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ある週末サーファーの記録036 ザ・パス 4 完

 そのたかだか1回のターンは、私のサーフィン人生、いや人生の中でも忘れられない瞬間になった。

 波、場所、天気、体調、ボード、目標、全てのピースがピタリとはまり、イメージしていたとおりのサーフィンができた感覚だった。あのときのザ・パスの波は、あのときの私にとって最高の波だった。1週間の滞在で自分にとっての最高の波に巡り会えた私は実に幸運だったということだろう。自分にとっての「良い波」に出会えることはサーファーにとっての悦びであることは間違いない。

 あるとき、サーフィン仲間の辻が海外サーフトリップに行くというので、行き先について意見を求められた。私はいかにバイロン・ベイが素晴らしかったかを熱弁した。私に説得された辻はバイロン・ベイに向かったが、彼が行ったザ・パスには特筆するほど良い波がなかったという。

 果たして、私が見たのがいつものザ・パスだったのか、辻が見たのがいつものザ・パスだったのか。あるいは、あのときの私にとってのザ・パスの「良い波」は、そのときの彼にとっての「良い波」ではなかったのか。

 波にもいろいろある。大きい波、小さい波、長い波、短い波、速い波、トロい波、掘れた波、メローな波、混んでいる波、無人の波。どれが「良い波」かは人それぞれなのかもしれない。そう考えてみれば、「良い波」を誰かに紹介するのはとても難しいことなのだろう。それはなぜかといえば、サーフィンというものがとても個人的な経験だからなのだと思う。

 もしかしたら、自分にとっての「良い波」を見つけることがサーフィンという行為そのものなのかもしれない。そしてそれは「良い波」を通じて今の自分を知るということに他ならないのだろう。

***

 先日、実家の引越しがあった。古いスキー道具と一緒にバイロン・ベイで買ったDHDの6.0のボードも粗大ゴミに出すことになった。今、日本ではほとんど見ないような細身のシェイプのボードを久しぶりに手に取ると、そのボードと行ったいくつものサーフトリップが思い出された。ハワイ、カリフォルニア、ニュージーランド、モーリシャス、スリランカ、モロッコ、ポルトガルなど。日に焼けて黄色く変色したその分愛着が染み付いているようなDHDと別れるのは名残惜しかった。そのボードをゴミ処分場に持ち込むときも、ぶつけないよう慎重に車に積み込んでいたのは良く考えれば滑稽だ。

 今私がこうやって、これまでのサーフトリップについて書き残しているのは、去って行ったボードたちと乗った、あのときの「良い波」の思い出を残すためでもあるのかもしれない。

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