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お天道様は見ている

お天道様は見ている


日本には昔から、

お天道様は見ている。

という言葉があります。

自分の行いはいつも誰かから見られているから、良い行いをしなさい。

という教えです。

ではお天道様とは誰なのでしょうか?
常に監視している誰かがいるのでしょうか?


今回は 自分を見ている存在についてと、
なぜ良い行いをした方が良いのか?

ということについて考えていきます。


誰が見てる?

映画トゥルーマンショーのように、
実際に誰かに見られている可能性もなくはありません。

ですがもっと確実に、いつも自分を見ている存在がいます。


それは自分です。


良い行いも悪い行いも、
自分は常に見ています。

良い行いをすれば、
自分は良い行いをする人間だということを、
自分 のイメージとして持つことになり、
悪い行いをすれば自分は悪い行いをする人間だというイメージを作っていきます。

それを繰り返すことによって強固にイメージが固定されていきます。

お天道様が見ているというのは自分自身に恥じない行いをしなさい。

という意味なのです。

そしてこの自分というのは、
自分の中でも最も気高い部分を指しています。

神社には鏡が置いてあり、
「かがみ」から「が」抜くと「かみ」になる。
そして私たちはそれに手を合わせています。

鏡に映るのは当然自分です。
そこから我を抜いたのが神となります。
我、つまり自我です。

神は外側にいるのではなく、
自分の内側にいるのです。

そしてそれがお天道様の正体です。

出したものを受け取る


全ての行いは自分に返ってきます。
それは壁を押すと、壁が押し返してくる、作用反作用の法則のように、

自分が放ったものが全て自分に返ってきます。

それはこの世界が自分自身の投影だからです。

鏡の中の自分が気に食わなかったらといって、
鏡を殴ってもしかたありません。

鏡の中で笑っていたいなら自分が笑わなければいけません。

出したものが返ってくるのです。

思考や感情についても同様です。

目の前の現実は自分自身の状態を表しているものです。

全て自分が放つものに対してお天道様は見ています。

お天道様はそれをどう思っているか?

問いかけてみましょう。

そして、自分自身で肯定できるような感情、思考、行動を表現していくことが必要です。

自分が表現することと、
お天道様の意志が離れていると、

間違った方向に行き過ぎないために、
病気や怪我などで、強制的に立ち止まって、
いったん生活を見直すことも求めらることになるでしょう。

つまり 自分で自分の気高い部分、お天道様に素直に生きることが重要なのです。

社会が私たちに要求することは、
気高く生きることではない場合があります。

そことの折り合いをつけることも重要なのでしょう。

しかしあまりに本来の自分、気高い自分と、
感情、思考、行動がずれていると早かれ遅かれガタが来ます。


ですから、
自分を見つめ直す瞬間を持つことが重要です。

昔の人はこれをわかっていました。
ですから、お天道様は見てるという言葉を残しているのです。

気高い自分をがっかりさせない生き方をしましょう。

悪い行いと言っても、
良い悪いは人によって違います。

世間的に良くても、自分には悪いことというのも存在します。逆もしかりです。

自分で自分に問う事が重要なのです。

そして、自分が自分に恥じない生き方をすることが一番重要なことです。


一日の中で、お天道様を見ているという言葉を何度か思い出してみましょう。

そして自分が取り得る選択肢の中で最も誇らしい 選択肢を取りましょう。


繰り返すほどに、
お天道様と自分の意識が同化していき、
自分の中に神がいる。
ということが腑に落ちてくるでしょう。

ひとによって現在地は違っても、
同じ目的地に至るために、
それぞれの経験をしているのかもしれません。

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