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空港で飛行機を待つ時間が好きだ。地面と空を接続するという不思議な場所で、心が先がけて浮遊していくような気分になる。

もう二度と会うこともない人々が、ただ偶然ひしめき合っている空間。あるときには一瞬で通り過ぎ、またあるときには何時間も嵐の便を待ったこともある。クリーンなラウンジから地上の誘導灯を見ていると、空に開かれた異国の扉にするすると意識がほどけ、現実味がすう、と消えていく。

その日、私は東京の友人に会いにいくことになっていた。フランスから帰って来て日本で結婚をして、結婚を機に横浜で暮らし始めるという。頭の中で引き算をやってみると、差し向かいでゆっくり話ができるのは、3年ぶり。

空港でお土産を選んでいる時、なんだか引き寄せられるものがあった。見ると、季節外れの桃。薄紙で包まれて、やわらかなネットのゆりかごに載せられている。

地元岡山の白桃は、水分をたっぷり含んで香りがよく、とろりと濃厚に甘い。桃をあげたら喜ばれるかもしれないとふと思う。でもこれから渋谷のホテルまで大きなスーツケースを運ばねばならないことを思い出した。

桃をあきらめ、他のものを選びながら、それでも桃のことを考える。傷つきやすく繊細に見えるのに、触れるとしっかりとしたうぶ毛がびっしり生えていて、一つ一つがずっしりと重く、存在感がある。それでいてあの、うっとりするほどの甘さ。物心ついた頃から桃は、どこか動物的で、ちいさな生きもののように思える。なんとなく、そう、赤ちゃんみたいな。

いい夜だった。小ぢんまりとしたレストラン。大きなお皿に可愛らしくあしらわれた料理。時間も距離も軽々と飛び越えて、私たちはいろんな話をした。彼女を訪ねてパリに滞在した時、当時流行していたカンガルー肉の料理を食べたこととか。心地よい夜の繭に包まれて私たちは、よく食べ、よく笑った。

「結婚おめでとう、ワイン頼む?」メニューを指すと、あ、そういえば… と何かを思い出したような彼女。それから「私ね、いま妊娠しているの」と返ってきた。それはとても、彼女らしかった。

飛び込んできたメールは女の子の写真だった。

真夏のうずまく交差点でいま、ふと見上げた空に銀色の機体がきらりと光り、私はなぜだか桃の香りを鼻先に感じながら、しばし目を閉じて記憶の空港に降り立つ。

「一歳になったの。元気だよ」

砂糖菓子のように真っ白い桃がどこからかころがり落ちてはずむ。かろやかな空想に自分でもちょっと笑う。

ぼんやりと耳の奥に、どこかの空港のアナウンスが聞こえる。足早に散らばっていく人々。離陸する飛行機。すべてのゲートが開けば、誰ひとりそこに留まる者はない。私たちはみんな、次の目的地をめざして移動し続ける。

やがて信号が青に変わると、立ち止まる理由もなくなった。私は桃の残り香を胸いっぱいに吸い込む。体中の細胞がソワソワする。なんとなく甘い気配がする時は、良い予兆なのだということを、私はもう知っている。





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読んで下さってありがとうございます。スキのリアクションメッセージで出る「私からの質問」に答えて下さった方からいただいたテーマで書かせていただきました。まだ別の質問もありますので、もし出たらぜひ!


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