#64 因果応報?
以下の文章は、11年ほど前に自身のブログに書いてあった内容になります。
父も高齢ですが、今も元気で自宅の松の木を眺めています。
以下、11年前のブログより
↓
家を新築する計画が挙がっていて、土地の物色しています。その過程で、実家の庭を縮小し、そこに新築する案が挙がっていました。
庭には立派な松の木が立っています。
父に確認すると、
木を切って庭を縮小していいよ
とのことで計画していましたが、結局は別の土地を確保する計画に変更となりそうです。
私も、いくら息子の家を建てるとはいえ、長年育てた松の木を切ってしまうのは、あまりにも可哀想だと思いました。
その後、父とその話をする機会がありました。
私に実家の庭の縮小と木の撤去を言われた時に、実に40年以上も前の自分が鮮やかに蘇ってきたそうです。
・・・私の父の実家は、元々は今とは別の場所にありました。私も高校1年生の時まで、そこに住んでおりました。
父の父母の家は比較的大きな土地を所有しており、元々は敷地内には大きな庭があり、その真ん中には、立派な梅の木があったそうです。
その庭に、父が自分の家を建てることになった時、自慢の梅の木を撤去することになりました。
その時父は、自分の母(=私の祖母)に、
『(家を建てるので)梅の木を切るよ』
と何気なく言った時、祖母は承諾しながらも、
どこか寂しげだったと言います。
祖母は自宅の窓から、その梅の木を眺めるのが何よりも楽しみであったと言います。
・・今回私に松の木の撤去を頼まれた時、当時の記憶が鮮やかに蘇り、自分の母に本当に申し訳ないことをした
と、今になって悔やまれたそうです。
表現は良くないかも知れませんが、
因果応報
といってもいいのかも知れません。
もし私がそのまま庭を潰していれば、何十年か先に、またしても同じようなことが繰り返されたかも知れませんね。
今回はそんな因果を強く感じた次第です。
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