんしてつろく)

 最終巻『言志耋録』は、佐藤一斎が80歳から書き始め、83歳時(嘉永6年)に刊行されました。この年に黒船来航があり、時代は乱世に突入します。大国の清がアヘン戦争に敗れて植民地化されているのを、江戸幕府や雄藩の知識階級者は把握していました。日本もその後、西洋列強の軍事力による脅しで不平等条約を結ばされてしまいます。
 黒船来航から5年後に、88歳で佐藤一斎は死去しました。またこの年は正月に桜田門外の

もっとみる
『言志四録』 3巻『言志晩録』

『言志四録』 3巻『言志晩録』

 『言志晩録』は佐藤一斎が、67歳から78歳の頃までに書いた文章です。年齢的に人生の集大成についての話や健康等の話も多くなってます。

 佐藤一斎が言ってる意味は、とてつもなく深いことだと思いますが。とりあえず、無理せず着実にやっていれば、いつかはどこかにたどり着くと受け取りました。

『言志四録』2巻 『言志後録』

『言志四録』2巻 『言志後録』

 『言志後録』は、佐藤一斎が57歳から約10年間書き記した随想集です。これくらい高齢になると世間知に長ける一方で、志は周りに合わせて世間並になるものですが、佐藤一斎はまだまだ気高い理想を持ってることが伺えます。

 

 189は、若い頃誰かは通る道のようにも思いました。自分の昔もこんな感じでしたし、今は片意地にならず達観できているか。時々自分の内面は大丈夫かどうか。佐藤一斎の語録に思いを馳せます

もっとみる
『言志四録』の1巻『言志録』

『言志四録』の1巻『言志録』

 この本は、江戸末期に幕府の運営する学校、昌平黌で儒官(現代では大学長に相当する)を務めた、佐藤一斎が42歳から約40年間書き記した処世訓や修養訓です。『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』の4冊でまとめて『言志四録』となって。4巻全部で1133条の随想文が記されています。
 明治の政治家や維新志士達が愛読していたそうで、西郷隆盛は『言志四録』の中から101カ条を選んで座右のいましめにして

もっとみる