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富士山頂に響く音色(後編)

こちら の後篇です。

 富士宮口5合目から、どうにか一歩つずつ登りつづける大樹。富士登山30年以上のベテラン・茂に支えられながら、ゆっくりと登り、ようやく山頂に到達したときにはほとんど日が暮れかけていた。
「よし、山頂に着いたぞ。えっと山小屋はこっちじゃ」
 大樹は、富士山の頂上に来たという感動もあり、それまでの疲労が吹き飛んでいる。足取りも不思議と軽い。山小屋は頂上のすぐ目の前にある。そして近くには、浅間大社の奥宮と郵便局があった。

 山小屋なので簡易的な作りの建物。しかし150人収容できる山小屋とあって非常に広く、テーブルと丸椅子の並んだ食堂があった。ちょうどシーズンだということで、山小屋には多くの人が宿泊する見込み。大樹が途中からバテ気味のため、スローペースで登ったこともあり、到着が最終番に近い。だから多くの登山客は、すでに夕食を終えて各々の部屋ですでに布団を敷いて横になっていた。

「ここは日本で一番高い宿泊施設じゃ、わしはいつもここで宿泊じゃ」手続きをすると、茂は大常連ということもあり、山小屋の主がうれしそうに話しかけてくる。

「あ、伊豆さん。今年はちょっと到着が遅かったですね」
「ああ、ひとりじゃなかったからゆっくりじゃな」
「あそちらの兄さんがお連れさんですか」
「ああ、孫を連れてきた。大学生じゃが初めてで、結構疲れておるようじゃ。だが、高山病ではないから、ここでしっかり温かい食事をして早く寝れば大丈夫じゃろう」

 大樹は小声で店主に「よろしくお願いします」とつぶやく。店主はにこやかに「ようこそ」と答えた。
 そしてテーブルに座り温かい夕食を前にする。頂上は想像以上に寒い。室内だから風は入ってこない。それでも隙間からにじみ出てくる冷たい空気。ときおり体を冷やしにかかる。油断をしていた大樹は、手袋を持って来るのを忘れたことを後悔した。それでも暖かいスープ系の料理は、冷えた体にはちょうど良い。口に含むと味覚ではなかった。そのあったまる温度の感覚そのものが、旨さを引き出しているかのよう。口の中に入った暖かい存在は、喉から胃に向かって流れて行く。そうすれば自然にと喉と食道、そして胃袋らしき場所も含めて順番に温かく感じるのだ。

「明日はご来光を見るから朝は早い。まあそれでも8合目あたりから登って来る人たち寄りは余裕がある。でも疲れただろう」
「うん、ここまでとは。じいちゃん、毎年登っているんでしょ。すごい元気だね」「アッハハハ!」人一倍大きく笑う茂
「わしも最初の2・3年は大樹みたいにへとへとじゃった。でもだんだん慣れてきて、ますます元気じゃ」

 食事を終えると横になる部屋くらいしかない場所。そのまま何かをすることもない。ひとりに付き1畳程度の場所が確保されている。布団はあったが2人でひとつという割り当て。だから茂と大樹のふたりで一つの布団をシェアした。
 大樹はなかなか寝付けない。明らかに体が疲れている。足は結構筋肉痛に近いし、節々にも痛みが走る。また体そのものがトイレであっても起きるのをためらうほど疲れているのだろう。横になると体がいつも以上に重く感じる。しかし意識がしっかりしていて、山小屋の木を組んで作られた天井をぼんやりと眺めていた。横では早くも茂が気持ちよさそうに寝息を立てている。「じいちゃんと一緒に寝るって小学生のころ以来。なつかしいなあ」

 大樹はそう頭の中で想い浮かべながら、自らの小学生のころを思い出す。あのときの祖父茂の髪は、まだ黒いものが多かった。今ではほぼシルバー。そんな想像をしている間に記憶が無くなっていく。急激に深い睡眠に入ったのか夢を見ることもなかった。
 次に意識が現れた時には、ご来光の時間近くになったのか、山小屋が騒がしくなってから。「大樹起きろ!」すでに茂は起きていて、早々と出発の準備を整えていた。大樹も慌てて起きる。足の痛み体の節々に少し違和感があるが、昨夜と比べてずいぶん楽になった気がした。どうやら富士山山頂の気圧にも体がしっかり順応してくれたよう。

 大樹は茂に続いて山小屋をでる。外はまだ暗い。8月だというのに吐く息が白く浮かび上がる。大樹は富士山には万年雪があると聞いたことがあった。「なるほどここは冬なんだ」だから手袋を忘れたことをここでも後悔する。だから手はポケットの中にしまい込んで、ご来光を待つ。
 少し明るくなってきた。かすかに見えるのが、頂上につづく山道で上がってくるは黒山の人々。7・8合目あたりの山小屋宿泊者が、頂上でご来光を拝もう登ってきている。しかし昼間より大混雑で、初詣の行列を待っているかのような雰囲気だ。
「昨日のうちに頂上まで登ったから余裕があるな」大樹はそんな人影をよそに、茂がいつも見るというご来光スポットに陣取った。そして周りには多くの人がその瞬間を待ちわびている。

 「そろそろじゃな」茂は時計を見てつぶやいた。そして数分後急に日の昇る方向が明るくなってきた。「あ、撮らなければ」大樹はポケットから手を外す。そしてスマホを手に取った。手がかじかむので、自らの温かい息を何度も吐く。
 そしてついにご来光がその姿を現した。「おー」という登山客の声とスマホや一眼レフのカメラを構える人々。大樹もそれに倣いスマホを構えてご来光を撮る。その横で茂は姿勢を正し、昨日浅間神社で参拝したように、頭を2回下げて、2貝柏手を打ち、また一礼した。

 日が昇ると頂上付近の視界は一気に明るくなる。山小屋と多くの登山客以外は岩肌だけがある荒野のような頂上。他の登山客はここから各々の好きな方向に向かって歩き出す。大樹と茂は最初に浅間神社の奥宮に行き参拝。そして御朱印をもらう。その後郵便局に行ってオリジナルポストカードを買い、自宅までの住所を書くと山頂のポストに投函した。

 「さて、今から山頂を一周する。お鉢巡りじゃ」茂に従い、大樹はついていく。富士山の内部は火口。その周囲に道がある。ここを一周してから再び昨日と同じ登山道で下山して富士宮に戻る。途中最高峰の場所に立ち寄り、お互いの記念撮影を行った。そして再び歩いて行く。見ると山頂の火口付近は非常に下の方まで続いているようだ。足を滑らせると危ない。風もときおり吹いてくる。しかしよほどふざけない限り、安心と思えるほど道幅には余裕があった。

 しばらく歩いて行くと、大樹が「じいちゃんちょっと待って!」と大声を上げる。「どうしたんじゃ」「ここで演奏するよ。トランペット持って来たし」
 茂は真顔で「大丈夫か?」と言うが、大樹は笑顔で「うん、この高さの気圧は完全になれたみたい。地上のようにはいかないかもしれないけど、これが目的だから。で、じいちゃん」「うん?」
「僕が演奏している間、録画してくれる」とセッティングしたスマホを茂に渡す。「おう、いいぞ。えっと。あ、これを押したらできるんじゃな。よし」
 そして大樹は演奏の準備を始めた。そして火口方面に向かって演奏を始める。大樹はそんな長時間の演奏できないと予想。だから演目はあらかじめ決めていた。

 大樹は寒さを堪えながらどうにか「富士山」を吹き終える。「うゎあ、手が冷たい」と慌てて両手を何度も揉みながら温めると、そのままポケットに突っ込む。「よし、無事に録画できたぞ。いいなあ、ワシも頭の中で歌っておったぞ」と嬉しそうな茂。
 そういって大樹がスマホを受け取りその場で確認。しっかりと演奏の模様が録画されていた。大樹は無意識に笑顔があふれる。そしてなぜか目に涙が浮かぶのだ。

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「あれから一年。今この動画見ても感動するよ」大樹は、富士山の見える富士川河川敷で、一年前に富士山頂で撮影した動画を再生した。
「そうじゃな。あのときはワシはまだアイフォンを持っておらんかったが、あのときの録画したのがきっかけで、ほしくなったんじゃからな。大樹に感謝しとるよ」
 との茂の言葉に大樹は笑顔で頷いた。
「さて、じいちゃん。今日も持ってきたんだ」
「そうか、一年前の再現じゃな。今年は登山道が閉鎖されている。じゃが演奏は下にいてもできるからな。よしワシが録画するから安心してしっかり吹いたらええ」
 大樹は持ってきたトランペットで演奏の準備を始めた。そして金色の管楽器を向けたのは、もちろん富士山。間もなく夕暮れ迫り、表情が赤富士になりかけようとしていた。1年前はあの山のはるか高い頂上。しかし今年はふもとからの演奏である。
 茂も昨年と違い、何のアドバイスをしなくとも録音の準備を終えた。そして撮影のアングルもしっかり意識。

 そして大樹は大きく深呼吸をした。そしてマウスピースに口を当てる。やがて構えている管楽器の指を動かすと音が鳴り始めた。このときに演奏した曲は富士山。一年前と同じ曲である。
 ただ唯一違うのは一年前の寒いところでの演奏では無い。だからその演奏レベルが全く違うのだった。



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こちらは50日目です。(ついに5合目・折り返し点)

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シリーズ 日々掌編短編小説 216

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