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あなたの経験は「ふつう」ではないから、早いとこ書き残してくれ!

経験したことは、早いうちに文章にした方がいい。

記憶に定着し、話せることが増え、複利効果を発揮する。

引退してから自分の人生をその道の一流に書いてもらおうとか、自分で書き残そうなどと考えているなら、立ち止まってこう問いかけた方がいい。

「あまりに先送りしすぎではないか?」

僕に言えるのは、今すぐにでも、書くのが大好きな学生にバイト代を払ってでも、取材・執筆をしてもらう方がずっといいということだ。

金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ。

ビル・パーキンス著 児島修 訳『DIE WITH ZERO』

「ふつうの20代を送った」ですって?

鮮度の高い経験は、時間やお金を払ってでも書き残しておく価値がある。

いやいや、そんな時間もお金もないと即答する前に考えてみよう。

私たちは、自分の命(時間)を経験に変換し続けている。そして、人生は記憶から取り出せる経験(つまり思い出)の合計だ。

何十年も前のことを、記憶力が衰えてから思い出すのは難しい。

一般に、人は時間が経つほど、自分の経験を大きなブロックで捉えがちだ。だから、いともかんたんに「ふつうの20代を送った」などという。

大学生でも、「高校時代は何もなかった」と真顔で言える人がたくさんいる。時間が経つほど、些細な違いは抜け落ちていくのだ。

そんなふうに言えてしまう経験のために何年も、何百万円もかけてきたと考えると恐ろしくはならないだろうか?

鮮度の高い記憶のつみかさね

あなたにとって、
毎日100字の日記を書くことはそう難しくないと思う。

その日の出来事は、まだまだ経験の鮮度が高いからだ。

そして、これを5年続ければ、18万字越えの大長編になる。

しかし、もし今から十数年経って、記憶を辿ってその5年間のことを文章にしようとしたとしたなら、おそらく5000字にもならないだろう。

僕は中学時代から8年ほど、かなり少なく見積もっても毎日1000字以上、考えや経験を記録してきた。つまり、合計すれば300万字程度にはなっている。

もちろん、書いたすべてを覚えはいないし、ノートがすべて残っているわけでもない。とはいえ、書いていない人より遥かに経験を資産にできている自信はある。

何気ない誰かとの会話について話題にすることで得た経験、さらに深まる気づきの数は人より多いかもしれない。

あなたにできる最上の贈り物

もしかすると、あなたは未完成な、未熟な文章を残したくないと思っているのかもしれない。

だとしたら、その考えも検証してみた方がいい。

書いたものをより優れた表現・構成に修正するのは、書いて以降のいつでもできる。特に、紙ではなくnoteなどウェブに挙げる文章なら容易だ。あなたが死んだ後に価値に気づいた誰かがやってくれたっていい。

そこに必要なのは単にスキルだけだ。

むしろ問題なのは、書くことなく10年20年が過ぎて、出来事の細部を、その時の新鮮な感情を思い出せなくなることではないだろうか?

あなたにとって大切な人や世の中に対してできる最もオリジナリティ溢れる贈り物はなんだろう?

あなたの経験だと僕は思う。

大切な人が死んだ時、彼の人生を知らなかったことを後悔してから、そう思うようになった。必死になって彼との記憶をたどり、紙に書き残した。


あなたの人生は、間違いなく、紙一枚本一冊に収まるようなちっぽけなものではないはずだ。たくさんの人に与え得るものを持っている。

だから、どうか検討してみてほしい。

文章化を任せることについて

話は戻るが、以上のことから、なるべく早く、書くのが好きな学生にバイト代を払ってでも、あなたの経験を文章化する方がいいと主張したい。

書いてもらう習慣をつけて、いい文章だけ、たまにちょこっと修正してnoteにでも投稿すればいい。

取材する学生にとっても、あなたの知見を20年後に知るくらいなら、たとえ未完成でも今知った方が今後の人生で活かせる機会が増える。これは、読者にとっても同じだ。

読者やファンの数だって、週1で1000字発信してきた人の方が、10年に1回まとめて書くより多くなるだろう。

もし週1で発信できたら、他にどんなことが起きるだろう?

意外なところから「読んでます」と声がかかり、何か始まるきっかけとなるかもしれない。登壇依頼が来るかもしれない。広告費なんか払わなくても、有名なウェブメディアからコラムの依頼が来るかもしれない。

まあでも、そういう効率とか金銭的な損得みたいな話は一回傍においてほしい。人生の目的は、どれだけ豊かな経験をするかだからだ。

豊かな経験を収穫するための種まき

1人の学生と1年にわたって週に1回対話をし、執筆を任せるとしよう。

率直に、この頻度で自分の経験を話せる相手がいるだろうか? 聞いたことを書くという前提で、じっくりと聞いてもらえるだろうか?

これほど深く関われば、間違いなくお互いに刺激を受けあうだろう。

必ずなにかしらの変化が起き、それがまた変化を呼び寄せる。

若者と継続的に対話し、共に記事を作り上げる中で得られる思い出、生まれた関係性が、その後長い人生であなたの人生にもたらす副次的な思い出もっとを想像してみよう。

「20歳だった僕は、人生の師匠〇〇さんに出会いました。毎週お話を聞かせていただき、それを記事化する中でたくさんのことを培って、それが今の僕の人生をおもしろくしてくれています。

あえて「師匠」なんて言ってますけど、記事を10本書いたあたりでバズった時からは、年の離れた「相棒」みたいな関係性になっています。あの時は認めてもらえて嬉しかったなあ」

なんてもし未来で言われたら幸せじゃないか。
そう期待できるだけでも日常にハリが出る。

相棒にとって価値あることを話せるようにしよう。相棒を笑わせよう。そう考えアンテナを光らせれば、僕らの吸収力は倍増する。つまらない大人として彼の前に立つわけにはいかないだろう?

もしかすると最初は、常にチャレンジし、経験から多くを学び、楽しんで生きる自分を演じることになるかもしれない。でもそのうち、それがほんとうの生き方になる。

そうすれば、また記憶に残る経験が増える。想像以上の成長できる。

将来まとめて貢献するより今すぐ少しずつ

しつこいようだが、あなたにとっての自分の人生とは、あなたの記憶から取り出せる経験の合計だ。

であるなら、あなたが死ぬ瞬間に最大化されているべきことは、収入や資産ではなく、笑顔で死ねるだけの豊かな思い出の質と量だ。

そして、笑顔で死ねるだけの豊かな経験の質と量を高めるためには、ここまで繰り返し述べてきたように、あなたの経験を文字に残しておくことが非常に役に立つ。

なんなら、書くのが好きな学生に対価を支払ってでも「対話と執筆」の機会を作ってもいい。そこには「文章に残してもらう」以上の価値があり、それらの価値もすべて経験の複利を生む資産となる。

何度でも言うが、10年後に10万字で知見を世に公開するより、今すぐに毎週1000字ずつをnoteに書くことだ。

少し身銭を切っても、応援したい、かわいがりたいと思える相棒に話す習慣を身につけることだ。

これこそ、世のため人のため、何より自分のための行為だ。


最後に一つ朗報があります

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

文章のリズム的に、ここまでは常体(である調)で書いてきましたが、ここからは敬体に変更です。

さて。

「あいにく、私の知り合いに書くのが好きな学生なんていない」「どうせなら、自分の生活圏からまるっきり離れた地域の学生に語って書いてもらってみたい」とおっしゃる方に、朗報です。

僕は今22歳の富山大学生であり、ライターであり、後続のライターを3人育ててもいます。人数はこれからも増えていきそう。あなたに合う人物を紹介できるかもしれません。

ちなみに僕のことをもう少しだけ紹介させていただくと。

僕、久高諒也はこれまでに経営者・プロコーチ・上場企業の役員の方々などを中心に130本以上の記事を執筆。2021年11月には事業拡大のため、宣伝・予約販売を兼ねクラウドファンディングを実施し、目標額を上回り150万円達成。とにかく対話と執筆が大好きです。

まずは、一度僕とお話ししてみませんか?

ちなみに2022年中は「泊まれる図書館寄処」というところに住んでいるのでぜひお越しください。朝までおしゃべりできます笑。

連絡はTwitterのDMからどうぞ。
依頼が多いため、執筆自体はかなり先になる可能性はあります。


事業や背景について詳しく知りたい方は、ぜひこちらを読んでみてほしい。




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