kurohyuwa

波があるのに波乗りに行かない日がある。海に行けない理由が特段ない場合は、やっかいだ。そ…

kurohyuwa

波があるのに波乗りに行かない日がある。海に行けない理由が特段ない場合は、やっかいだ。そんな日はなんとなく気まずい気分になって行かなかった言い訳を探す。そんな生活を数十年続けている。 週末サーファーが世界で波乗りした思い出。共有します。

最近の記事

ある週末サーファーの記録037 オカンダ 1

 スリランカの東海岸、アルガンベイ(Arugam Bay)に約1週間のサーフトリップに出かけたのは2012年の夏だった。そこは坂口憲二さんのテレビシリーズの「この夏は忘れない」の最後の目的地だった。強烈な日差しを受けた色鮮やかなビーチの映像が印象的だった。  このときのトリップはツアーを利用した。飛行機、空港ービーチ間の送迎、ホテルがパッケージになっているものだった。飛行機が到着する首都コロンボは島の西岸にあり、そこから東岸のアルガンベイまで自力で辿り着く自信はなかったし、

    • ある週末サーファーの記録036 ザ・パス 4 完

       そのたかだか1回のターンは、私のサーフィン人生、いや人生の中でも忘れられない瞬間になった。  波、場所、天気、体調、ボード、目標、全てのピースがピタリとはまり、イメージしていたとおりのサーフィンができた感覚だった。あのときのザ・パスの波は、あのときの私にとって最高の波だった。1週間の滞在で自分にとっての最高の波に巡り会えた私は実に幸運だったということだろう。自分にとっての「良い波」に出会えることはサーファーにとっての悦びであることは間違いない。  あるとき、サーフィン仲

      • ある週末サーファーの記録035 ザ・パス 3

         早朝ホテルを出る。車を駐車場に停めて、右奥の岩場近くのエントリーポイントまで砂浜を歩いていく。一歩ごとに「キュ」、「キュ」と甲高い音が鳴る。不純物が混じっていない「鳴き砂」の上を歩くのはなんとなく気分が良かった。軽くストレッチをした後、岩場手前から透き通った水に入っていく。朝でも海パンとラッシュガードでちょうど良い。  ザ・パスの波はそれまで見たことのない種類の波だった。通常波は最初に割れるところが最もパワーがあり、崩れていくにしたがって力を失っていく。ところが、ザ・パス

        • ある週末サーファーの記録034 ザ・パス 2

           クーランガッタから車で1時間弱。バイロン・ベイに到着した。バイロン・ベイにはオーストラリア大陸最東端の岬がある。その岬を先端にして陸地は北向きの緩やかな弧を描く。ただ、「湾」という割には外洋に向かって開け過ぎている気もする。  海辺に面したその小さな町はガイドブックではヒッピータウンだと紹介されていたが、ウィンドウのあるオシャレな店が屋根付きの歩道に沿って並んでおり、いかにも買い物好きが喜びそうな街並みだった。それがヒッピータウンだと言われたらそれまでだが。  その町で

        ある週末サーファーの記録037 オカンダ 1

          ある週末サーファーの記録033 ザ・パス 1

           サーフトリップで海外に行く場合、今どこそこの波が良いからといって、その場で航空券を買うような経済的、時間的余裕は私にはない。当然、ある程度事前に計画を立てるわけだが、トリップに行ける日程、すわなち、まとまった休みが先に決まって、その1週間なりに波がありそうな場所を選ぶことがほとんどだ。  長期の気象予報を含めいろいろと情報収集はするが、やはり1週間程度の滞在中に良い波を当てるのは至難の業ともいえる。  そんな私が初めて1人で海外サーフトリップに出たのは、2009年1月頃

          ある週末サーファーの記録033 ザ・パス 1

          ある週末サーファーの記録032 レンボンガン島 5 完

           「ショートトリップに行こう」  どちらから言い出したかは覚えていないが、次の目的地は新島だった。2019年6月頃のことだ。日本国内にもポイントは多々ある。四国、宮崎、種子島、東北。いくつかは行ったが、まだ行っていないところがたくさんある。新島もいつか行ってみたいと思っていた。コウスケも同じ考えだった。  調布飛行場の小さなカウンターでチェックインをする。小型の飛行機なので荷物に加えて自分の体重も計る。座席の位置は体重次第だ。飛行機は19人乗り。飛行機の内側からロープを引っ

          ある週末サーファーの記録032 レンボンガン島 5 完

          ある週末サーファーの記録031 レンボンガン島 4

           翌朝、ガイドのお兄さんがハイエースでホテルにやってきた。プーケット島で今日一番コンディションの良いポイントに連れて行ってくれるという。島に到着して2日ほぼノーサーフだ。今日は乗らないと、と気合いが入る。  ホテルを出発して約30分、カタ・ビーチから北に20km、目的の「カマラ・ビーチ(Kamala Beach)」に着いた。海を見る。  「・・・」  暫し沈黙。コウスケと顔を見合わせた後、ガイドのお兄さんに視線を向ける。  「まあ、プーケットっすからね」  兄貴に悪びれ

          ある週末サーファーの記録031 レンボンガン島 4

          ある週末サーファーの記録030 レンボンガン島 3

           レンボンガンからの帰国時、当初思い描いていたような見違えるほどの上達にはほど遠かったが、それでも私もコウスケもパドル力はかなり付いて、少しくらいの大きな波にも怯まなくなっていた。これは大きな成長だった。と、自分たちには言い聞かせていた。  コウスケから「実は良い波がある穴場らしい、行かないか?」と次の海外サーフトリップに誘われたのは2012年頃だった。タイのプーケット島だという。有名なリゾート地だが、サーフィンができるとは聞いたことがない。  「いや、今の時期は良いらしい

          ある週末サーファーの記録030 レンボンガン島 3

          ある週末サーファーの記録029 レンボンガン島 2

           しかし、なかなかうまくいかないのがサーフトリップであり、サーフィンだ。  まず、レンボンガン島のポイントは、珊瑚礁や岩の上で波が割れるいわゆるリーフブレイクだ。このため、波乗りができる潮周りが限られていた。すなわち、満潮時には波が割れないし、干潮時には浅過ぎるということが多々あった。ある朝、「プレイグラウンズ(Playgrounds)」という宿の近くのブレイクにそれなりに良い波が見えてコウスケと2人貸切だと勇んで入水した。水上でボードの上に座ったら足が岩に当たって、「これ

          ある週末サーファーの記録029 レンボンガン島 2

          ある週末サーファーの記録028 レンボンガン島 1

           コウスケと初めて会ったのは大学の入学式だから、もう四半世紀以上の付き合いになる。私がメキシコで波乗りにハマって帰国してから、一緒に御宿や大洗に行った。どちらかといえば、クールな男だ。初めてのサーフィンで何かしら劇的な反応があった訳ではなかったと思うが、その後20年以上、いまだに海に通っていることからも、それは彼のライフスタイルを変える出来事だったんだろう。  2005年、就職直前の1か月間私たちはバリ島にトリップすることにした。サーフィンでできることが一つずつ増えていく感

          ある週末サーファーの記録028 レンボンガン島 1

          ある週末サーファーの記録027 プライア・デ・イタグアレ 6 完

           「落ち着け」と自分に言い聞かせる。沖に流されてもどこかで岸に戻る流れに乗れるはずだ。真っ直ぐ左側に進めなくても沖の方から回って行けば良い。もう一度ボードに腹這いになる。岩場から離れるよう左方向に、そしてやや沖の方に漕ぎ始めた。  パドリング。パドリング。パドリング。  パドリング。パドリング。パドリング。  恐る恐る後ろを振り返ってみる。全く岩場から離れていない。これはまずい。離岸流から逃れられない。  今まで離岸流に捕まって怖い目にあったことは何度かあった。ただ、そ

          ある週末サーファーの記録027 プライア・デ・イタグアレ 6 完

          ある週末サーファーの記録026 プライア・デ・イタグアレ 5

           日曜起きたら 朝飯食って  ボードつかんで ママにハグ  祈ったら 海に行け 海に行け  孤独な スルフィスタ  孤独な スルフィスタ Jorge Ben Jor (1980)  土日のグアルジャにはたくさんのスルフィスタ(surfista、サーファーの意)がいた。もう少し空いていてもう少し良い波はないか。そうやってポイントからポイントを巡るのがスルフィスタだ。  グアルジャから沿岸部をさらに40kmほど東に行ったところに「プライア・デ

          ある週末サーファーの記録026 プライア・デ・イタグアレ 5

          ある週末サーファーの記録025 プライア・デ・イタグアレ 4

           鍵屋の少年は私の部屋のドアに付いている2つの鍵穴を確認する。  「こっちは簡単。・・・こっちは少し手こずるかも。」  彼はいわゆる何の変哲もない鍵で開ける下段の鍵穴、彼に言わせれば「簡単」な方から着手した。鍵穴を覗きながら、両手を使って針金のような工具2本を鍵穴に差し込んでいる。  「カチャン!」  開いた。1分はかかっていない。あまりの速さに唖然としている私に向かって少しはにかんでから、少年は次の鍵穴に取りかかった。  上段の鍵穴は日本ではあまり見たことがない芯が太い円

          ある週末サーファーの記録025 プライア・デ・イタグアレ 4

          ある週末サーファーの記録024 プライア・デ・イタグアレ 3

           サンパウロに向かう車内では、タクシーの運転手から何度も慰めの言葉をかけられた。そのタクシーのお父さんは、イミグランテス高速のまっすぐな山道を上りながら、なぜか自信ありげに「車はきっと見つかるよ」と言ってくれた。困っていたり助けを必要としている時、ブラジル人はとても優しい。じゃあこの犯罪率の高さは何なんだとも思うが、犯罪の多さと人の優しさは別に相反するものでもないのかもしれないと思ったりもする。  約2時間でサンパウロに着いた。まずはタクシー代を精算しなければならない。財布

          ある週末サーファーの記録024 プライア・デ・イタグアレ 3

          ある週末サーファーの記録023 プライア・デ・イタグアレ 2

           ほろ苦い経験の一つはプライア・ダス・アストゥリアスでのサーフィンの後に起きた。  ブラジルでは真冬に当たる7月のある日曜、私はいつもどおり朝一で海に着いて、いくつかのポイントをチェックした後にアストゥリアスでサーフィンをすることに決めた。この辺りの海岸沿いの公道には一列分駐車スペースがあり、みな白線内に縦列駐車してビーチに繰り出して行く。私もその一区画に車を停めて海に入る準備を始めた。  真冬といっても気温、水温とも20度弱、3mmのウェットスーツを着さえすれば全く寒く

          ある週末サーファーの記録023 プライア・デ・イタグアレ 2

          ある週末サーファーの記録022 プライア・デ・イタグアレ 1

           2014年、私はブラジルにいた。住んでいたのは人口1千万以上の大都会、サンパウロ。かつて多くの日本人が移住した街だ。そこからは、1時間半くらい、100kmほど車で走れば「グアルジャ(Guaruja)」という大西洋岸のビーチタウンに出ることができた。その町にはいくつかビーチブレイクのポイントがあり、波のクオリティはそこそこのときも多かったが、ブラジルでもほぼ毎週末サーフィンができた。  サンパウロがあるブラジル南東部は、海から内陸に向かうと間もなく山脈に当たる。サンパウロは

          ある週末サーファーの記録022 プライア・デ・イタグアレ 1