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ある週末サーファーの記録029 レンボンガン島 2

 しかし、なかなかうまくいかないのがサーフトリップであり、サーフィンだ。

 まず、レンボンガン島のポイントは、珊瑚礁や岩の上で波が割れるいわゆるリーフブレイクだ。このため、波乗りができる潮周りが限られていた。すなわち、満潮時には波が割れないし、干潮時には浅過ぎるということが多々あった。ある朝、「プレイグラウンズ(Playgrounds)」という宿の近くのブレイクにそれなりに良い波が見えてコウスケと2人貸切だと勇んで入水した。水上でボードの上に座ったら足が岩に当たって、「これはダメだ」となった。
 ある時は、沖にあるレーサレーションズ(Lacerations)というポイントに入った。浜から長いパドリングの末たどり着いたそこには天草の養殖の杭が海中に隠れていた。リーシュコードが引っ掛かり、コウスケは危うく溺れかけた。

 他にも良い波が立つポイントはあった。特にレンボンガン島と橋で繋がっているチュニガン島(Nusa Chuningan)のポイントは、ソリッドでキレイなレフトの波が立つ。潮周りを合わせて原付で到着すると、そこにはバリからサーファーを乗せてやってきたボートが何隻も浮かんでいて、初心者の我々にはもはや波が余っていなかったりした。

 サーフィンに打ち込もうと思ってやって来た小さな島でサーフィンができないとなると、もはやどうにもならない。原付バイクをレンタルして島中をぐるぐる廻ったり、島の漁師の「ワヤン」に船でシュノーケリングに連れて行ってもらったりしたが、いずれも半日もあれば十分だ。

 極めつけは「ニュピ」の日だった。これはレンボンガン島に限らないが、バリ・ヒンドゥー教の新年であり神聖な祭日だ。この日は日常の活動はおろか火や電気も使わず、静かに家に閉じこもっていなければならない。サーフィンなどはもってのほか。私たちのレンボンガン滞在の何日目かがこの日に当たった。その日は前日に買っておいた調理せずに食べられるような食料、すなわち主にバナナを食べて、嫌というほどハンモックに揺られ、大いにプールで体をふやかして静かに一日を過ごした。

 なかなか波には恵まれないレンボンガンだったが楽しい出会いもあった。宿のオーナーのクリスは夕方になると「イエー!ビンタンタイム!」と言って私たちにビールを勧めてくる。オーストラリアで1位だったというサーフィンはもうあまりやらないが、たまにパドリングでレンボンガン島を一周しているらしい。何時間も一人でパドリングをするなど考えられない。なぜそんなキツいことをしているのかと聞いたら、「こいつのためさ」とビンタンの瓶を掲げながらニヤリと答える。

 また、ニュピの日の付近はレンボンガンの村人がこぞって参加するお祭りがあった。宿の従業員で、朝食を用意したり、掃除をしてくれる地元のお母さんが、家から持ってきた頭と腰に巻く男性用の民族衣装を着付けてくれた。おかげで、私たちは現地の人たちと全く同じ格好でお祭りに参加できた。沖のサーフポイントやシュノーケルに連れて行ってくれていた初老の漁師「ワヤン」。ボートの上では全く喋らず、ニコニコしながら「ガラム(Gudang Galam)」というタバコを美味そうに吸っている彼も、この日は民族衣装をパリっと着て精悍な顔つきをしていた。いつものよれよれのTシャツ、短パン姿からは見違えた。

 村の広場で開かれたのは、ガムランという民族音楽の伴奏に合わせた舞踊劇。ストーリーそのものは良く理解できなかったが、宗教色が強いものであることは分かった。盛り上がる場面では、伴奏が一際大きくなり、観劇している村人が集団でトランス状態になり、次々に女性が奇声を発したり、担がれて退場したりと独特な光景が見られた。観客参加型の神事兼民俗芸能といったところか。

 そんな風にして、思いもよらず文化的な体験もできたレンボンガン島。サーフィンについては、初心者の我々2人が練習に打ち込める場所だったかといえば、大きな疑問符が付く。

 いつも思う。サーフィンはこちら(サーファー)側とあちら(自然)側のマッチングがつくづく難しい。

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