マガジンのカバー画像

読み返したい

28
運営しているクリエイター

#コラム

アリゾナの思い出/middle of nowhere

アリゾナの思い出/middle of nowhere

アリゾナで遭難し、ネイティブの人達に助けられたことがある。



私と友人、オーストラリア人のカップル、それから地元で生まれ育ったというサムは、ラスベガス郊外のユースホステルで知り合った。みんな人生の浅瀬で若さを持て余していたのだと思う。なんとなく意気投合して、翌日の夜明け前にはもうグランドキャニオンへ向けて出発していた。

ユースホステルにはウイスキーという名前の汚れた猫がいて、その猫にポテト

もっとみる
王女の命令と、いつか片付けなくてはいけないもの

王女の命令と、いつか片付けなくてはいけないもの

夏の朝、よく冷えた部屋でひとりコーヒーを飲んだりしていると、ソファから手を伸ばしたあたりに、記憶の泡がゆらゆら浮き上がってくる。

湖底にしずんだいくつかの宝箱が、ため息をつくように、ぽこぽこあぶくを吐き出している。かつて輝いていたものや、大切だったもの、心地よい感触、忘れたくない人、美しい風景――たとえば結婚式のドレスにゆれるレース刺繍や、アリゾナで見た光、冬の夜の、毛羽立った毛布のあたたかさ―

もっとみる
物語を読む人にひらかれる扉

物語を読む人にひらかれる扉

5月の窓辺は、読書をするのにうってつけだ。ミルク入り紅茶はずっと適温で、マドレーヌはしっとりと美味しい。透明な光そのものみたいなそよ風が、むき出しの腕にあたってやわらかく砕ける。街の音が一枚の被膜をかぶったようにくぐもり始めると、物語の先はもう、マーブル模様の夢にとろけている。

あまりにも天気のよいある日、古い本を本棚から引っ張り出して読みたくなった。澄み切った青空の綺麗な休日だった。どうして外

もっとみる
火曜日のノート:2018年2月13日

火曜日のノート:2018年2月13日

火曜日はちょっと立ち止まる。

振替休日の月曜と、バレンタインデーの水曜の間にはさまれた、何の変哲もない火曜日。サブウェイで日替わりサンドイッチをオーダーしたら、やわらかくくずしたたまごがパンにはさまれる曜日。それは、もちろんとても美味しいけれど、水曜のローストチキンや金曜のBLTの方が、なんだか見ばえがするような気がする。うらやましくないと言ったら、うそになるかな。じつは私は、火曜日生まれなんだ

もっとみる
Dear コンプレックス

Dear コンプレックス

クリームたっぷりのケーキが目の前にある時、まだそれを口に入れてもいないのに、舌先に甘い味がとろける。

一輪の花が目の前にあるなら。

たとえば、バラ。

花びらはほんのりとマットで、枝葉はみずみずしく、棘の輪郭は凛と引きしまっている。

鼻先に、ふわんとした香り。

もうそれだけで私はダメだ。口の中に、バラがいっぱいに広がってゆく。強烈な香水を飲まされているみたいで、頭がクラクラして、胸やけがこ

もっとみる
何が 求められて どんなふうに 選ばれる

何が 求められて どんなふうに 選ばれる

留学から帰国したとき、生活するために派遣社員として働かなくてはならなかった。その会社は、今では違う体制をとっているけれど、十年ほど前は営業担当や技術者といえば男性ばかりだった。ほんの少し空いた席に配置された女性スタッフが、部署内の事務作業を一手に引き受けていた。そのほとんどが派遣社員だった。

もっとみる
金曜日、23時の交差点

金曜日、23時の交差点

金曜日の夕方、後で消えるかもしれないnoteとして、会社を辞める人の周辺から聞き伝わったことについて書いた。そしてそのあと、ふしぎなことが起こった。23時頃、とある交差点で、私は彼女にばったり会ったのだ。花束を持った彼女に。

もっとみる
アリゾナの思い出  Middle of Nowhere

アリゾナの思い出  Middle of Nowhere

アリゾナで遭難し、ネイティブの人達に助けられたことがある。

私も友人もオーストラリア人のカップルも案内人のサムも、みんな人生の浅瀬で若さを持て余していたのだと思う。ラスベガス郊外のユースホステルで知り合い、翌日にはもうグランドキャニオンへ向けて出発していた。

案内人のサムはどこか信用できない人物だった。

もっとみる
雨上がり

雨上がり

ベランダから羽ばたきの音が聞こえてきたので、スズメかな、と思ってお米をまいてみたのは昨日の朝のことだ。まいたからといって、また来るとは限らないし、来るとしてもきっと留守中のことになるだろうと思った。そのお米が今、足元にはひとつぶも残っていない。スズメが来たのだろうか?それとも、雨がもう一度降っただけだろうか。

もっとみる
優しいピンクから始める/melancholy in pink

優しいピンクから始める/melancholy in pink

アルバイトのお給料の入ったマニラ封筒から、直接お金を払って服を買う。

美術画廊の受付嬢が先月買ったのは、アニエスベーのレースのブラウス。どうせ誰も訪れない画廊で、披露するあてもないのに、はなやかな服や靴でめかしこむのを、自分でも滑稽に思う。時給は、800円。

ビルのひとつ下の階には、オーナーの奥さんが営む「画廊喫茶」があった。角までしっかり固まったコーヒーゼリーに、あざやかなサクランボをのせて

もっとみる
桃

空港で飛行機を待つ時間が好きだ。地面と空を接続するという不思議な場所で、心が先がけて浮遊していくような気分になる。

もう二度と会うこともない人々が、ただ偶然ひしめき合っている空間。あるときには一瞬で通り過ぎ、またあるときには何時間も嵐の便を待ったこともある。クリーンなラウンジから地上の誘導灯を見ていると、空に開かれた異国の扉にするすると意識がほどけ、現実味がすう、と消えていく。

その日、私は東

もっとみる