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諸刃の剣!ADHDの秘奥義「過集中」

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どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


ADHD。別名、注意欠如多動症。

以前までは、注意欠陥多動性障害という名前でした。

しかし、「発達障害」は、その人の特性がたまたま環境に適応できていない「状態」を指すのであって、「症状」を指す言葉ではありません。

ですので、アメリカの精神医学会では、

発達障害のことを「神経発達症」とネーミングしており

「障害」

という言葉は、既に取り除いています。

ADHDも、注意欠如多動「症」となり、あくまでこのような特徴がみられますよという症状のみを示す言葉に変わってきているのです。

ADHDと言えば・・・

・時間にルーズ
・整理整頓が苦手
・常に落ち着かない

というイメージが強いと思います。

しかし、アーティストや経営者、クリエイターなど、世間を賑わせるような成果を残す人物に、ADHDが多いのも事実です。

それは、ADHDには1つの「奥義」があるからなのです。

それが「過集中」

この記事では、ADHD当事者+教師経験10年である筆者が、「過集中とは何か」「それによってどんなメリット・デメリットがあるか」と解説していきます。

この記事を見れば、「ADHDの人が成果を残す謎」や「あの人はひょっとして過集中かも?」ということが分かると思います。

興味のある方は、是非、最後までご覧ください。


過集中とは何か?

過集中とは、その字ずらの通り、「過度に集中しすぎる状態」を指します。

いわば、「没頭」するということです。

ADHDの人は、相対的に見て、この没頭の「深さ」と「継続時間」が人よりも大きいといわれています。

没頭し過ぎて、周囲の声が聞こえなくなるほどです。

それが特に発揮されるのが、「自分が好きなことをやっている時」です。

どうやら、ADHDの人は、「自分の好きなことをやっている時の幸福感」がその特性をもっていない人に比べて高いようです。

「好きなことをやりたい」

という優先順位が人生の中でかなり上位にきます。

大多数の人は、「好きなことをやるよりも、安定や安心を好む」のが常です。

リスクの方を重視します。

けれどもADHDの特性をもつ人は、リスクよりもワクワク感が勝つのです。

よって、大多数の人が踏みとどまってしまうラインを、突破してきます。

それが、端から見たら「行動力がある」ように映るのです。

・・・過集中から脱線しましたね笑

要するに、「過集中」とは、長時間にわたって、周囲との調整が難しくなるほど集中することであると言えます。

では、それによって生じるメリット・デメリットを説明していきます。


過集中のメリット・デメリット

過集中のメリット

メリットは間違いなく、集中力が高いということでしょう。

ADHDの人を表す言葉に

「普通なら10年かかることをたった3年でやり遂げてしまう」

というものがあります。

それだけ過集中は、ブーストがかかるのです。

そして、この過集中は「楽しい」のです。

筆者の場合は、「短期的過集中」と「長期的過集中」の2つをもっていると思っています。

「短期的過集中」は1日の中で好きなことをしている時に、数時間、時間を忘れる感覚になることです。

一方、

「長期的過集中」が発動した時には、もう止まりません。

いわば、マリオのスター状態です笑

例えば、海外留学でカナダに滞在していた時。

9ヵ月間滞在していたのですが、見事に滞在している間中、「長期的過集中」が発動しました。

そうなると「英語を話せるようになる」というたった1つの目標達成に向けて、自分の全ての行動を組み立てることになります。

24時間ずっと「どうすれば英語が上達するのか」を考えているのです。

結果として、

頭の中の言語も英語になり、
家にいる間はずっと英語の勉強をし続け
夢の中まで英語になり
自分でも訳が分からないうちに上達していったのです。

帰国してから、アメリカ人の幼馴染のような友達と英語で話したのですが

「9ヵ月でここまでいくのはすごい」

と驚かれました。

過集中が真価を発揮すると、時々「未来が見える」ようになります。

没頭し過ぎて、

「英語を堂々と皆の前でスピーチしている自分」
「1年の終わりに子どもと涙を流し合って別れをする場面」

が不意に浮かんでくるのです。

(これは見聞色の覇気か・・・?笑)

この「長期的過集中」に入っている時の、喜びと沸いてくるエネルギーは言葉に言い表せないものがあります。

しかし、物事には表があれば裏がある。

この過集中は、まさしく諸刃の剣なのです。


過集中のデメリット

まず、過集中のデメリットなのですが、自分で発動のコントロールができません。

そして、その集中し過ぎることとは裏腹に、興味のないことへの集中力はだだ下がりな特徴があります。

つまり、自分が夢中になれるものをもっていない時は、下手をすれば廃人のようになってしまうのです。

ギャンブル依存症などもその1つ。

建設的な夢中になれることを探せなかったが故に、脳内にドーパミンが分泌されるギャンブルで快感を得てしまうという一面が原因となっています。

また、集中し過ぎるが故に、周囲との調整が難しくなります。

頭の中では「自分のやりたいこと」に全エネルギーが注がれているので、「この方法で、これぐらいの程度に合わせようよ」がなかなか入っていきません。

というよりも、コントロールができないのです。

結果として、周囲との軋轢を生むということは往々にしてあり得ます。

さらに、「長期的過集中」に入った時は、「いつ終わるか」が本当に分からないのです。

筆者は、教師になってからもこれが発動し、24時間仕事のことを考え、土日もずっと仕事をして、走り続けるという日々を5年間ほど送っていました。

結果として、自分のメンタルと身体が限界を迎えていることに気付かず、ある日突然ベッドから起き上がることができなくなったのです。

正確には薄々気付いていたのですが、時速300kmで走る新幹線の路線を変えようとするがなかなか難しいのと同じ状態となり、結果として無理やり路線を変えたら脱線してしまった。そんな感じです。

ですので、過集中は、本当に制御不能なのです。


まとめ

筆者は、ADHDの人も、その他の特性をもっている人も、定型発達の人も、全ては人類の進歩のために必要であるから生まれたと思っています。

安定を好む定型発達の人が100%では、人間社会は硬直していきます。

逆に、ADHDが100%では、社会は大混乱状態になるでしょう笑

だからこそ、イノベーションを起こせ、人が踏みとどまる壁を一歩ぶち破れるADHDが、人間の1~2割という丁度よいバランスが、仕組みを整えながらも進歩していける社会をつくってきたのだろうと考えているのです。

人類という大きな枠組みで見れば、誰しもが必要な存在です。


様々な特性をもっている人たちが、その力を生かすことができる。

特性を特徴と捉え、才能を潰さず、幼少期からそれをどう生かしていくかを教えることができる。

特性をもつことによって生じやすいリスクの管理が当たり前となり、特性のケア体制を当たり前に整備できる。

長い目で見て、そのような社会になっていけばよいなと思います。

多様性がより認められる社会を実現する一助を、微力ながらも、(微微微力ですが)筆者は担っていきたいなと思います。


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明日の記事は

なぜあの人がリーダーだとメンバーが生き生きと動くのか?

です。

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